3年前の昨日、6月26日は鹿ののぞみちゃん(推定3歳)と出会った。
犬たちの散歩中、罠にかかって山に戻ることができないでいたのぞみちゃんを見つけた。
罠は違法罠だった。
わたしたちが散歩をしていたのは午後6時前。推測だがのぞみちゃんが罠にかかったのは夜中か朝方だとすれば、その時間から夕方の6時までその場にいたということになる。
罠を仕掛けた人間は、毎日罠の確認を行わず、数日放置や一週間以上放置ということもあるようだ。
アメリカでは罠にかかった動物が苦しまないようにと、長時間の放置は禁止にしている。なので、罠を仕掛けたら数時間ごとに罠の確認をしにいく。
罠にかかり、脚を負傷し身動きが取れない状況で時間をすごす苦痛は相当なものである。
その苦しみが終わるのは、さらなる恐怖を経験し、強烈な痛みとともにひとりの命が消えなくなる。
この社会にはその経験をする者たちがとてつもなく多く存在する。
わたしたちは動物に最悪の苦しみ、痛みを与え生命を奪うという危害を加えているのだ。
これを「正しい」という社会はおかしい。
他者を苦しめるという、してはいけないことを正しいというのであれば、いったいどのようなことが正しくないというのだろうか?
わたしは鹿たちと出会う前は犬たちの勉強をしてきた。しかし、鹿たちと出会い、保護、レスキューをしてからこの社会における動物たちの扱いを知り、犬も鹿も人間からひどい扱いを受けていることを知った今、今後は犬の情報を更新しながら、鹿(野生動物)のことを積極的に勉強していこうと考えている。
犬と鹿、立場は違うが、人間の行いに翻弄させられているのは同じだ。人間の認識、扱い、行動で生涯が決定するのだ。
犬たちには、「いい子でない」とか「人間の言うことを聞かない」とか言い、野生動物たちには「凶暴」とか「害獣」とか言い、犬や鹿たちに問題があるようにわたしたちは悪く言っているが、犬や鹿たちが悪いのではなく、わたしたち人間の問題なのだ。
これからの時代、わたしたちはどう行動するか?ということがますます問われる。
目の前の事だけを見るのではなく、視野を広くし、いろんなことに関心を持ち、情報を得て意識を高くしていく努力はしたい。
そのことで、社会からいろんな苦痛が少なくなっていくことにもつながる。社会で苦しんでいるのは人間以外の動物たちだけはない。
実際に苦しみつらい思いをしている者たちのその声を可視化し、社会のあり方を考え、苦しむことのない社会を目指すことができればいいなと思う・・・。
なので、わたしはのぞみちゃんが経験したこと、他の野生動物や他の種が経験している苦しみを伝えていきた。
わたしたちはもっと賢くやっていけると思う。
誰かの立場に立つことを忘れないでやっていきたい。
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