朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -9ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

本当は別府温泉の話の予定なのですが、体調を崩して原因不明の微熱が続きましてね、それで気力を無くした私はしばらく書かないうちに入った温泉について、どんなだったか覚えていないことがわかりましたよ。 


で身体のほうはですね、



町医者で原因がわからんので大病院に紹介状持って行きました。身体中、神経痛、筋肉痛みたいな症状を訴えたので、総合内科の中でもリウマチ内科に行きましたよ。


血🩸、抜かれてね。


まあ、わからない。何かのウイルスだろうと。もっと高齢でもっと続いたら8割ガンなんだけどねって言われた。


一応、発熱は5日、そのあと3日たってからまた夜出たが、その2日後には京都におりました(爆)。



おおきに財団 五花街合同公演、都の賑わいは、毎年6月の最終終末2日間だけの公演です。


弁慶は財団の友の会に入っているので、二等席の招待を受けられるのですが、今年は追金をして特等席にグレードアップ。


ちなみに、数年前、それをやった時は前日に急性前立腺炎で入院するハメになり無駄にしたトラウマがあり、それ以来大人しく二等で観ていたのですが、今年はそのトラウマを克服するべくグレードアップしたわけで、その上での発熱は、すごーーーく嫌な感じだったです。



特等席のイメージは、前の方の席だったのですが、届いた券には、桟敷席が記入されておりました。けっこう後ろやないか!


隣は見ず知らずの爺様で、一番観たかったトップの先斗町の途中から遅れてくるし、定期的にポケットや鞄をゴソゴソやるし、これはこれで新たなトラウマになりそうでした。



ホテルはリソル三条河原町。株主優待の金券が6月で使用期限を迎えるので、ギリギリ無駄にせずに済みました。


ここは部屋じゃなくて談話室みたいなところ。コーヒー無料。



食事はとり新。祇園の白川沿いにある焼鳥屋さんで、これで3回目かな。焼き方さんは女性て、給仕を弟さんがやっていたのだけど、今回は若いというか女の子でした。



ご飯物の付かない安いほうのコースは2,100円。



左は蓮根。



右上の一本は上の写真と重複してます。のんびり食べていたら次の皿が来ちゃったので。


つまり計7本です。少食なので、こんなもんで充分です(爆)。


次に行ったのはメンバーズバーのen。



いつも通りフルーツを頂き、ふみさんとお話し。


実は都の賑わいが終わって八坂さんに行った帰りに交差点でふみさんとばったり遭遇しておったのです。



小腹が空くかもしれないので、帰りに祇園プリンを購入しました。


翌日は



映画 国宝のロケ地、先斗町歌舞練場。何回も出てきましたねえ。



朝の八坂さんで、



茅の輪くぐり。夏越しの祓いです。



白川を登って東山駅に出て、山科へ。在来線で米原まで移動して新幹線ひかりで帰郷。京都駅は混んでいて嫌いです。


今年は宇治まで水無月を買いに行けなかったのが残念です。


ね。

いったん家に帰って仕切り直しで別府を目指す。なんとなく走っていくと豊前善光寺駅なる駅があって、もしかすると近くに善光寺があるのだろうかと調べてみると、豊前善光寺がありました。日本三善光寺だとも書いてある。



豊前善光寺の南門


ここからアプローチすると道が狭くて車が止められないので、大通りにある駐車場から、そこを利用することになる。中に見える車はおそらくお寺の車だと思う。



本堂


ここは空也上人が長野の善光寺から仏託を受けて九州に来て、さらに宇佐神宮に参籠したおりに神託を受けてこの地に開山したのだという。西暦958年のこと。



こちらが空也上人の五輪塔



閻魔堂



石仏がいっぱいあった。そして誰にも会わなかった。


次に空也上人に神託を授けた宇佐神宮へ。



宇佐神宮の御神体は比売大神。その比売大神こそ卑弥呼だという説があります。



日本一の水盤。その重さ24tあるそうです。これ、大型トラックでも運べません。トレーラーじゃないと過積載になってしまいますねえ。



左が上宮、右が下宮の鳥居となります。伊勢のように内宮、外宮なのかと勘違いしていましたが、上下なのですね。



こちらは下宮三社。ルート的には上下の順に回るように道順が出来ておりましたが、そんなことを気がつく前に外宮が先だからこっちはと来ました。べも外宮ではなく下宮だったわけで、それはどうなんだろう。


参拝方法は、二礼、四拍手、一礼です。


特別感がありますが、そういえば道鏡が皇位を狙った時に御神託を発して阻止したのが、まさにこの宇佐神宮でした。



こちらは上宮


共に三殿あり、一之御殿は八幡大神(応神天皇)、二之御殿は比売大神、三之御殿は神功皇后が祀られております。


宇佐神宮は八幡総本宮ですからね。



上宮にあった神井



菱形池の中の島には神楽殿や水分神社があります。



御霊水の奥の山が亀山と呼ばれる場所で、卑弥呼の古墳ではないかという説があります。



こちらが御霊水の井戸


宇佐神宮は初めてではないはずなのですが、まったく記憶と違っておりました。一緒に来た今は亡き横浜のおっちゃんはあまりじっくり観たりしない人だったからねえ、一瞬で次に行ったのかも。と言いながら、弁慶もずいぶん大急ぎで摂社まではお参りしておりません。



