午前9時頃から雨予報だったので、いつもより早くに起きて犬たちの散歩を早い時間に行った。

 

犬たちには昨晩から「明日はいつもより早い時間に散歩に行こうね」と伝え、わたしはいつもより早くに就寝した。

 

ふたりの散歩が終わった後に雨がポツポツと降り始めたので、帰宅後、少し休憩をして庭の

ウンコ掃除を急いで行った。

 

雨が降ると鹿たちのウンコは水分が含みフヤフヤになるので拾うのが大変なのだ。

 

ところで昨晩、熊森協会からメールが届いた。

 

メールの内容は、以前わたしが熊森協会に意見した内容にたいし、わたしの意見は一顧しない熊森協会の見解が書かれていた。

 

2022年2月にわたしが熊森協会に意見した内容は、熊森協会北海道支部がベアドッグの採用を検討していることについて賛同できないということで、その理由を熊森協会に丁寧に伝えた。

 

その後、熊森協会から、「ベアドッグ採用案は取り下げる」とのメールが届き、ホッとしていたのだが、昨晩のメールでそれが否定されたのだ。

 

しかも、メールに綴られていた熊森協会の見解がひどかったので、熊森協会にたいして不信感がつのっている。

 

2022年2月3日の北海道新聞の記事には「長野県軽井沢町などでツキノワグマの出没抑制に成果を上げているベアドッグを道内でも導入するため、札幌市内で養成所の開設を目指すことを協議した。(中略)ベアドッグには国天然記念物の北海道犬を採用して『犬の血統維持とヒグマ保護』を両立させたい考えで、当面は先進地視察や勉強会を重ね、養成所設立の時期など計画を具体化させていく」と書かれている。

 

ということは、ベアドッグ採用案はすでに決定されていると捉えることができる。

 

この記事内容にたいし熊森協会からのメールにはベアドッグ導入は「夢のように語っただけ」だと書かれていたが、記事に書かかれているようにある程度具体性ある記事内容からベアドッグ導入について話しが進んでいると推測する。

 

ベアドッグ導入の問題を大きく書くと以下になる。

●犬に身体的・精神的苦痛を与え、犬のQOLを著しく低下させる

●野生動物に危害を加え(身体的・精神的苦痛・恐怖によるストレスなど)、野生動物のQOLを著しく低下させる

●人的被害やペットなどへの被害が発生する

●犬を利用することで根本的解決に向けた活動が行われない

 

上記の問題以外にもベアドッグ育成にはさまざまな問題がある。

 

その件については、わたしが以前に書いたブログ記事を読んでいただきたい。

↓↓↓

 

 

 

ベアドッグという発想は、野生動物に危害を加える非平和的な方法で、野生動物の苦しみを生みだすと同時に犬を人間の奴隷とするもので犬もまた被害者である。

 

熊森協会がベアドッグを採用したなら、熊森協会は野生動物に害を与え、犬を苦しめることを容認しているということになる。

 

犬と人間の長い歴史から、犬は人間のよき友でありパートナーという認識がある。

 

そのため、犬は人間のある目的のため利用されることが多い。

 

犬の利用方法が非暴力的であれば、犬を利用してもよいのでは?と思うかもしれないが、犬を人間がある目的のために利用するのは主従関係で成り立ち、犬は人間の支配下に置かれるということだ(=種差別になる)。

 

熊森協会から届いた今回のメール内容に、熊森協会が協力すると言っているベアドッグ飼育施設について、「ネット情報に頼って判断しているだけでは、判断を間違うと思います。私たちは会いに行って、一緒に山を歩いて、犬も見て、何時間も語り合ったので、岡田さんと違う感想を持っていますが、(中略)見ているものが違うし、同じものを見たとしても個々人の感想は違ってくると思います」。と書かれていた。

 

このことについてわたしが思ったのは、無数にあるネット情報から正確な情報を見つけだし、情報を分析して判断するのは、「判断を間違う」ことになる可能性は低いということだ。

 

そのためには、多角的な多くの知識が頼りになる。

 

その知識や分析力、本質を見抜く能力がなければ、誤った方向へ舵取りされる可能性が高い。

 

わたし自身、知識や分析力など、まだ取得中だが、少なくとも動物を傷つける方向には行かないだろうと思う。

 

上記の熊森協会のメールは、「岡田さんは実際に○○氏に会っておらず、犬も見てないでしょ

う。それで何がわかるのか」と言っているのだが、氏自身が書いている(言っている)ことや動

画での犬の様子をみると、実際に多くのことを知ることができる。

 

わたしは氏が語っていることを調べ、氏が行っていることを知った。

 

そして、氏の犬の様子や氏の犬にたいする扱いを見て、氏の犬への対応が見て取れた。

 

まず、人が語る内容は、語られている内容をそのまま捉えられることと、そうでない内容がある。

 

