朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -8ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

西があれば東もあります。



天岩戸神社 東本宮は、神官の言葉を借りれば、天岩戸に隠れた人(後の天照皇大神)が住んでいたあたりにあるとのこと。



拝殿



奥に進んで行くと七本杉という神域があります。7本の杉の根が繋がっている珍しい杉なのだそうです。


東本宮は西本宮から岩戸川を超えた反対側にありますので、この先に進むと天岩戸ということになりますが、まさにこの写真をとっている場所より先には進めません。


さて、事前調査はほとんどしていないので知りませんでしたが、天岩戸神社には五社巡りというなのがありまして、せっかくなので廻ってみることにしたわけですが、御朱印は全て西本宮で頂くことになります。だから回らなくても御朱印は揃うのでありますが、弁慶は真面目なので廻りますよ。



まずは石神神社。御祭神は国常立命。


左におわしますのは、高千穂神楽28番のの手力雄命の像。


石神神社は牛神神社から転じたようで、牛馬の守護神としての信仰が厚いようです。



本殿。無人ですが、しっかり管理されていることがわかる神社です。



近くには尾戸の口棚田があります。


次は五社巡りではないのですが、途中にあったので立ち寄ることにしました。



猫の出迎えあり。



八大龍王水神


こちらは何やら参拝者が多くてかなり信仰されている感があります。八大龍王は、八つの頭を持つので、二拍手ではなく八拍手するのだそうです。


普通にお参りして境内を見て回っていると、何やらやたらと拍手を続ける参拝者がいたので、こそっと調べてみたら、そんな記述を見つけました。


さて、一度西本宮の前を通り過ぎて、離合の出来ないような細い道をひたすら走って、まだかなあと思う頃にようやく到着するのが、



鉾神社。御祭神は日子穂穂出見命、豊玉比売命、菅原道真。


こちらにあるのは18番の八鉢の像。


もともとは鉾峠にあったのを、麓に移したそうです。



拝殿と本殿。こちらも無人ですが、ちょうど氏子の集会みたいなことが行われていたので、神主さんとご挨拶しましたよ。



この近くからも棚田の景色が見られます。良い景色だなあ。


ここから戻って途中の橋を渡り、天岩戸がある側の山道を走ります。やはり、というか、こっちはさらに細いかも。



二嶽神社。八幡大神、若宮大神、菅原道真が御祭神。



こちらも拝殿、奥に本殿。そしてこちらは26番柴引の像がありました。


疲れちゃったので、西本宮に行って三ヶ所の御朱印を貰って、本日は終了です。


ね。

そして、また山の中を走り回って天岩戸神社に到着。山の中と言っても阿蘇は草原の中とかも多いので、ちょっと景色が違いますよね。途中で子鹿さん轢かれてましたが。


 

天岩戸神社 西本宮



古事記にも日本書紀にも記述のある天岩戸がある神社です。



ですので、天照皇大神を祀った神社です。



西本宮の拝殿。天岩戸はこの裏に流れる岩戸川の対岸に開いております。無料の案内があり、30分に一度、神官の案内のもと、この拝殿の裏側から直接お参り出来ます。



こちらは、神楽殿であり、天安河原の遥拝所でもあります。


昔、東本宮あたりに住まわれていた人がいて、天岩戸へも出入りしていた。弟が乱暴者で天岩戸に隠れてしまって、それでどうしようかとみんなで集まって相談した場所が天安河原。


ここ高千穂では、神とは呼んでいなくて人だったのが、鹿児島の霧島連山、高千穂峰のほうで神と呼ばれるようになって、ここ高千穂でもそれに倣って神と呼ぶようになった。


日本に米を広めたのは3人ほどいたと言われているご、その1人が神武天皇だと思われる。神武天皇は、おそらく中国地方に稲作を指導しながら近畿へと移動していった。広島、岡山で10年くらい滞在しているが何をしていたかは記録がないが、おそらく米を普及させていたのではないか。


食糧を安定的に供給してくれた神武天皇を、人々は神様のようだと思った。そうなれば、神武天皇の子孫は神の子孫になる。そして祖先は神ということになる。


世界的に万物は神だったが、キリストやモーゼが現れてた。一神教なので、それまでの神々は否定されて神は唯一の存在となった。でも日本ではそうはならず、万物も神であり続けた。八百万の神という発想は生き続けたわけ。


