朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -9ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

早朝に高塔山のあじさい祭りを見に行きました。関東にもテレビで紹介されていたらしいですね。


なぜ早朝なのかというと、その後で別府に出かけようとしていたからです🤭



うちの会社も協賛させてもらいましたが、看板に掲載されるほどは、出しておりません。ゴミ箱に掲載。



ここは夜景が綺麗だとは前任者から聞いておりました。



で、その展望台に行ってみました。



主役のあじさい。



こちらは、かっぱ封じ地蔵


本当のかっぱ封じ地蔵の伝説は、修多羅(すたら)村の河童が馬を川に引き込もうとしたところを、庄屋に捕まって、背中に船釘を打ち込まれ、この釘があるうちは悪いことをしませんと誓わされたというものです。


ところで、地蔵とは呼ばれていますが、本当は虚空蔵菩薩ですよ。



もうひとつ、普通に語られている伝説があり、こちらは火野葦平氏の小説が元で、有名になってしまったかっぱ封じ地蔵の伝説。高塔山の上空で、島郷と修多羅の河童が縄張りを争って空中戦をしたが、戦死した河童はドロドロに溶けて田畑に流れ込み作物を腐られてしまった。それを聞きつけた山伏が河童たちを地中に封じ込めようとこの地蔵の前で祈祷して、河童たちと壮絶な戦いになった。後略。


「石と釘」という作品だそうなので、興味があったら読んでくだされ。


ね。




次に訪れたのは大江天主堂



大江天主堂は、キリスト教が解禁されたあと、最も早く活動を開始したところなのだそうです。



昭和8年に、フランス人宣教師ガルニエ神父が地元の信者と協力して建設したロマネスク様式の天主堂です。


この大江天主堂には、吉井勇の歌碑があるそうです。 


白秋と ともに泊まりし 天草の

大江の宿伴天連の宿


なにぞや怪しい白秋という文字。


それを知ったのは大江天主堂の膝下のある天草ロザリオ館の展示資料を眺めていた時。まずは吉井勇?って話ですが、



祇園の白川沿いにある、かにかくに碑。この歌の作者が、吉井勇氏です。


かにかくに 祇園はこひし 寝るときも

枕のしたを みずのながるる


吉井勇氏は天草に与謝野寛が引率して旅をした学生のひとりとして来たのでした。これを五足の靴と言います。その他のメンバーは太田正雄、北原白秋、平野万里で、この時の紀行文は東京ニ六新聞紙面に連載されました。


歌の白秋は、北原白秋だというわけですね。


吉井勇は、比叡山の東塔にもその歌碑があって、なんとなく親しみを感じます。別に歌には興味ないんですけれど(爆)。



天草四郎ミュージアムにも立ち寄りました。



旅の最後の食事はルボンヌで頂きました



私は海老フライとハンバーグのランチでした。


2日目は熊本駅に戻って15時台の新幹線に乗る必要がありましたから、あまり気が抜けませんでしたね。乗り遅れると帰り着けなくなるので、弁慶宅に全員連れて行かなくてはならなくなりますから。


ね。


ダブル抗原検査陰性、風邪症状なしの不明熱が続いてしばし間が開きましたが、回復していませんが続きです。


フェリーから降りて向かったのは世界遺産の崎津集落。



まずは崎津天主堂


この日はちょうど葬儀があり、受付などが用意されておりましたが、内部にも入ることができました。平戸の天主堂と比べると素朴な感じがしたのは、ステンドグラスがおとなしいからでしょうか。



フランス座宣教師ハルブ神父の記念碑


昭和9年にハルブ神父の指導のもと、鉄川与助が建築しました。



ゴシック様式で前側は鉄筋コンクリート造、後側は木造ということですが、これは資金難の問題があったからのようです。



こちらはハルブ記念堂。ここの山側(斜め右後ろ)に旧崎津天主堂があったようです。



たぶんこの上なのかな。ちょっとよくわかりませんでした。



さらに山側の崎津諏訪神社。隠れキリシタン達はキリスト教に帰依すると同時に寺の檀家に名を連ね、またこの諏訪神社の氏子でもありました。



記念堂の奥に佇むハルブ神父の墓です。



さて、崎津集落には野良猫が何匹か生息しておりまして、この虎は岩合さんが撮影に訪れた際に四郎と名付けられた野良ですが、すっかりこのお店がお気に入りでいつも入り浸りのようです。



彼はじっとしていたけれど、体調悪いのかな。



茶っぽい黒猫と遊ぶ元コドラ氏ですが、彼は保護猫ボランティアを日頃からやっております。



海に向かう海上マリア像。崎津の漁師の船の運航を見守っております。この方角に夕陽が沈むのですよ。すごく綺麗なんですがね。帰路を急ぎます。


ね。



夕方に夕暮荘に到着しました。でも九州は日が長いので、まだ明るいです。この日の日没は19時半くらい。


到着がすでに18時半でしたので、19時から夕食です。



夕食は海側の別棟が会場でした。



茶碗蒸し



カマ。いつもカマ食べてますけど笑



天麩羅もありました。



ご飯はこのくらいで充分ですよね。4次元の胃袋は持ってないので🤭



目の前は海なので朝、海を眺めておりました。雨なので、散歩は出来ないけれど。



そして朝食は、宿泊棟の中にある食堂でした。


朝食は本来は7時なのですが、お聞きしたら6時30分でも大丈夫ということでしたので、そのようにお願いしました。というのも、



フェリーの始発が7時40分で、それにどうしても乗りたかったからなのです。



兎なんだろうなあとはわかるんだけどね。何のためにあるのかまでは理解の外でした。



港にある民宿は釣り客には便利そうですね。



しばし待っているとフェリーが対岸からやってきました。あちらは7時始発です。



はい、乗り込みました。船内はこんな感じで、すごく速度は遅いです。


対岸は天草です。


ね。

次の目的地



近くなると道路の左右に石灯篭が並び始めました。



ここは映画ホタルのロケ地です。



大日本帝国陸軍の戦闘機、隼のレプリカ



特攻勇士の像と航空自衛隊の練習機



特攻平和観音堂


参拝させて頂きました。


それでは館内に入りますが、基本的に館内は撮影禁止です。



エンジントラブルで墜落した零式艦上戦闘機


館内で唯一撮影が可能なのは、この零戦でした。



昭和55年に知覧町により引き揚げられたそうです。



再び、館外ですが、三角兵舎のレプリカ。この半地下の兵舎で特攻隊員は過ごしたそうです。


館内については写真も撮れないので、詳しくはトップのリンクからホームページでご確認ください。


周辺の戦争遺構も見たかったのですが、時間がないので諦めました。


何を感じたか・・・そうですね、別にそれは人それぞれであって自由で良いと思います。どのように感じなくてはいけないということはないし、他人がどう感じるのかを否定するのも駄目です。観て感じたままで良いと思います。


特攻が行われた戦争の元では、そんな自由はなかったったでしょう。そんな世界では私は生きていけないでしょう。


ね。