朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -54ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

入院した親父をほったらかしにして京都を旅する弁慶の日記のつづきです。


祇園の路地にあった庶民的な喫茶店でアイスコーヒーを飲んでクールダウンし、いざ南座へ。



南座の3階席の一番前です。(注1、この席のチケットは友の会で貰えるのです。以前、ランクアップして1等席の差額を追加支払したことがありますが、その時、入院して行けなくなったことがトラウマとなって、未だにランクアップ出来ない小心者です。)


伝統芸能的なものを見る習慣はまったくなかったけれど、3階席とかは京都の若い人も老いた人もおっちゃんもおばちゃんも普通に観にきてる感じがあります。そういった素養のある人たちがある程度の割合でいるこの街で遊ぶには、やはり機会があれば観ておかないとちょっと楽しくない時間ができたりすると感じます。




一部と二部の間でトイレに行くと、5月にあんず家さんでポテサラを半分ずつ食べた知恩院のお坊さんと偶然再会してびっくりしました。ということもあるんですよね。これで次回お会いしたらまた話が出来る😄。


ちなみに私は墓仕舞いを考えているので、それも相談してみようかな。ということにもなるじゃないですか。



先斗町は長唄でした。西陣のとある場所の縁で知り合いになった外語大の三味線を習う女子大生は長唄はカッコ良いと言うけれど、弁慶にはよくわからない。でもなんとも衣装が婆娑羅な感じで良かったとか、市真芽さんて唄上手なんだとか、まあ、こんなことを感じるだけでも良いと思います(爆)。


南座の都の賑わいが終わると、ホテルで一休みしてから瓢亭へと向かいました。


瓢亭は、400年の歴史を誇る京都の老舗の料理屋さんです。毎年、都の賑いの日に「五花街の夕べ」という宴席があって、今年は先斗町が瓢亭だったのです。(昨年は菊乃井本店でした。)老舗の料亭なんか、こんな機会がないと行けない😆。



2つの間の間にある襖を取っ払って一部屋にしているので床間が2つありました。



畳に足が入る穴が開いていて、掘り炬燵のように座れる仕掛けでした。


事前にお酒のチケットを買うシステムで、これは無粋な気がしますが、私の予想では芸妓は去年同様、秀知紗さんでしたので、また席に来たら飲んでもらおうとお酒の他にビールもお願いしておきました。(ところが予想は外れて、立方は舞妓2人。これではお酒は勧められませんから、すべて自分で消費です😓。)


宴席は、まずは先斗町から地方のかづ美さん、舞妓の秀好さん、秀亀さんの舞いから始まり、女将のご挨拶などあって、お料理へとうつります。今年もかづ美さん、賑いとのダブルヘッダーです。それほど地方さんは少なくなってしまったのだと言ってました。


(なお、運営から肖像権があるので、芸舞妓さんの写真は個人でお楽しみくださいとのアナウンスがありましたので、顔の写った画像はありません。)



先付 水無月豆腐


京都では6月30日に和菓子の水無月を食べる風習があり、その水無月を形どった豆腐の料理です。周りの出汁の中に見えるのはじゅん菜。



前菜。瓢亭玉子は、瓢亭がまだ茶店だった江戸時代の初期から出されていた伝統のメニュー。蓮の下には甘鯛の寿司。左下は鱚の昆布〆、さつま芋、隣は焼鰈。



煮物椀。鱧と冬瓜と菅牛蒡。


芯をくり抜いた菅牛蒡、あるいは筒牛蒡は、北大路の照月で初めて頂くまで、私は知りませんでした。だからこの菅牛蒡を見た時に、病院療養中の照月の料理長を想いました。(でも帰ってから訃報を聞きました。すでに4月に亡くなられていたそうです。ご冥福をお祈りします。)



焼物は鮎。


向付の明石鯛のへぎ切りは、撮影を忘れて食べてしまいました😅



焚き合わせ。こちらは穴子を賀茂茄子に合わせています。



ご飯は新生姜ご飯に、鰻を載せて、赤出汁には湯葉と焼いた小茄子でした。



水物。メロン、枇杷コンポート、玉子アイス。



献立にはなかった紫陽花の和菓子は、女将からの差入らしく、我々客だけでなく、芸舞妓さんへも振舞われました。様子を見ていたら、芸妓のかず美さんが手を付けるまで、2人の舞妓さんも手を付けずにいるのです。そういった躾をされているのですね。


これは私の菓子ではなく、秀好さんが頂戴した物ですが、お菓子を持った様子の写真を撮れというので撮りました(笑)。それを編集してます。



抹茶で〆です。


まだまだ京都のタクシー事情は改善されていないらしく、更にこのような宴会が五箇所で同じように開催されているので、タクシーを頼まれた客はしばらく待つかもしれないようでした。



