昔、優良犬テストというのを受けに行った際、他の受講者がテストに合格するために犬に鳴くことを一切禁止したと聞いたことがある。
わたしはそれを聞いてかなりの衝撃を受けた。
どういうやり方で犬から声を奪ったのかは聞いていないが、犬が自分の気持ちや感覚的に感じることなどを表明するひとつの手段を一切禁止するというのはあまりにも残酷であり、人間中心的すぎではないだろうかと思った。
もし、わたしたちがどんなときも声を出してはいけないと言われたらどう思い、どのようなことを感じるだろ・・・。
うれしい、嫌だ、痛い、つらい、仲間に危険を知らせるときなど、声を出さずにいることは声を出す動物としてとても苦しいことだ。
犬たちは声を出す動物であり、鳴く、吠える、唸るなど声の使い方を変えながら他者と社会的に生きる。
犬をひとりの存在として捉えているなら犬の声を禁止するという発想にはならないだろう。
犬に鳴くことを禁止するのは犬自身を否定していることになる。
だったらなぜ、犬と暮らしているのだろうか?と思う。
犬を否定することは犬ではない別の何かになってしまう。
犬を犬として理解することなく犬を別の何かとして接することは、犬自身を大変悲しませ苦しめる。
こういうこともわたしたち自身と重ねて考えてみると、犬の置かれている状況がわかりやすいのではないかと思う。
犬に対し、自分の理想を押しつけるのではなく、側にいる犬という種について正し知識を得て理解し、犬という動物の存在を尊重していけるといいなと思う。
犬という動物をわたしたちの社会の一員として受け入れるには、犬という動物を尊重するところからではないだろうか。
人間が犬たちにしつけやトレーニングなどを行い、意思表明や行動などを制限したり禁止したりしている時点では、犬は人間社会で犬として生きていることはできない。
犬は人間にとって身近な動物であり、犬と暮らしている人間が多くいるが、犬を人間社会で暮らすことを認めていないという現実がある。
わたしたちは一番身近である犬であっても、このような現状なのは大変かなしい。
犬というわたしたちと異なる種を理解して、その種を受け入れ共に暮らせることができるといいなと思う。
出入り口で横になる春ちゃん(♂10歳)。
春ちゃんはたまに出入り口で横になる。
人間目線では、出入り口だと落ち着いて寝れないんじゃない?と思うが、春ちゃんは身体の力を抜いて横になっているので、落ち着いているんだろうなと思う(笑)。
「今日もボカボカ陽気できもちいよ~」
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