今日は、自宅の近くで行われた戦争反対スタンディングに参加して、街頭演説をしてきた。
わたしがマイクを持ち演説をし始めると、横にいた女性が「もっと大きな声で!!」と言ってきたので、声を大きくしたのだが、演説途中で息が切れてしまった(苦笑)。
普段、声を大きく出すことがないので、久しぶりに大きな声を出して疲れた(笑)。
日中、犬と鹿たちは穏やかにすごし、鹿のすぐるちゃん(♂5歳)は、わたしにたっぷり甘え満足そうに見えた。
「また後で甘えるで」とすぐるちゃん。
犬のひよりちゃん(♀8歳)は「草の上はヒンヤリして気持ちええねん」と一休み。
その後、ゴロンゴロンして……。
庭のパトロール。「クンクン!」
先日、物の整理をしていると昔の写真が数枚出てきた。
物を減らすため、わたしは数年前に多くの写真を処分した。
その中で、どうしても持っていたい写真だけ残していた。
そのうちの一枚がこちら
わたしが美容室で働いていた頃の写真で、わたしと一緒に写真に映っている犬はまだ幼い「ケンタ」くん(美容室オーナーの犬)。
ケンタくんは母親がハスキー犬なので、しっかりと成犬になった頃は、この写真のケンタくんより体が大きくなっていた。
この写真のケンタくんは、とてもよい表情をしてニッコリ笑顔。
わたしはケンタくんが大好きだった(今も好き)。
ケンタくんは、わたしがつらい時にいつも励ましてくれていた(労働環境がきつかったので、わたしはよくひとりで泣いていた)。
わたしはケンタくんが大好きだったが、この職場を離れる決断に至った出来事があり、わたしは美容室を去った。
・職場を離れる決断に至った出来事→オーナーが出産したネズミの母親と産まれたばかりの子ネズミ2匹を水の流れのきついドブ川に投げ捨てたのだ。わたしはネズミ親子を助けようとしたが、水の流れが速すぎて追いつくことができず、ネズミ親子を助けることができなかった。
ケンタの同居人は最初、ケンタくんをとても大事にしていたが、ケンタくんがシニアになる前頃からケンタくんに対する扱いが変わり、ケンタくんの最期はネグレクトによる死亡だった。
わたしはこのことをケンタくんが亡くなった後に知り、大変かなしく、怒りの感情もでてきた。
オーナーは人間からの評判が非常によい人だった。
しかし、オーナーが人間以外の動物に行っていたことはとても酷いことだった。
わたしはこの時に、人間の裏と表の顔について学んだ。
一見、とてもやさしそうに見える人でも、差別主義の基、動物虐待を行っているのであれば、わたしはその人間をやさしい人間だとは思わない。
「いい人」と判断するのは個々人によって異なる。
自分にとって「よいこと」ばかりを言う人を「いい人」と判断する場合もあるだろうし、人間のよいとされる一面だけを見て「いい人」と判断する時もあるだろう。
「いい人」の判断基準は人ぞれぞれ違うので、わたしは、わたしの判断基準で「いい人」かそうでないか判断していきたいと思っている(=人のうわさだけで判断しないなど)。
ケンタくんの写真を見ながら、ケンタくんのこの笑顔がずっと続く生涯だったらどれほどよかっただろうかと思う。
今日は昔話になってしまったが、わたしにとっては、色あせないケンタくんの存在があり、思い出がある。
犬やその他の動物が人間から酷い扱いをされないことを切に願うが、現状を見ていて、その道のりは長いと思った。
人間以外の動物種たちが道徳的地位を得られる日を目指し、小さく弱い者たちの声を届けていきたい。
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