歩くとそれなりにある距離で、実は私も来る時はタクシーで来たのですが、帰りは酔い覚ましに歩いて帰るつもりでしたから、ぶらぶらと歩いて帰りました。


夜9時でも、マルシン飯店には行列ができていまるのですね。いつになったら食べられるでしょうかね。私は待つのは嫌いなんですよね。



あ、日本ローマ字学会だ(特に意味はない😆)。


先斗町に立ち寄ってみると亜弥さんはいつも通り休みでした。踊りがあったので、もしかしたらやってるかなと思ったのですが残念でした。他にどこか行こうかなとも思いましたが、翌日は早いので、そのままホテルに帰って寝ました。



翌日、亜弥さんからメールが来たので見ると、昼から秀好さんと宴会に来ているとのことで、秀好さんが御守りを手に写ってました。御辰稲荷の御守りを、辰年生まれだからとすごく喜んでもらえて良かったです。


ね。

入院した親父をほったらかしにして京都に出かけた親不孝者の日記のつづきです。


四条烏丸あたりに泊まったのは初めてなので、近くの京都の朝ごはんを食べに行ってみた。



京菜味のむら烏丸本店



小鉢6つ選んで食べる朝ごはんは850円。自販機でまずはチケット買って、その後で6つ選んで席に付くと、ご飯と味噌汁が運ばれてくる。私は健康的に雑穀を選んだ。


北大路に地下鉄で移動して、北大路バスターミナルから北1路線で鷹峰へ。



源光庵の悟りの窓と迷いの窓はあまりにも有名ですが、以前鷹峰に行った頃は、公開を休止していたのでこれが初めてでした。青紅葉が綺麗です。



源光庵はまた伏見城の血天井でも知られるお寺です。どうする家康やってるし旬だけど、鳥居元忠は俳優の顔が浮かんでしまう。


見上げると血の跡が残る天井があるのですが、座って窓を眺めていたら、ちょっと背筋に冷たい感覚があったので、写真は撮りませんでした。私は霊感はまるっきりないですけどね😓



御本尊とかまで撮影しようとは思いませんが、それ以外はこのように撮影させてくれると、記憶力の衰えた老人にはありがたいです。



面白い香炉でした。襖の書も好きです。



続いて光悦寺へ移動。風情のある参道は、参拝者の迷惑になるので写真撮影は禁止でした。


光悦寺の庭園の茶室と光悦垣。



茶室がいくつもありましたが、閉ざされているので部屋の様子はわかりませんでした。



続いて吉野太夫花供養で訪れたことのある常照寺。こちらは吉野太夫が寄贈した朱門で、吉野門と呼ばれている。



常照寺の吉野窓。この形な窓を太夫が好んだことから、そう呼ばれるようになった。



庭の紫陽花。



この天狗の団扇みたいな葉は何の葉なのだろう。


あと写真禁止で何も撮ってないけれど、常照寺の前に寄った圓成寺は霊場のある寺で好みであったよ。しばらくのんびり出来ちゃう感じだった。


さて、昼はウケ狙いで丸太町のチャーミングチャーハンへ移動しました。



もうジジイなので普通に豚キムチ定食のご飯をチャーハンにチェンジして誤魔化しているが、若かったら



焼飯(チャーハン付800円)一択です。他を選ぶ理由がない😆


そこからは丸太町通りを移動して平安神宮の上にある御辰稲荷神社で芸能上達御守を購入しました。これにはとある魂胆があります(爆)。


更に歩いて八坂神社、目疾地蔵尊の仲源寺といういつものお参り。目疾地蔵尊はめやみと読みますが、もともとは鴨川野氾濫から守って頂く為の雨止み地蔵尊だったそうです。それが治水事業で氾濫しなくなった後、「あ」がどこかにいなくなった(爆)。


更に織田有楽斎の正伝永源院のまたまたやってる特別公開にまで足を延ばしました。



今回は庭に降りて有楽斎の茶室、如庵を忠実に再現した新しい如庵と、



庭の景色が見られて良かったです。ここから南座はすぐだけど、その前に冷たいアイスコーヒーを飲んで整えてから向かいましょう。


ね。

流石に父親の部屋にはカメラはない。しかし入口が見える位置にはカメラがあるので、部屋への出入りは確認できる。前夜、部屋に戻った後の動きはないことがわかったので、親父は10時間以上、うつ伏せでいたはずなのに、発見した時のあの呑気な様子は何なのだろう。


思うに時間認知力の低下なのか。入院した部屋は4人部屋のはずだが、テレビも何も無い白い部屋にいると言っていたから空間認知力も低下なのか、それとも白内障で目が見えないのか。


