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2017-05-13 00:18:58

やるしかない

テーマ:ブログ

幾度か似た様な投稿しているので話がダブっているけど、メインの言いたい事がすこし違うのと、初めて読んだ人に分かる様に書いているので、内容に見覚えのある方はさらっと流して読んで下さいね〜(苦笑)

 

30年近く前、俺は作曲編曲家がメインの仕事だった。TVメジャーキー局で流れるCMの音楽を手がけていた。売れっ子ではなかったが、それでも結構良い仕事をしていた。まだデジタルMTRは個人ではほとんど買えず、アナログオープンリールが主流の頃だ。打ち込みは流行っていたが、メインは手弾き演奏だった頃の話。

CMは尺がまずビデオで送られてくるのでそれを計算して音符を割り出す。リズムトラックを打ち込み、時間軸を合わせて確認する。それが合えばあとは重ねて行く。もちろん手弾き演奏。

色々やった。歌も歌った。それをDATに起こしてMAスタジオに持ち込む。バイク便も良く使った。クライアント企業の担当がOKをだし、終わり。大変な仕事だったけど、やりがいはあったし楽しかった。帰りに美味いもの食べたり打ち上がったりしたものだ。バブルが終わりかかっていたころだったけどまだまだ景気は良かった。

 

それからアーティストになった。そうなると自分のやりたいやり方で制作が出来るのであまり技術面でこだわらなくなっていった。これが今思えば一次脱落の始まりだった。周りの連中は機材の進化に食い付いて頑張っていたが、俺はそれを尻目に自分の自由なやりかたでアルバムを作っていた。

 

売れなかった。俺はバンドを脱退。一人でエンジニアの道に進んだ。これはこれで、また別の世界の仕事だったので自分のやり方というものが或る程度受け入れられた。その間、アレンジ/制作の手法はマック/LOGICをメインとした打ち込みでどんどん進化していった。当然俺は全くついていってなかった。

エンジニアの仕事も数年で終わった。あまりに変わったスタイルだったので一般の仕事が来なくなった。

時々思い出した様に制作したり、レコーディングしたりしてゆるく楽しい生活をしていたが、そんな甘い生き方はいつまでも許容されるはずもなく、どんどんとその世界から遠ざかっていった。相変わらず音楽の世界での仕事はしていたが、機材の修理や製作など、ハードウェアの仕事に完全にシフトしていた。

 

いつしかダラダラとなにも出来ないだらしのない生活になっていった。当然収入は先細り精神的にも不安定になっていく。かつてはちゃんと一線で音楽制作をやっていたのに、それを続ける努力を怠ったのだ。

 

そんな俺にアルバムの制作の依頼をしてきた素晴らしい歌手がいた。声、生き様、人間性、どれも素晴らしい素養をもつシンガーだった。俺はこのシンガーのアルバムを俺がプロデュースで作りたいと思ったものの、曲作りが進まない。かつてのやり方なら出来るのだろうが、それだと今の時代とても時間と金がかかり現実的ではない。やはり今時のやりかたで臨むのが一番。そのためには現在のレコーディング業界の標準とも言えるAVIDのProtoolsというDAWを覚え、そしてMIDIの打ち込みを覚えるしかない。Protoolsは大分覚えたのでそれほどの脅威ではなかったが、MIDIの打ち込みが問題だった。

 

音源買ってもそれを使う術が分からない。鍵盤繋いで音は出るけど、それを画面上で編集したりMTRでやっているように使いこなせない。そうなると人はだんだんと面倒になっていつしかやらなくなってしまうのだ。

 

どんどん堕ちて行く自分を客観的に感じ、どんどん鬱になっていった。そして先月、思い立った。もうこれではいけないと。残された人生を昔話しながら愚痴を言って過ごすのだけはまっぴらごめんと思った。

 

まずは打ち込み用の鍵盤を買った。現役世代の若い人に色々としつこく聞いて回り、教えてもらってなんとかかつての作曲の作業の1/3くらいまで出来る様になった。これでいい。一度掴んでしまえばこっちのものだ。なにしろ、一度はやって来たことだ。入り口出口が変わっただけで、その根本や主要な内容は変わっていない。

 

今まで俺はなんで言い訳ばかりしてやってこなかったのだろう....面倒なだけだったのか?いや、違う。それだけではない。自分にも随分甘えていた。そして本当に悩んでいたのだ。なんの為に生きているのかと。悩みは解決したわけではない。しかしいつまでも腐っていては、時間だけが過ぎ、死に向って進んでいくだけだ。そんなのはイヤだ。だからまず2年、このアルバムを完成させるまでは考えるのは一度止める事にした。一時休止だから悩む必要はない。答えを出さなくても良いから気持ちも楽だ。

 

