今日は山が危険を知らせる野生で暮らす動物たちの声でざわついていました。

犬鹿たちは緊張し、犬の春ちゃんは怯え、わたしにべったりとひっついていました。

 

このような日はわたしは外出を控えたいと思いますし、犬たちも散歩に行きたがらない時もありますが、今日はお散歩に行くといい、わたしを散歩に誘いにきてきれました。

 

春ちゃんと散歩していると、知り合い犬、ジョン君と出会いました。

ジョン君は中型犬でカーミングシグナルとても出してくれるので、他犬がとても苦手な春ちゃんも自分から近くに寄り、匂い嗅ぎをしています。

春ちゃんは以前に増し成長をしていて春ちゃん自身、たくさんのカーニングシグナルを出していました。

そして、今の暮らしを始めてからは(しつけやトレーニングをしない)、わたしは春ちゃんの行動や意思を妨げることはしませんので、春ちゃん自身、自分が不快に感じたり、怖くなったりすると、その対象からすぐに距離を取って自身が安心できる場所へ移動しています。

 

今の暮らしを始め、春ちゃんは自分の気持ちが伴う行動ができるようになり、春ちゃん自身とても楽になっているのではないかと思います。

 

わたしたちは日々生活をしていると、わたしたち人間社会に集中し過ぎ、この地球上に他の生きものたちの存在はないかのような錯覚に陥ることもあるのではないかと思います。

 

しかし、現実はわたしたちが生活をしているすぐ側でたくさんの生きものたちが生活をしています。

その生き物たちの存在を人は知ろうとすれば知ることができ、知ろうとしないと知ることはできないと思います。

実際に存在を知ることがあっても、その存在を「ある、ない」にするのは個々の人によって異なると思いました。

 

わたしは山で暮らしているので山で生活をしている生きものたちとよく出会いますし、庭にはたくさんの生きものたちの姿や声があります。

山は静かであたたかさを感じる日もあれば、異様さを感じる静けさの日、生きものたちの軽やかな声で賑わう日もあります。

今日のように、動物たちの危険や悲鳴で山が荒れ、命を日も奪われる日もあります。

 

地球上に棲む生きものたちの声の多さにはその土地によって違ってきますが、視野や耳を生きものたちの世界にむけるとおどろくほどの多くの声が聞こえてきます。

声がなくても、その存在に気付くことができます。

 

わたしたち人間の行いで他の生きものたちを困らせていることは事実です。

この事実はないものにはならないです。

事実と丁寧にきちんと向き合い、どう進んでいくかを大人はもちろん、子どもたちも一緒になって考えていくことができればいいなと思います。

その考えが犠牲を避ける平和的な考えであってほしいと願います。

 

そして、人間と他の生きものとにわけ、「どちらが○○だ」「どちらの方が○○だ」と敵と見方のように表現をし、人に敵対意識を持たせ、人間の都合よく真実を歪めらることがないよう願います。

 

 

 

今日はパートナーが家にいたので、昼食後、一休みしていました。

鹿のすぐるちゃんと犬の春ちゃんとひーちゃんは室内で休み、鹿ののぞみちゃんは庭で過ごしていました。

「反芻運動中~」

 

 

ひーちゃんがソファーから移動し、春ちゃんとパートナーのところへ行き、「ここ撫でで」と言っていました。

「お腹のあたり ちゃんと撫でてー」と、ひーちゃん。

 

 

 

外は一段と寒さがきついく、ほんのりあたたかい部屋で横になると同居人は動けなくなります。

 

今日は山が危険な声でざわついていましたが、明日は何事もない一日でありますように。

山や野で生活をしている動物たちが明日も変わらぬ朝をむかえ、生きることができているといいなと思います。

 

 

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