一日中雨が降っていたので、庭仕事を少し行いその後は室内で調べ事をしていた。

 

すると、裏山から鹿の「ピィ~ン」という声が聞こえてきた。声からはまだ幼鹿の感じがした。その鳴き方は、鹿のふたりもしていて観察していると、少し寂しいときや不安なとき、誰かを呼んだり、探したりしているときに鳴いている。

 

裏山から聞こえた声に鹿のふたりが聞き耳を立てて立ち上がり反応をしていた。

 

鹿や他の動物たちの気配を感じると、わたしはとても心配になる。

 

無事に生き延びることができるだろうか・・・お母さんや家族とはぐれたのかな・・・ケガをしていないだろうか・・・など。

 

調べ事をしているとよい内容があったので、今日はそのことを記事にしようと思って書き進めていたが、高速道路の側溝にイノシシの脚が挟まり身動きがとれないニュースが目に入ったので、そのことについて書きたい。

 

宮崎県の東北道上り線、仙台南インターチェンジ付近で中央分離帯近くの側溝に後脚が挟まり動けなくなったイノシシ一頭が発見された。

 

イノシシは猟友会が殺処分したそうだ。

 

こちらの記事には、「通り掛かりに写真撮影した(中略)『渋滞で止まりそうな速度まで落ちていたため、こちらに突進してくるのではないかと心配だった』と話した」と書かれているが、側溝に脚を挟まられ身動きできないイノシシがどうやって突進するというのだろうか。「突進」というのはイノシシに対しての誤ったイメージの決めつけから生じることではないかと思う。

 

最も驚いたのが、側溝に脚が挟まり困っているイノシシを誰も助けようとしていないことで、これは、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ、台湾など他の国だったら、誰かが助けに行っていたと思った。

 

数々の海外の動画や記事などを見てきているが、高速道路であれ、交通量の多い道であれ、濁流であれ、そこに困っている者がいれば、(海外情報では)救いの手がさし出されている(が、わたしの知らない所です助けの手がなく、苦しんでいる動物たちがいるとは思う)。

・内戦が続いていたり、情勢が不安定な国だと、自分や子どもなどの身を守ることに懸命になり、動物たちが困っていても助けたくても助けられないこともあると思うが、それでも助ける人は助けるだろうと思う。

 

ここで思い出したのが、CAF(チャリティ・エイド・ファウンデーション)2021年度の世界寄付指数だ。知らない人を助けたか、チャリティ団体に寄付したか、ボランティアに行ったかという質問から計算される。

 

日本は最下位、114位だった。

 

犬を尊重する犬育てを提唱している川上さんの「思いやりは実践してこそ」という記事に、「思いやり(compassion)とは、『他人の苦しみや不幸に対する共感的な哀れみや関心」を意味する』

 

「他者の苦しみに共感すること、そして行動を起こすことが、困難な状況を共に乗り越えていきために必要なことだと改めて思った」と書かれている。

 

思いやり・やさしさを失くしてしまうと、人間が生きていく上で(社会を作るに)必要な他のことも失っていってしまう。

 

思いやり・やさしさは人間だけに適応するのではなく、他種動物にも及ぶ。

 

もし、わたしが高速道路で困った者を見かけたら最善の策を考え、助けの手を伸ばすだろうと思う。

 

今回のように、すでに車がトロトロ運転になっているなら救助しやすい。

 

車には発煙筒もあるし、停止表示板も置くことがきる。

 

わたしの車には救護セットを準備していて(毛布、ゴム手袋、トイレシーツ、段ボール箱など)手助けできるように準備している(準備していない頃も助けていた)。

 

困っている者を救護しないで殺処分したことは驚く話で、これもまた、日本の際立った特徴だ。

 

そして、そもそも、野生動物たちの生息場所に、道路を作ってしまうところが問題だ。

 

しかも、その設計はまったく動物や自然環境に配慮されていない。だから、今回のようなことも起こる。

 

わたしたち人間が自然環境に何かを造設するには、地球自然環境とそこに生息する生物のことを考えて行わなくてはいけない。

 

でないと、自然動植物への負担が表面化したとき、わたしたち自信、あー困ったと言わなくてはいけなくなってしまう。

 

たとえば、土砂災害、川の氾濫、野生動物が人里に頻繁足を運び農作物を食べるなど。

 

自然環境にしろ、野生動物のことにしろ、今わたしたちが困ったなと思うことのほとんどの現況は、わたしたちが生みだした人災なのだ。

 

困った者がいれば手を伸ばすことや自然環境や動植物に配慮した活動を行うことは、なにも難しいことではなく、これらは何らかの形で多くの人間にできることだ。

 

今回のように、高速道路で困った者を助けるにあたり、「二次被害(追突事後など)が起きたらどうするんだ」とか言われそうだが、事故が起きないように考え助けるのもわたしたちができることだ。

 

実践しない前から、しない理由を探すのは、わたしたち自身から多くの芽を摘み取ってしまうので、しない理由探しをすることをわたしはやめた。

 

「思いやりは実践してこそ」という、川上さんの言葉はとても大事でわたしたちに必要なことだと思う。

 

人間活動が原因で今回もイノシシが多大な恐怖や痛みを感じ殺された。

 

殺されたイノシシには大事に思う子どもや家族、仲間がいた可能性があるし、殺されたイノシシの帰りを待つ、子どもや家族がいたかもしれない。

 

一頭という個々に目を向けると、その一頭が今まで生き築いてきた生活があるのだ。

 

思いやりややさしさは、多くの者に安心を与え、あたたかさやよろこびを与える。

 

苦しみや痛み、恐怖、絶望、孤独などを与える、むやみやたらに殺してしまうこの社会の暴力にわたしは反対だ。

 

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