そのまま捉えることができる内容、たとえば、犬にたいし「服従訓練」をしているや、「犬をノーリードにして野生動物を追わせる」、「野生動物の『駆除』は必要だ」(=実際に行われていること)などであり、そのまま捉えられない内容は、「大事にしている」「犬を苦しめていない」「本当は殺したくないんだけどね」などである。

 

その人の主観で語られることや個々の人たちによって認識や価値観が異なる内容については、言葉だけで判断することをわたしはしない。

 

なぜなら、「大事にしている」などは、個々の人たちによってその「大事」が異なるからだ。

犬にたいする大事が自己的なものであれば、犬は苦しんでいるだろう。

 

熊森協会が協力をするといっているベアドッグ飼育施設の犬の動画を見ると、犬がストレスを抱えていることは犬の様子から読み取れる。

 

なぜ、読み取れるのか?

 

それは、わたしが犬のボディランゲージや表情、ストレス下に置かれた犬の状態、そうでない犬の状態などを犬にたいする知識を学んできたからだ(そして、犬の「しつけ」「トレーニング」界隈に長年いたのでその構造も知ることになった)。

 

犬は人間の意思にそう傾向が非常に強い。そして、犬は人間から虐待を受けていても、逃げ場がなく犬は人間のもとにいるしかない(苦しみから逃げようと脱走できる環境にいる犬は脱走している)。犬は人間から危害を加えられたくないので、犬は人間の命令を聞くようになり、危害を加えられる前に危害を加えられないよう犬は自分で対処するようにもなる。

 

その犬の様子を見て「『いい犬』だな」「人間と信頼関係ができているのだな」「犬はオーナーが好きなのだな」など思う人もいるだろう。

 

犬やその他の動物たちのことを知ることなく動物を見ると、実際の動物の意思や状態とは異なる人間の感じ方や見解をわたしたちはすることになる。

 

熊森協会は犬のことを知っているかのように語っていたが、熊森協会で保護している熊のトヨさんの行動を熊森協会が誤って解説していた動画を見たことがある。

 

犬への正しい理解と知識を持ち具えていると、熊にたいする知識もあるように思うがそうでないということは、犬やその他の動物の理解や知識が不足していると言わざるをえない。

 

動物の習性や置かれている状況を考慮して個々の動物たちを見ない場合、人間の性質上、動物の行動などは自分の都合よい解釈になってしまうだろう。

 

熊森協会の見解は、「○○氏と直接会い、何時間も話をした」なので「熊森は氏のことをよく理解している。氏はいい人だ」ということだが、よく知らない人と数時間もしくは数日間会って話をするだけでその人間の本性を知ることはできるのだろうか?

 

わたしはできないと思っている。

 

なぜなら、人間は繕うことができるからだ。

 

さらに人間は、状況に応じ自分の都合のよいように対応を変えていく。

 

数時間や数日、よく知らない人と多くの話をしただけで、その人の本性を知ることできれば、人に騙される人は世の中にいないだろう。

 

熊森協会は、亡くなった犬にたいし涙を流していた人のことを「涙を流すほど犬を大事に思っていて、犬を大事にしているいい人だ」と言っていた。

 

しかし、その人が犬にたいし強制訓練(服従訓練)を行っていたなら、わたしはその人を犬を大事に思い犬にやさしいく接する、いい人とは思えない。

 

なぜなら、犬にたいして強制訓練(服従訓練)をしていたからだ。

 

人をどう判断するかは「行っている」ことが重要になってくるのではないだろうか。

 

もちろん、思想も判断素材のひとつになるが、思想が可視化されるのは人間の行動になる。

 

言語ではどうとでも言えるので、やはり行動に目を向けることが大事ではないかとわたしは思っている。

 

そして、深く考えず見た物を信じるというのは、危険なことだとわたしは思っている。

 

しっかりと見えていなかったり、見かけに騙されたりすることが往々にしてあるからだ。

 

現代社会では情報合戦が繰り広げられている。

 

その社会で、わたしたちは生きるに必要な知識を身につける必要があり、その中に本質を見抜く力がある。

 

本質を見抜くことはさまざまな構想を知ることに繋がるのでとても大事な能力だと思う。

今日の記事や過去に書いたわたしの記事を読み、熊森協会がベアドッグを育成することに賛同できないな~と思われる方がいらっしゃったら、熊森協会にベアドッグ育成・導入を考え直してほしいという声を届けてほしい。

 

そして、野生動物も犬も苦しめる安易なベアドッグ導入案の採用ではなく、根本的解決に向けた活動を熊森協会に要望してほしいと思う。

 

わたしは以前、ベアドッグ導入の代替案に、熊に強いゴミ箱の開発をしてそれを住民に配布すること、緩衝地帯を設けること、野生動物との平和共存の啓発活動を伝えた。

 

この件については、わたしは熊森協会から放置されているが、声を届けることが大事なので、声を届けてほしいなと思う。

 

安易な発想ではなく、本質を見て根本的な解決策を行ってほしい。

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