お昼は名物らしかった、どじょうの柳川鍋で頂いきました。


ね。


早朝に高塔山のあじさい祭りを見に行きました。関東にもテレビで紹介されていたらしいですね。


なぜ早朝なのかというと、その後で別府に出かけようとしていたからです🤭



うちの会社も協賛させてもらいましたが、看板に掲載されるほどは、出しておりません。ゴミ箱に掲載。



ここは夜景が綺麗だとは前任者から聞いておりました。



で、その展望台に行ってみました。



主役のあじさい。



こちらは、かっぱ封じ地蔵


本当のかっぱ封じ地蔵の伝説は、修多羅(すたら)村の河童が馬を川に引き込もうとしたところを、庄屋に捕まって、背中に船釘を打ち込まれ、この釘があるうちは悪いことをしませんと誓わされたというものです。


ところで、地蔵とは呼ばれていますが、本当は虚空蔵菩薩ですよ。



もうひとつ、普通に語られている伝説があり、こちらは火野葦平氏の小説が元で、有名になってしまったかっぱ封じ地蔵の伝説。高塔山の上空で、島郷と修多羅の河童が縄張りを争って空中戦をしたが、戦死した河童はドロドロに溶けて田畑に流れ込み作物を腐られてしまった。それを聞きつけた山伏が河童たちを地中に封じ込めようとこの地蔵の前で祈祷して、河童たちと壮絶な戦いになった。後略。


「石と釘」という作品だそうなので、興味があったら読んでくだされ。


ね。




次に訪れたのは大江天主堂



大江天主堂は、キリスト教が解禁されたあと、最も早く活動を開始したところなのだそうです。



昭和8年に、フランス人宣教師ガルニエ神父が地元の信者と協力して建設したロマネスク様式の天主堂です。


この大江天主堂には、吉井勇の歌碑があるそうです。 


白秋と ともに泊まりし 天草の

大江の宿伴天連の宿


なにぞや怪しい白秋という文字。


それを知ったのは大江天主堂の膝下のある天草ロザリオ館の展示資料を眺めていた時。まずは吉井勇?って話ですが、



祇園の白川沿いにある、かにかくに碑。この歌の作者が、吉井勇氏です。


かにかくに 祇園はこひし 寝るときも

枕のしたを みずのながるる


吉井勇氏は天草に与謝野寛が引率して旅をした学生のひとりとして来たのでした。これを五足の靴と言います。その他のメンバーは太田正雄、北原白秋、平野万里で、この時の紀行文は東京ニ六新聞紙面に連載されました。


歌の白秋は、北原白秋だというわけですね。


吉井勇は、比叡山の東塔にもその歌碑があって、なんとなく親しみを感じます。別に歌には興味ないんですけれど(爆)。



天草四郎ミュージアムにも立ち寄りました。



旅の最後の食事はルボンヌで頂きました



私は海老フライとハンバーグのランチでした。


2日目は熊本駅に戻って15時台の新幹線に乗る必要がありましたから、あまり気が抜けませんでしたね。乗り遅れると帰り着けなくなるので、弁慶宅に全員連れて行かなくてはならなくなりますから。


ね。


ダブル抗原検査陰性、風邪症状なしの不明熱が続いてしばし間が開きましたが、回復していませんが続きです。


フェリーから降りて向かったのは世界遺産の崎津集落。



まずは崎津天主堂


この日はちょうど葬儀があり、受付などが用意されておりましたが、内部にも入ることができました。平戸の天主堂と比べると素朴な感じがしたのは、ステンドグラスがおとなしいからでしょうか。



フランス座宣教師ハルブ神父の記念碑


昭和9年にハルブ神父の指導のもと、鉄川与助が建築しました。



ゴシック様式で前側は鉄筋コンクリート造、後側は木造ということですが、これは資金難の問題があったからのようです。



こちらはハルブ記念堂。ここの山側(斜め右後ろ)に旧崎津天主堂があったようです。



たぶんこの上なのかな。ちょっとよくわかりませんでした。



さらに山側の崎津諏訪神社。隠れキリシタン達はキリスト教に帰依すると同時に寺の檀家に名を連ね、またこの諏訪神社の氏子でもありました。



記念堂の奥に佇むハルブ神父の墓です。



さて、崎津集落には野良猫が何匹か生息しておりまして、この虎は岩合さんが撮影に訪れた際に四郎と名付けられた野良ですが、すっかりこのお店がお気に入りでいつも入り浸りのようです。



彼はじっとしていたけれど、体調悪いのかな。



茶っぽい黒猫と遊ぶ元コドラ氏ですが、彼は保護猫ボランティアを日頃からやっております。



海に向かう海上マリア像。崎津の漁師の船の運航を見守っております。この方角に夕陽が沈むのですよ。すごく綺麗なんですがね。帰路を急ぎます。


ね。