わたしたちが山の麓へ引っ越しをして、もうすぐ6年になります。
以前は住宅が建ち並んだ場所で暮らしていました。
周辺にはまだ少し田畑が残り、生きものたちと出会うことも多かったです。
当時、犬のるなちゃん(先住犬)と春ちゃんがいましたが、我が家の小さな庭に鳥さんがよく食事にきていました。
そして、子育てもしていました。
雨戸サッシの上に巣を作ろうと、せっせと藁を運んでいた鳩さんたちがいました。
しかし、サッシの幅が狭く、素材もツルツルしていて、せっかく集め置いた藁が下のタイルの上に落ちていました。
鳩さんたちの姿を見ていると、この場所がいいと思っていることは理解できたので、当時わたしたちは協力したいと思いました。
すると、3日後には心地よさそうな巣ができていました。
そして、しばらくすると卵を産み、この場所で懸命に子育てをしていました。
毎年、2個の卵を産み、うまれた子鳩さんの個々の顔や頭の形の違いがはっきりしていました。
2羽の大人鳩さんたちは、どちらか一羽がいつも巣や巣の近くにいて、子どもたちの安全を見守っていました。
時々、大人さんの一羽の姿が数日見ない日もありましたが、気付くと2羽いて、ホッとしていたのを覚えています。
子鳩さんたちは、この狭い場所で羽を広げる練習などをしていたので、ある年の子鳩さんが1羽地面に落ちてしまいました。
そのまま様子をていると、大人鳩さんが子鳩さんにご飯を他の場所であげているのを確認でき、このこともとてもホッとしました。
2日後には巣にいたもう一羽も巣から飛び立っていきました。
生きものたちの暮らしは家族や子ども、仲間を思う思いやりがたくさんあり、その暮らしがどうか人間によって奪われることのないよう、願わずにはいられません。
庭に植えたイチゴの木が毎年、多くの実をつけていました。
実が膨らみ、色が緑から赤に変わり、少しやわらかくなった頃、毎年やってくる鳥さん。
ヒヨドリさんは、毎年二羽で実を食べに来てくれていました。
犬たちの姿が庭にない時に、上空からサー―っと下りてきます。
そして、素早く実を口に含み、少し離れた場所へ移動をして、食べきるとまた実を食べに下りてきていました。
毎年、イチゴの木の実を食べに来てくれるのがうれしかったです。
わたしが幼い頃、周辺には田んぼや畑が多くあり、さまざまな生きものたちの姿や声がしていました。
しかし、小学校に通い始める前~低学年の頃ぐらいから、田植え時期にとてもきつい匂いがする薬が撒かれ始め、カエルさんの声はなくなりました。
その後、家のすぐ横では除草剤や農薬、殺虫剤など多くの薬品が散布されるようになり、開発も進み、気付くと幼かった頃に見ていた生きものたちの姿は少なくなり、見られなくなったりしました。
水がはってある田んぼからカエルの声は消えました。
カブトエビの姿も消えました。
アメンボの姿は少しずつ減り、わたしの知る田ではほとんど出会うことはなくなりました。
ホタルもメダカもタニシもいなくなりました。
わたしが成人してからはザリガニの姿もみなくなりました。
蝶々の姿もめっきり減りました。
幼い頃のわたしが気付いていない間に、日々、数多くの生きものたちの生息地を失い、命も失っているのだと・・・。
渡り鳥であるツバメは毎年日本にやってきます。
ツバメたちは長旅を無事に終え、酷使してきた体を休め、ホッと一息するのが本来であると思いますが、現在、ツバメたちが安心して休み、巣作り、子育てをできる環境が非常に少なくなってきていると思います。
街の田畑は開発により、埋め立てられ建物が建ち並び、やっとも思いで巣を作る場所を見つけたとしても、人は「ここで作るな!」と言います。
安定して、毎年同じ場所で巣作り、子育てが出来るといいですが、年々難しくなってきていると強く感じています。
人はツバメが巣を作らないようにさまざまなことを行い、それを手助けする商品まで販売しています。
中には、ツバメの帰りを楽しみにしている人たちもいます。
毎年やってくるツバメたちの姿を見て、「今年も長旅を無事に終え、よくきたね」と言います。
生きものたちの暮らしを考え、思いやりある人もいればそうでない人もいる。
わたしたちは今、豊かさについて考え直さなければいけないととても感じています。
無差別に命を奪うことで、日々、多様性は失われて、個々の生きもたちは苦しみ命を奪われています。
人間によって破壊、汚染れ続けている地球をいたわる気持ちや、生きものたちの暮らしを思いやる心は豊かな世界へとつながると思います・・・。
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