今日は雪が止んだものの、気温が低く、わたしは絶不調だった。

 

犬のひよりちゃん(♀7歳)や春ちゃん(♂10歳)と一緒にゴロゴロしてゆっくりすごしていた。

 

鹿のすぐるちゃん(♂3歳)と、のぞみちゃん(♀推定3歳)は雪が解け始めた庭で、食糧を探しながら過ごし、時折、室内に入ってきて「なんか食べる」と言いにきていた。

 

今は鹿たちにとって(野生で生活をする鹿も)食料がなく、本当に大変で過酷な時期だ。

 

先日、山を越え、友人宅に行った際、周辺の山の写真を撮ってきた。

 

写真に写る山にある木は、植林された杉だ。

雑木林ではないので、秋に山が色づくことはない。

 

空に向かい真っ直ぐ生える杉ばかりが生えた山は、地面に日が当たらず、落ちた杉葉で覆われる。

下草は育たず、生えている植物と言えば、日陰を好むシダ類だ。少し日が当たる場所にはササが育っているが、少ない。

 

鹿たちをシダ類を好まない。

 

ササは食べるが、他に食料がないので食べているという感じに見える(夏は食べていないので)。

 

山の状態を見れば、鹿たちがどれほど生活に困窮しているかわかるだろう。

 

木の実もほぼなく、下草もない。

 

その環境下で暮らしている鹿たちに、人間はどうしろと言うのだろうか。

 

山から一歩も出てくるな?だろうか。それとも、山は人間のものだから出ていけ?だろうか。

 

地球は人間の所有物ではない。もちろん、地球で生きる他の種の生き者たちも。

地球上で、人間が自分たちに都合の様に活動してきたことで、他の種が絶滅したり、絶滅に瀕したり、行動の自由を奪われ、どんどん各種の生き物は衰退し、その生活は過酷さを増している。

 

どうしてわたしたち人間は、自分たちのことだけしか考えられないのだろうか?

 

欲深なのが人間、自分勝手なのが人間と人間の負の面を「それが人間なんだ」と言う人もいるが、完全に思考が停止していると思う。

 

欲深でない人間、自分勝手じゃない人間もいる。

 

その違いはなになのだろうか?

 

個々が持ち具えたものの影響はあるかもしれないが、思考することを放棄していない人間が、人間の負の面と向き合っているように思う。

 

欲深なのが人間である、という側面を理解しつつ、思考することで「だからこう行動をしてみよう」とか「価値判断をしよう」とか、自分自身と物事の整理をしているのではないだろうか。他にもいろんなことを思考しているのではと思う。

 

人間、自分で思考することを放棄してしまうと、そこから前進することは難しい。

 

人間は思考することでさまざまなことに磨きがかかり、思考力のアップはもちろん、想像力や共感能力、判断能力、分析力、論理的思考などいろんなことがアップすると思う。

 

思考して、合理的に考えることは生きるに必要なことではないだろうか。

 

合理的に考えることで、悩むことが減ったり、進む方向に壁があったとしても回避方法を見つけ出し前に進むことができたりするのではと思う。

 

できない環境や時があることもあるが、わたしたちは、進歩しようと思えばいつでもできる。

 

自分の言動について、立ち止まり考えてみることができるといいなと思う。

 

そこで心地が悪い自分の言動があれば、そのことについてさらに考えてみるといいと思う。

 

「なぜ、自分はこの行為に対し心地悪くなるのか」。

 

その理由がわかれば、その理由についてさらに考え価値判断していくと、その心地悪さを回避する選択も可能だ。

 

ずっと同じ選択ばかりしていると、当然ながら同じことが繰り返される。

 

ただ繰り返していることを楽と思う人間もいるかもしれない。

 

だが、ワクワクがなく、ひとつも楽しいことはないのではないだろうか。

 

新たな発見や新たな考え、新たな選択などといった、変化というものは非常に楽しいものだ(とわたし自身は思っている)。

 

新たなことを進めるに、他者の苦しみが増すのではなく、他者の尊厳を守り、他者が自分として生きやすいことであれば、結果として、さらにポジティブな気持ちになることもある。

 

わたし自身、まだまだ思考ができていないので、いろんなことを知り、学び、自分が自分として生きるためにも、思考をクリアにしていきたいと思う。

 

犬のひよりちゃんも今日は、一日中ゴロゴロ~。

「ここ、お気に入りの場所」

 

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