霧島に呼ばれた。そう、鹿児島の霧島だ。俺はどういうわけか縁があるようで、もう8回目だ。土地勘も出て来た。なにしろ居る間はとても気分が良い土地。その霧島で自分の作家復活第一弾新曲をマックで打ち込んだ。生音一切なし。出来上がった。その出来上がった曲はかつての生音で制作していた頃の質感とあまり変わらなかった。そう、結局機械や方法の問題というのはファクターとしては然程大きくなく、やはり作るその本人の影響力の方がはるかに大きいのだという事が分かった。

 

これで俺の今後数年の生き方は決まった。時間のある時には作家としてちゃんと制作をするのだ。

 

打ち込んで曲作っている時は楽しい。あまり人生の事とか悩まないし、あっという間に時間が経つ。充実感もある。もちろんそれで曲が売れてくれれば言う事はないが、それよりもそれを楽しみに待っていてくれる素晴らしいシンガーがいるのだ。

 

少しの間かもしれないが、俺は安心して生きる事が出来る時間が出来た。それでいい、良いんだ。

 

 

 

 

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2017-04-13 01:14:08

未来の自分が過去の自分を変える

テーマ:ブログ

今日、ある音源を仕上げていた。20年前はプレゼンの声がかかる度に猛烈に作曲していた。しかし、2000年を越えたあたりからあまりやらなくなり、レコーディング業界がProtoolsにほぼ完全移行してからは全くやらなくなってしまった。面倒だった。色々とインターフェイスを覚え、ソフトを覚え、毎年プラグインやコンピューターを新調して湯水のようにお金を使い続けるこの方法がどうしても理解出来なかった。アナログ時代は気に入った良い機材があればあとは録音すれば良かった。でもPCベースになった今、機材を覚え、ソフトの使い方を覚え、どんどんアップデートして、正直第一線で頑張る人以外には消耗レースに参加するような厳しさになってしまった。

 

いつしか通常の音楽制作がつまらなくなり、俺は真空管式のテープレコーダーに直接録音するやりかたに傾倒していった。録音をするまでに練習してセッティングして、始まるまでは大変だけどいざ録音すればそれで終了だ。このやり方はやりたい事が決まれば圧倒的に早いし、音楽そのものに集中出来るのでとても気に入っていたが、やれるジャンルも限られてくるので仕事にはならない。

 

商業音楽のあり方も全く変わってしまった。俺のようなスタイルはもはやマスでは必要とはされていない。手に入れた技術はそれは貴重なものばかりで、個人的には満足しているが正直金にはならないし、一部の超マニア以外には必要とされていない。あとはレコードをカッティング出来れば自分としては音楽制作人生は終了しても良いと思っていた。

 

 

 

しかし、どうしたわけか本当に時々声がかかる。俺が本当に諦めようとしたその矢先に、まるで辞めるなと言わんばかりのタイミングで。なのでその声には素直に従う事にした。

 

俺は言い訳していたのだ、自分に。

『もう、いいじゃないか。商業音楽の世界に戻らなくても。自分は音楽の道で生きると決めたが、いつまでもそれにしがみつかなくてもいいのではないか。』

 

人間、誰しもそうだと思うが、自分の為には一生懸命になれないものだ。他人の為、頼まれたから、そういう理由は十分なモチベーションになる。しかしそれが自分個人の為となるとついつい後回しでいつしか歳を取って自分の夢が本当に夢のまま人生を閉じることになっているのが大半の人の本当の事情なのではないかと。自分の夢を自分の為に叶えるというのは本当にエネルギーの要る事なのだと今更ながらに思い知る。

 

家族がいる、子供がいる、助けなければいけない仲間がいる、介護しなければならない親がいる、そういう理由は人を奮い立たせるものだ。人は他人に生かされているとはまさにこの事だと俺は思っている。

 

でも敢えて今、自分の為に自分の夢を叶えるのだ。それはなぜか?

 

実は最近確信した事がある。それは今、もしくは未来に行っている行動が過去の自分に作用しているという事象だ。過去の自分はこう考えていた。

 

『将来の自分はきっと音楽で或る程度の成功を収め、豊かなくらしを送り、幸せになっているだろう』と。そしてその絵図を叶えるために今まで選択肢を絞り、道を選んで進んできたはずなのだ。つまり今の俺の状態が過去の俺の脳裏に見えれば見える程それは現実に近づく。という事は未来の自分が成功していれば今の自分も過去の自分もそれを信じられるという事だ。そして未来の自分は過去の自分の延長にある。つまり過去の自分が強烈な意志で未来の自分を統制していれば未来の自分は過去の自分を奮い立たせるという事になる。

 

時間とは過去から未来に向って現在を通して一直線に進んでいるものではなく、現在を中心として過去と未来が同時進行しているのではないかと最近思うようになった。もちろん肌身で感じられるのは現在だけなのだが。という事は少なくとも『現在の俺』がやらなければ過去の俺も未来の俺も挫折してしまう。自分の歴史を否定する事になる。