いずれにしろ、病院は週1回前日予約で面会室でしか面会が出来ない。それに日曜日は面会不可なので特にやれることもない。


ということで、火曜日にはキャンセル料を払って東海ツアーズの宿泊付のツアーはキャンセルしたのだけど、あらためて木曜日から最近お気に入りにしているホテルグループの検索を初めて金曜日に四条烏丸のホテルが予約が出来た。これキャンセルが出るタイミング待ちみたいなもんだね。


でも土曜日は午前は出勤。そこから直行したのは三室戸寺。



JRは黄檗の次は宇治なので、黄檗で京阪に乗り換えて三室戸に来ました。



三室戸寺に向かって歩いているとハッピー六原の三室戸店がありました。京都に通い始めた頃はまだCovid-19なんてウィルスは流行していなかったので宿が取りにくく、良く六原のホステルを利用していたのです。近くにはハッピー六原の本店があって、すごく興味を惹かれていたんですよね😊。



ライトアップは19時開園で、でもこの時期、まだ明るくてもっと遅くくれば良かったと、ひたすら時の過ぎるのを待ちます。



でも時はなかなか過ぎないので、綺麗な紫陽花を近接で撮影。



赤い紫陽花って珍しいよね。



撮影ポイントはここどう撮るかって感じかなと思ったので、うろうろします。



少し日が暮れてきて、やっぱりあの空がポイントだよなと探ります。



東屋のライトに白い紫陽花が照らされる場所があったので、そこで撮ってみました。葉っぱが汚いなあ。でも加工なしでこの空の色が凄かった。



更に遅い時間になると、また空はおとなしくなりました。あとは暗くなるだけでした。


京都駅から地下鉄で四条烏丸に移動しホテルにチェックイン。そこから祇園のワインバーへと向かいました。



駅を降りると祇園祭のお囃子が聴こえたので、どこから聞こえているのかなと音を頼りに向かって行くと函谷鉾でした。



祇園のお店は会員制ですが、なぜ入れるかと言えば北大路 照月の綾乃女将のツテです。



ママのフミさんからは健康なフルーツの食べ方について指導して頂いております。お店もフルーツとワインのお店なのですが、私はハイボールを頂きます😓。



レモンと塩で頂くサラダはいったい何種類の野菜が入っているのでしょうか。特に頼まなくても作ってくれるので楽です。



近くの喫茶店からの出前の玉子サンドは、ふわふわの出汁巻き玉子焼きが挟んである京風で850円。これ、美味しいね。



翌日来る予定の南座、都の賑わい。このチケットはキャンセル出来ないし、その後の五花街の夕べは、キャンセル料払えばキャンセル出来たけれど、この機会を逃すともう行くことはないかもしれないので。


ちなみにこれは行きで、帰りはもう日が変わってライトも消えていた😓。


ね。







朝起きて鮭を焼き、玉子焼きや惣菜を2つの皿に分けたり2食分に相当するようにして、昼用のパンを食卓にわかるように置き、庭に出て朝顔に水を撒き、ごみを出してからシャワーを浴びて着替えた。



この朝顔は絶対エアコンを使わない親父の部屋の緑のカーテンになる予定なんだけどさ。


さて、出かける前に親父の様子を見ようかなと、普段は見ない部屋の方を見るとなぜか足が見えた。普段見ないのは唸り声で生きてることがわかるからで、唸っているのはいつものことだから、それは異常ではないってことなんだよね。だが、普通に寝ていれば足は見えないので、おかしいなと近寄って行くと畳にうつ伏せで倒れていた。


そう、普段通りうなっているから寝ていたというべきなのか。「どした?」と聞くと、「肩が凝ったからシップを貼ってくれ」と言うので、貼ってやった。これだけでかなりちんぷんかんぷんなのがわかるでしょ😆。


「で、どうする」と聞く。私には直感的に、これはただ、この状態から動けないのだとわかった。亀の反対バージョンというか、スタックした車と言うか、いずれにしろこの状態から抜け出せれば、普通に戻るはず。だか抜け出すのはかなり困難なはずだ。


「立てば平気なんだよ」と答えるから「それが問題だべ」と言うと両手を突っ張り上体を浮かそうとするが、ほとんど何も変わらない。首は右向いていて、主に突っ張っているのは左手、そして右足を曲げている。なんかチグハグに見える。


冷静に考えよう。まず、肩あたりに着いている手なり、頭なりを支点にして、足を使って腰を浮かせ膝を着いた状態を作り、そこで上体を腕で上がる。四つん這いになれば、そこから立てる。


さあ、やろう。でも膝を曲げても腰を上げるような動きはせず、畳を蹴りだす始末だ。


では次の手段。寝返りして横向気になろう。そこからなら、あとはいつもの手順で立てる。さ、どっちかの腕をたたんで横向き。ということで、腕をたたませようとすると逆に突っ張ったり、痛い痛いと抵抗する。


