わたしが暮らす地域の狩猟期間がやっと終わった。
長かった・・・。
今シーズンも数発の銃声音を聞いた。
心中穏やかではいられなく無力であるわたし自身に落ち込むが、いまここで起こっていることをしっかり見て、わたしに何ができるかを考えていかなければいけないと思う。
熊森協会のブログ記事「長野県小諸市が足くくり罠への錯誤捕獲の実態を発表 2020 日本哺乳類学会」に、くくり罠による錯誤捕獲について書かれていた。
そこに、再びくくり罠にかかった3本足のカモシカの写真があった。
横たわるカモシカを見ると鼓動が大きくなり、指先が冷たくなる。
この写真に写るカモシカの生を想像すると胸が痛み苦しくなる。
くくり罠であれ、箱罠であれ、「罠」は無差別な脅威であり、特定の動物種だけを捕えることはまずないだろう。
それをわかっていながらこの社会には、おびただしい数の「罠」が仕掛けられている。
罠を仕掛けて生き物を捕えるために人間はあらゆる手段を使い、罠に生き物をおびき寄せる。
・あらゆる手段→わざと生き物の食べ物を無くす(わなの側の草刈りなど)罠周辺に生き物が好むと思われる食べ物を置く、生き物が罠に気づかないようにカモフラージュするなど。
罠を仕掛ける人間の中には、山に食べ物がないことを知っている人間もいる。
罠が山を覆いつくすようなほどにある現状が異様であることに気づいてほしい。
無差別に殺傷する物を簡単に設置し、他者に恐怖や痛みなど、苦しみを与えることは正しいことではない!
3本脚のカモシカは、脚を失う苦痛、罠にかかった恐怖、その後の生活の困難さなど、多大な苦しみを経験して、再び罠にかかるとは・・・。あまりにもつらく悲しすぎる。
このようなことを他者に経験をさせるわたしたち人間は残酷過ぎる。
残酷なことができるのは、他者の苦しみ、痛みなど何も感じないからだろうか。
よく、「本当は殺傷したくないんだけど」とか「かわいそうだけどねぇ~」とか聞くが、本当にそう思ったり感じたりしていると、人間はそのような行為を避ける選択をするものだと思う。
人間以外の生き物は痛みを感じず感情はないと思っている人間もいるだろう。
しかし、人間以外の動物にも感情や感覚がある。それはわたしたちと同じであると知っても真に理解する人間は少ないと思う。
人間以外の生き物に感情や感覚があっても、「誰から何を言われてもオレは動物を食べる」と言う人間もいるし、「動物が犠牲になるのは仕方がないよ」と言う人間もいる。
痛みや苦しみ、恐怖などを感じる者に対し、わたしたちはそれを理解して、彼らに苦痛を与えないようにかかわり、接していかなければならない。
他者に苦痛を与えないことであれば、どのようなこと(手間暇かかることや費用が必要なこと、その時ベストなことなど)でもできる人間に進歩しなくてはいけないのではないだろうか。
再び罠にかかったカモシカは、やっとの思いでくくり罠から脚を引きちぎりその後、自分で脚のキズを癒しながら不自由すぎる身体で食料を探し移動をしていたことだろう・・・。
それがとれだけ苦痛があり悲惨な出来事であるかは想像すればわかるのではないだろうか。
人間、他の生き物より脳が大きく発達している部位があるが、想像力も含めその脳の機能を最大限発揮できればいいなと思う。
野生で生活する生き物たちの暮らしを脅かすことなく、思いやり保全を実践し共に暮らしたい。
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