でも神道は人間関係の問題は解決する術がない。古事記でも神様同士がしょっちゅう喧嘩しているわけで、そういうことに対応するのは苦手だ。それで仏教が導入された。仏教はそういったことが得意だったからだ。


などという話を案内をしてくれた神官の方が最後にされました。なかなか面白い話でした。



天安河原へは、西本宮から15分くらい歩きます。まずは河原へと降りていきます。



下流左側に天岩戸があるはずですが、こここらは当然見えません。左から流れる川の上流に天安河原があります。



橋を渡り、右へと進みます。河原には大きな甌穴が並んでいますね。



天安河原宮に到着。神域ですが、ここは立ち入り可能です。



中側からの眺め。誰も居ないわけではなくて、最初に来た時は観光客でいっぱいでした。これは、翌朝まだ観光客で賑わう前に再訪した時の写真です。もう一度訪れたい場所だったからです。緑が綺麗で安まります。


ね。



福岡はもちろん宿泊歴あり。佐賀は先日、唐津に泊まった。そして鹿児島にも泊まった。熊本は太古の昔に亡き横浜のおっさんと黒川に泊まった。


九州で泊まってない県は宮崎と長崎ということで、まずは宮崎を目指します。


早朝に出発して、九州のど真ん中を突っ切るように南下し、道の駅小石原で一休み。次に止まったのは



上色見熊野座神社


伊邪那岐命、伊邪那美命、岩君大将軍(健磐龍命の荒玉)を祀った神社です。


ここは天岩戸に行くことを決めたあと、何かのメディアで見た神社で、行き先に追加したのでした。



ずっと登ります。最近出かけると、登り下りが激しいんです。関東ってやっぱり平なんだと実感しますよ。



拝殿と本殿。お参りしたら、その裏に何か見えたので、それを目指して登って行きました。



なんと裏山の岩に風穴が開いていた!穿戸岩(うげといわ)といいます。


あとで観光協会の人から、あれは足で蹴破った穴ということになっていると教えてもらいました。


蹴破ったのは、鬼八という健磐龍命(たけいわつのみこと)の家来で、健磐龍命が阿蘇山から放った弓矢を拾わせたところ、100本の屋を足指に挟んで投げ返したことから健磐龍命が激怒し、追い回した時にこの地で山に逃げ道を阻まれて、蹴破って逃げたという話だそうです。



高森町観光協会は高森駅の前にあって、御朱印はこちらで頂くことができます。



トロッコ列車が発車を待っておりました。路線はどんな感じなのかと地図を眺めていたら、白蛇の神社があったので、訪ねてみました。



白蛇神社 阿蘇白水龍神権現



まずは銭洗い弁財天で、お金洗って死ぬまでお金に苦労しないようにとお願いしました(爆)。



こちらは悲しみを流してくれる弁財天です。



七福神もありました。



茅の輪くぐりもありました。



本殿と、その手前にあるのは阿蘇五岳岩



白水龍神岩と白蛇様拝観所



中の待合室に説明書きがありました。


お参りして、最後に財布とスマホを三宝に載せて、その上に白蛇様がとぐろをまいてくださりますので、さらに手をかざしお願い事を唱えるということができます。


そして三ヶ月有効のお札を頂戴しておしまいです。


一応、一千円。



境内にはお稲荷さんも鎮座されておりました。



お地蔵さんもおられます。


というところでした。信仰を集めている神社らしく参拝する方は多めだと感じました。さて、願いはかないますでしょうか。


ね。

本当は別府温泉の話の予定なのですが、体調を崩して原因不明の微熱が続きましてね、それで気力を無くした私はしばらく書かないうちに入った温泉について、どんなだったか覚えていないことがわかりましたよ。 


で身体のほうはですね、



町医者で原因がわからんので大病院に紹介状持って行きました。身体中、神経痛、筋肉痛みたいな症状を訴えたので、総合内科の中でもリウマチ内科に行きましたよ。


血🩸、抜かれてね。


まあ、わからない。何かのウイルスだろうと。もっと高齢でもっと続いたら8割ガンなんだけどねって言われた。


一応、発熱は5日、そのあと3日たってからまた夜出たが、その2日後には京都におりました(爆)。



おおきに財団 五花街合同公演、都の賑わいは、毎年6月の最終終末2日間だけの公演です。


弁慶は財団の友の会に入っているので、二等席の招待を受けられるのですが、今年は追金をして特等席にグレードアップ。


ちなみに、数年前、それをやった時は前日に急性前立腺炎で入院するハメになり無駄にしたトラウマがあり、それ以来大人しく二等で観ていたのですが、今年はそのトラウマを克服するべくグレードアップしたわけで、その上での発熱は、すごーーーく嫌な感じだったです。



特等席のイメージは、前の方の席だったのですが、届いた券には、桟敷席が記入されておりました。けっこう後ろやないか!