 

ブレずに物事をやってきた人がある時点で『成功』を収めるケースが多いのはそのためだ。だからブレてはいけないのだ。間違いは訂正すべきだし、より良い方法が見つかった時には乗り換えるべきと思うが、その根本のモチベーションはブレてはいけない。俺はいま止めたらブレてしまう。人生そのものがブレてしまう。

 

だからあと数年、結果が見えるまでまずはやる事にした。数年だ。十分我慢出来る年月だ。この時間軸の理屈を理解せずして成功した人はそのあと必ず挫折する。そこで気がついて取り戻せれば良いのだが、一発で終わる人は取り戻せなかった人達だ。

 

人は自分の脳内時空に限って、未来も過去も変える事が出来る、今の自分の在り方次第で。それが俺の確信した事だ。これは屁理屈でもなんでもない、リアルな時間軸の事実だと俺は思っている。

 

この時間軸の事象について近いうちに別途書く。これはとても大事な事なので、別の例を上げながらもっと入り込んで書く。この時間軸に音楽や絵画、映画、芸術は非常に重要な役割を果たしているのだ。その事にやっと気がついた。まだまだ一部に違いないが、それでもその片鱗を触る事が出来たと思う。

 

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2017-03-25 04:09:06

良い音(その1)

テーマ:音楽

音に関わる仕事をしてはや30年以上が過ぎた。最初はタレントのバックバンドを結成してイキナリ仕事デビュー。直前まではディープパープルやクイーンのコピーバンドをやってた。当時の俺は後ろを振り向く事など一切しなかったため、穏健派の人間はどんどん俺から離れていった。今思えば当然だと思う。こんな勢いだけのキツイ人間について行こうとは今の俺なら思わない。それでも必ず成功出来ると信じて疑わずに突進んでいた。ぶつかりも多く、時々親身になって俺に忠告してくれる友人もいたが、どうにも心に響かずに生返事していた。

 

そういう性格だったから、良い音というこの『漠然とした概念』に対しても自分の価値観を信じて疑わなかった。今ならそれが使う機材や環境、その人の歴史的バックグラウンド、人種(これは言語という意味)、そして一番の要因(音を聴いているその瞬間の精神状態)によっては1000%を超える振り幅があるという事をかろうじて理解出来そうになっているものの、当時はただのイノシシだった。

 

でもそれで良かったのだと思う。自分ではない人、つまり他人はなにか確信的な意思の力に惹かれるのであって、万人のことを考えて悩んでいるような玉虫色の物を望んではいないのだ。ただ、そうは言っても他者を切り捨ててはいけない。他者に対するリスペクトあってこそ、自分の主義主張が存在意義を獲得できるのではないかと思う様になった。

 

分かり易く言うと、他者を慈愛するオーラあってこそ、我が道を突進む姿勢が評価されるのではないかと。最近、特にそう思う様になった。昔はあまり好きになれなかった人や音、実は時間をかけて向き合ってみると好きになったりする事が良くある。逆に良いなと思っていた音源でもよくよく聴いて、そのバックグラウントを理解するにつれだんだん気持ちが離れていく事も多くなった。

 

つまり良い音とは、単に周波数特性的に優れている物の事ではなくて、あくまでその個人の脳内で咀嚼された結果だという事だ。

 

だとすれば、現在の俺のやっている『機材の修理』や『良い音にして欲しい』という要望に応えるための作業はあくまでその相手の脳内の価値観に問いかける作業であって、俺の独自の理論の追求という作業ではないと思う様になった。しかしながら人によっては俺の独自の価値観を所望する人もいる。そこをちゃんと見極めないとトンチンカンな修理だったり改造だったりする事になる。

 

良い音、今の俺の考えでは2つの評価側面があると思う。

 

一つ目:

万人が納得し、一番好きかどうかはさておき、品質的には間違いなく良い音だと思われる音。

 

二つ目:

聴いた本人が納得し、本人の思う琴線に触れる音。

 

一つ目に関しては測定器や性能表などが或る程度指針に対して役立つだろう。二つ目に関しては聴いた本人、もしくはその本人の音の価値観を理解した人間にしか理解出来ないだろう。

 

俺は経験的にいわゆる『プロ』と『一般消費者』の違いは理解している。上記の2項目についてどっちがどうかは80%くらいの確率で振り分けることが出来る。残り20%は例外になってしまうのだけれど…。

 

つまり良い音とは聴いた本人にしか分からないというのが究極の答えだ。でも、その個人を理解すればある程度『その本人に於ける良い音』の範囲を想定する事は可能だ。そうやって機材をチューニングしたり、はたまた音源をマスタリングしていく。つまりは人間理解力というのが最終的な音の仕事のキメになるというのが今の俺の考えだ。これも10年後に違う事を言っているかもしれないけど(苦笑)。

 

今回はそんな話。

 

 

 

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