愛護センターに勤めていた方と昨年話をしていました。
この方との会話で殺処分0についての話もしていました。
わたしが愛護センターに出入りしているころ、殺処分0という言葉の裏で行われている事実に憤りを感じ、それは今も感じています。
犬猫たちの殺処分をゼロにするという目標はとてもいいことだと思います。
しかし、何も整っていない環境でいきなりそれを実行、実践、達成するには無理がありすぎると思います。
その無理のしわ寄せは、全て動物たちが負っているというのが現実です。
わたしの知っているセンターの話では犬猫を引き取る人たちの動物に対しての知識やスキル、思いやりなどは重要ではなく、いかに犬猫をセンターから出すか、ということに焦点がありました。
このことが意味しているのは、犬猫たちの生活(QOL)より、引き出す数を優先しているということではないでしょうか。
しかも、引き出してからの環境になじまない犬はセンターに戻すことになっていました。
ひき出された犬たちの様子から、「とてもかわいそうに感じる」「引き出し先で、犬たちが怒られたり、ケージに長時間閉じ込められたりしている」「犬たちの気持ちなど考えてくれていない扱いに苦しくなる 本当にかわいそう」ということが言われていました。
そして、犬猫たちを引き出すある方は、常に犬の里親募集を募り、犬と暮らしたことのある人たちが手一杯になると、犬と暮らしたことのない人に犬を預け、そのまま生涯飼育にという流れになっていたようです。
動物の保護はとても動力がいり、気遣いも必要になってきます。
特に、センターに収容された動物たちは精神に大きく深い傷を負い、体の健康状態もよくない個体が多く、その状態の動物たちを保護し、看護、ケアするには、相手を思う思いやりは不可欠です。
そして、衰弱したり、心身共に傷ついたりしている動物たちの回復を助けるのは愛情あるかかわりも不可欠です。
犬猫を保護して殺されることはなくなったが、ケージ閉じ込めの監禁生活や過密な空間での閉じ込め生活、意思の表明が全く出来ない抑圧多き環境で生きている犬猫たちの苦しみはいったい誰が気付いてくれるのでしょうか。
犬猫たちは自分たちが経験しているつらく苦しい気持ちを人に気付いてもらいたいと思っていると思います。
実際、犬たちの表情や行動、鳴き声からはそれを知ることができます。
このことは、犬猫だけには限らないです。
他の動物、たとえば熊や鳥、他の動物たちもそうです。
保護している動物の過ごしている場所の写真を見ていますが、酷すぎます。
体をやっとの思いで方向転換できる広さの檻に入れていたり、足元は金網だったり。
そうでない場合でも、熊が熊の生き方を生きるには不十分な広さの施設があります。
人間的に言うと、どの動物が金網を好み金網の上で「今日も快適だな~この金網はよく眠れる」というのか。
本来、動物たち個々に心地よく感じる場所で休んでいます。
心地よいということは体への負担も少ないといえると思います。
そのような環境に保護され、毎日を生きていたとしても、不快や他の感情を押し殺し、苦のなかで生きていることは疑いようがないです。
体を自由に思いっきり伸ばすこともできない、十分に歩くこともできない檻の中で暮らすとあなたならどう感じ、どのような状況になりますか。
精神と体が不健康になっていくことは想像できると思います。
動物を助けるという感情はとても大切で動物たちの助けになるのは事実です。
しかし、動物たち、個々の存在に目を向けず、「センターに持ち込まれた犬」「人間以外の動物」などと見てしまうと、動物たちに対して細やかなケアができなくなってしまうのではないかと思いました。
個々の動物たちに丁寧な思いやりあるケアやQOL向上の話をすると、「動物にそこまで出来ない」「する必要はない」ということを非常によく聞きます(やろうと思えばやれる内容のことです)。
動物たちの食に関してもそうです。
「粗悪な食事で十分だ」など聞きます。
この言葉は「あなたのこと大事に思ってないよ」と、動物たちに伝えていることになるのではないのかなと思います。
「そんなことない、大事に思っている」と思っていても、個々の動物たちの暮らしに対し、人がそこまでする必要は無いと言うのはそういうことだと思うのですがどうでしょうか。
殺処分ゼロからさまざまな問題点が指摘されたり、問題が発生したりしていますが、わたしが思ったのは、わたしたちが動物たちに対して持っている意識だと思いました。
わたしたち人と同じ感覚、感情などを持ち具えている動物たちに対し、人格者ではないと認識をしている点が多くの動物たちを苦しめているひとつではないかと思います。
殺処分ゼロを実現するには、動物を作り出している現状を作り出さないに変えないといけないです。
ペットショップから生きものたちの姿を無くさないといけないです。
そして、動物たちや人に対して、思いやりを持ち行動できる人育てが必要で、マーク・べコフさんのように動物のありのままの姿を観察し習性や接し方など多くを学ぶ必要があります。
もし、動物たちの知識が十分でなくても、個々に対して思いやりあるかかわりからは、個々の動物たちの立場に立ち、その気持ちになる(想像)ことができ、動物たちの必要としている声が聞こえます。
そして、個々の動物たちを尊重した、動物に寄り添う愛情あるかかわりができると思います。
動物たちは助けを必要としているのです。
そこに、しつけやトレーニングなど一切必要ないのです。
必要なのは、個々を大事に思う「思いやり」や個々を尊重する「愛情」です。
そして、この思いやり、愛情を周囲に広げることです。
動物たちはどのような環境であれば快適に過ごすことができるのだろうか?
どのような環境や接し方をよろこんでくれるのだろうか?
どんなことを不快に感じるのか?など多くを考え、その動物たちにとって、快適に過ごせる環境作りに懸命に取り組むことだと思います。
人間以外の動物たちは常に人間によって不自由を強いられ、翻弄され続けているのはすべての動物たちに言えることです。
わたしたちがやっていることは何をしていることになるのか、本当に動物たちの助けになっているのか、動物たちは本当によろこびを感じ、安心して暮らしているだろうか?
わたしたちの意識は動物たちの助けに大きく影響します。
保護した動物を何かに利用したり、見世物にしたりすることは、動物を擁護しているわたしにとって非常に理解しがたい事です。
わたしたち人間目線で考えたことや感じたことなどを動物に強要するのではなく、動物たちの声に耳をよせ、真に動物たちに寄り添い、動物たちの気持ちを汲み取る思いやりがあり、愛情あるあたたかな人がどんどん増えていくといいなと思いました。
ポッチとお願いします。
↓