隣は見ず知らずの爺様で、一番観たかったトップの先斗町の途中から遅れてくるし、定期的にポケットや鞄をゴソゴソやるし、これはこれで新たなトラウマになりそうでした。



ホテルはリソル三条河原町。株主優待の金券が6月で使用期限を迎えるので、ギリギリ無駄にせずに済みました。


ここは部屋じゃなくて談話室みたいなところ。コーヒー無料。



食事はとり新。祇園の白川沿いにある焼鳥屋さんで、これで3回目かな。焼き方さんは女性て、給仕を弟さんがやっていたのだけど、今回は若いというか女の子でした。



ご飯物の付かない安いほうのコースは2,100円。



左は蓮根。



右上の一本は上の写真と重複してます。のんびり食べていたら次の皿が来ちゃったので。


つまり計7本です。少食なので、こんなもんで充分です(爆)。


次に行ったのはメンバーズバーのen。



いつも通りフルーツを頂き、ふみさんとお話し。


実は都の賑わいが終わって八坂さんに行った帰りに交差点でふみさんとばったり遭遇しておったのです。



小腹が空くかもしれないので、帰りに祇園プリンを購入しました。


翌日は



映画 国宝のロケ地、先斗町歌舞練場。何回も出てきましたねえ。



朝の八坂さんで、



茅の輪くぐり。夏越しの祓いです。



白川を登って東山駅に出て、山科へ。在来線で米原まで移動して新幹線ひかりで帰郷。京都駅は混んでいて嫌いです。


今年は宇治まで水無月を買いに行けなかったのが残念です。


ね。

いったん家に帰って仕切り直しで別府を目指す。なんとなく走っていくと豊前善光寺駅なる駅があって、もしかすると近くに善光寺があるのだろうかと調べてみると、豊前善光寺がありました。日本三善光寺だとも書いてある。



豊前善光寺の南門


ここからアプローチすると道が狭くて車が止められないので、大通りにある駐車場から、そこを利用することになる。中に見える車はおそらくお寺の車だと思う。



本堂


ここは空也上人が長野の善光寺から仏託を受けて九州に来て、さらに宇佐神宮に参籠したおりに神託を受けてこの地に開山したのだという。西暦958年のこと。



こちらが空也上人の五輪塔



閻魔堂



石仏がいっぱいあった。そして誰にも会わなかった。


次に空也上人に神託を授けた宇佐神宮へ。



宇佐神宮の御神体は比売大神。その比売大神こそ卑弥呼だという説があります。



日本一の水盤。その重さ24tあるそうです。これ、大型トラックでも運べません。トレーラーじゃないと過積載になってしまいますねえ。



左が上宮、右が下宮の鳥居となります。伊勢のように内宮、外宮なのかと勘違いしていましたが、上下なのですね。



こちらは下宮三社。ルート的には上下の順に回るように道順が出来ておりましたが、そんなことを気がつく前に外宮が先だからこっちはと来ました。べも外宮ではなく下宮だったわけで、それはどうなんだろう。


参拝方法は、二礼、四拍手、一礼です。


特別感がありますが、そういえば道鏡が皇位を狙った時に御神託を発して阻止したのが、まさにこの宇佐神宮でした。



こちらは上宮


共に三殿あり、一之御殿は八幡大神(応神天皇)、二之御殿は比売大神、三之御殿は神功皇后が祀られております。


宇佐神宮は八幡総本宮ですからね。



上宮にあった神井



菱形池の中の島には神楽殿や水分神社があります。



御霊水の奥の山が亀山と呼ばれる場所で、卑弥呼の古墳ではないかという説があります。



こちらが御霊水の井戸


宇佐神宮は初めてではないはずなのですが、まったく記憶と違っておりました。一緒に来た今は亡き横浜のおっちゃんはあまりじっくり観たりしない人だったからねえ、一瞬で次に行ったのかも。と言いながら、弁慶もずいぶん大急ぎで摂社まではお参りしておりません。



お昼は名物らしかった、どじょうの柳川鍋で頂いきました。


ね。