今朝は、従姉に久しぶりに髪の毛を切ってもらった。

 

髪を切ってもらい始めてすぐに従姉が知り合いの教員が教員教育で「シカは食べるべき」と教わってきたと話してくれた。

 

従姉はその知り合いの教員に「問題はシカではなく自然環境破壊によるシカの生息地の劣化・減少なので、それを考えなくてはいけない」と話したそうだ。

 

従姉は教育現場にまでジビエが入り込まれていることに大変驚いていた。

 

もちろん、それを聞いたわたしも驚いた。

 

政府によるジビエキャンペーンの威力は凄まじい。

 

従姉はその他に、シカを捕獲してシカを生きたまま屠殺場まで運び、生きたまま殺す番組がTVで放送されていたことを教えてくれた。

 

TVではシカを殺す場面は映し出されていなかったが、殺される鹿の悲痛な悲鳴は流れていたそうだ。

 

番組の趣旨は、狩猟者が減少しているが、若い世代が伝統を受け継いでくれるというものであったそうだ。

 

殺されるシカの悲鳴が放送されていたにもかかわらず、その番組は絶賛されていたという。

 

これまた酷い話である。

 

シカが殺される悲鳴を聞いていても、それを称賛するということは、いったいどういうことなのだろうか。

 

通常、人間は人間以外の動物の苦痛から目を背ける(見たくない聞きたくない)。

 

しかし、動物の苦痛の声を聞いても目を背けるどころか、称賛されるというのは、動物としての数々の感覚や能力の欠如としか言いようがない。

 

「大脳が発達している人間は残虐性が強い」と聞いたことがあるが、残虐行為にたいして何も感じない、何も思わないというのは、他の多くの動物種とは大きく異なる。

 

このように、政府や行政によるジビエ推進キャンペーンがかなり積極的に行われているが、その情報をそのまま鵜呑みにせず、そのことに疑問を持ってほしい。

 

どのような理由があっても、感情・感覚ある動物、社会的動物を殺すことはよくないことだ。

 

従姉は、シカを捕え、生きたまま屠殺場に運搬する行為自体、かなり酷いことだと言っていた。

 

従姉の言う通り、生きたまま多大な恐怖を経験するシカのその時間は、わたしたちが想像しきれない恐怖の苦痛である。

 

シカはその苦痛を経験した後、生きたまま殺されるのだ。

 

(日本では、動物福祉が野生動物に適応されていないということだ。他の国には野生動物も動物福祉が適応されていることがほとんどだ。苦痛を与えないためにはどうすべきか議論され、野生動物に苦痛を与えないであろう対策が実践されている)。

 

これがシカにとってどれほど痛みと恐怖、絶望などを経験させることになるか安易に想像できるだろう。

 

これを想像できないのであれば、人間(動物)として大事で必要な感覚が麻痺しているということだ。

 

そもそも、政府や行政が今の時代にう野生動物を食べることを推進することが非常におかしいことである。

 

野生動物を食べるということは、世界の潮流から外れすぎている。

 

利権で事物が動く社会なので、このようなおかしなことがまかり通り、人びとに誤った認識を植え付ける。

 

一度、植え付けられた思考は、なかなか払拭できないので、野生動物たちが受けている酷い人間活動に異を唱えるのは簡単なことではない。

 

従姉に髪をカットしてもらいながら、わたしはプンプンと怒っていたが、従姉がわたしのために作ってくれたカバンを見て、気持ちが前向きになった。

 

わたしが代表であるWild Deer Initiativeのロゴ入りリュックサックと、収納袋。キラキラ

下矢印とても素敵なカバンで長年大事に愛用したい。

 

 

カバンを背負うとこのような感じ。

とても素敵~キラキラ照れキラキラ

 

ファスナー部分はアンティークなシカさんが!キラキラ

このシカの絵がわたしのラインのアイコンとそっくりだったため、従姉は↑を即決で購入したという。

 

リュックサックの内生地は、ボーダーコリ。ヒマワリわんわんヒマワリ

レザー部分はヴィーガンレザー(サボテンレザー)を使用。クローバー

 

従姉が作ってくれたカバンを持って、今後、様々な活動を行っていきたい。

 

カバンのサイズはA4サイズがスッポリ入る大きさで、要望書などもたくさん入れることができるのでうれしい。

 

今日はよくない情報を聞き気分が落ち込んだが、従姉が作ってくれたカバンが嬉しく、今後の活動を頑張りたいと思った。

 

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