一昨日からわたしは頭痛がひどく(低気圧の影響)、寝ても痛みが取れないので、今日は薬を飲んで少し横になる事にしました。
横になりながら、友達に教えてもらった「呼吸だけに意識を向ける」というのをやってみました。
「呼吸だけ」というのが難しく、できないなーと思っているうちにわたしは寝ていたようで、目覚めると頭痛がやわらいでいました。
わたしが目覚めると、シカのするぐちゃんとのぞみちゃん、イヌのひよりちゃんの姿が目に入りました。
わたしの周りで一緒に寝てくれていたようです。
イヌの春ちゃんは犬走りで寝ていたみたいです。
目が覚めると、みんな(動物)の姿があることに心があたたかくなります。
わたしは昔、思い込みや決めつけていることがおおくあり、カチゴチな思考でしたが、動物たちと今の暮らし(相手を尊重する)をはじめ、徐々にそれらがやわらかくなっていきました。
今まで「○○は絶対にしないといけない」「○○はこうでなきゃいけない」「○○はこうなんだ」などおおくの決めつけがありましたが、それらはそうでなくなり、自身とても軽くなっています。
言葉ひとつにしてもその言葉で決めつけられてることがおおくあり、言葉使いを気をつけたいなと感じています。
動物愛護、福祉先進国ではそれぞれの個体を尊重しています。
おおきなくくりで「イヌだから○○して当然だ」という感覚は習性以外でいわれることはほぼないのではと思います。
例えばわたしたちの社会では、「イヌだから、オスワリ、オテしなさい」をよく見かけます。
イヌはオスワリ、オテをするのが当然だという思い込み、決めつけがあるのではないかと感じます。
当然だと思っていると、その行為について深く考えることはできにききなります。
思い込んでいると、疑問も持ちにくくなっていると思いますが、その行為について意識すると、考えてみることはできると思います。
イヌにとって本来、オスワリ、オテは必要ないものですが、なぜかおおくのヒトがイヌを見ると「オスワリ!」というのです。
わたしたちはなぜ、イヌにオスワリ、オテをさせるものと思っているのでしょうか?
わたし自身はトレーニングをしてるとき、「オスワリをさせて落ち着かせる」と学んでいたので、その認識でしていましたが他にもいろいろあるのではないかなと思います(オスワリをさせてもイヌ自身の不安はなくならず、落ち着くことはできないです)。
イヌにオスワリ、オテをさせるのは
賢そうに見えるから?
飼い主に従順だと示さすため?
わたしたちが楽しむために、イヌに芸をさせるため?
だた、わたしたちの言うことをイヌに聞かせたいだけ?
オスワリさせたほうが犬を守れるから?
他にもいろいろとあるかもしれませんが、わたしたちがイヌにそうさせているのは何故か、ということを知ることができると、その次ぎを考える事ができ、自身とイヌとの関係を見直すいいきっかけになるのではないかと感じました。
しつけに関してもそうで、イヌだからイヌのしつけが必要という思い込みや決めつけがあれば、なんの疑問も感じずにしつけをおこなってしまうと思います。
イヌだからしつけではなく、個体としてそのイヌに対し、わたしたちはどう関わりどんな関係になりたいのか、そしてどのように接するかだとわたしは考えています(イヌにしつけは必要ないものです。必要なのはわたしたちがイヌのを尊重し、気持ちに寄り添うことです)。
イヌと仲良くなるには、人間の仲の良い、心安心できる友たちと築いてきた過程を思いだしてみると、仲の良い友達に、「あなた○○しなさい」といって、自身に従わせることはしていないと思います。
相手を気遣ったりしながら、思いやり、仲の良い関係を築いてきたのではないでしょうか。
「普通」になっているわたしたちの暮らしのなかでは、それが当然という認識になりやすいですが、普通になっていることは普通なのか?普通とはなんなのか?と考えてみると新たな発見があり(これが楽しいです)、自由な発想やさまざまな角度から物事を考えられるようになることだと思っています。
思い込みや過度の単純化を減らしていくことで、少しずつ決めつけなども減り、自身、自由に物事を考えれるようになると思いますし、イヌとの関係によい影響があります。
イヌたちと心通わせ合える関係を築ける人がふえるといいなと思っています。
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