これは絶対無理だよな。どこを持ち上げようとしたって痛い痛いの連呼だし、そもそも私は介護のスペシャリストではない。どこをどう介助したら良いかなんてわからない。困った😓。


再度確認すると本人は立てる気らしい。会社行っちゃっても良いらしい。仕方ないのでしばらく様子を見るが、無駄に力を振り絞るだけで、様子はまるで変わらない。


そんなことを数回繰り返し、私は絶対起き上がれないことと、起き上がれれば立てるだろうということの狭間で困惑する。


2時間経過で救急相談に電話し、相談。3時間経過して開院した主治医に相談。いずれも私の私観は述べないで状況を説明すると、いずれも救急車呼ぶしかないと言う。救急車を呼べば入院を拒否するわけにもいかないだろう。


2週間前に通院した時に主治医から一緒に出直して来るように呼び出しがあったが、親父は嫌がって行かなかった。主治医は入院レベルな体調だと判断して、それが嫌なら在宅介護はどうかと勧めてくれた。それを話しても、はぐらかして聞こうともしない。在宅介護をお願いしていれば、救急車一択にはならなかったんだよ。と、私の中ではいろいろな思いが駆け巡るが、


相変わらず状況を理解せずにシップは大きいのを貼ったのか小さいのを貼ったのかなどと聞いてくる親父に、このまま放置したら、最終的には保護責任者遺棄致死になる可能性があるからそうは行かないんだとか、救急車呼んだら入院させられるけど、もう仕方ないだろと告げるが、どう理解しているかわからない。


救急車、呼びました。救急隊員3人がかりでも痛い痛いの連呼でしたが、あれは子供帰りなのだろうか。


以上で入院となりました。入院先は主治医に勧められて2年前に精密検査をしかかった病院。最初の検査で、詳しくは検査入院しないとわからないと言われたが拒否した病院。だから前回の検査資料は残っている。


状態の検査の結果は、肺癌と疑われる影は以前より大きくなっていて、それが原因と思われる胸水がたまり呼吸が圧迫され、若干酸素濃度が低い。腎臓も腎不全まではいかないが数値に問題ある。新たな状態としては尿閉。動けなくなった要因は特に見当たらない。


予想通りであった。病状も尿閉以外は主治医から聞いているので、わかっていること。肺癌の疑いを最初に指摘されたのはもう5年前でしたが、当時から手術、治療共に適応外と言われ、そんなことってあるのかって思ってましたが、もし治療していたらここまで生きてはいなかったのではないか、結果的に良かったのではないかと検査した医師は言ってました。


動けなくなったのはやはりその姿勢野問題で、身体的原因ではやはりなさそうです。本人的に何も変わっていないのです。


予定があってギリギリ間に合う時間だったので新幹線で東京に向かい商談していると、案の定、ベッドから立ち上がり、尿カテーテルを抜き、帰ると騒いでいるから拘束させてくれと病院から電話が来ました。で、問題はこれで立てなくなっちゃうんだよ、きっと。


かえすがえすも残念なのは、やはり在宅介護を話をした時に、ちゃんと聴いてくれていれば、まだ家に在られたし、自分の足で立って動けただろうと言うことです。これからどうなるのだろう。


ね。

昨夜、親父は16時からテーブルに座ってテレビを見始めた。そしておもむろに酒を飲み始めた、といっても、もう一合も飲まないくらいなのだが、そこで私は冷蔵庫からブリの刺身を半分とだし巻き玉子を用意して出した。やはり酒飲みはすぐに終わったので、寿司を出した。どうせ残すのでイカはつまんで食べた。残りを半分くらい食べ、立ち上がった。寝るのだろう。


2ヶ月くらい前から時間を把握できていないらしい。朝から酒を飲んだり、昼前に風呂に入ったり、夜中に起きて来て夜中だと伝えても、一回戻ってまた起きてくるようになった。おかげで私は慢性的に寝不足である。だからそんな時間に夕食なのはぜんぜんありきたりのことだ。


さて、私は同級生との飲み会があったので、17時半に家を出た。するとだ、18時に再び食卓にやって来て、冷蔵庫から残った寿司を出し、さらには米をよそって醤油をかけて食べ、18時半にまた寝た。


我が家は中国並みに監視社会であり、至る所に監視カメラがあり、私はスマホから確認できるのでこのくらいのことはわかる。


認知症が進むと何度でも飯を食べるというが、とうとうそれが来たらしい。困った😓。



その頃私はハンガリー料理🇭🇺を食べようとしていた。


Cafe & Bar あき


ハンガリー人のシェフが作る本格ハンガリー料理。



注文は人任せにしたので、私は何を頼んだのかはよくわからない😆



2件目は居酒屋で前橋の日本酒で知り合いが作っている「結人」があったから、それを飲んだ。



翌日は車検からウラルを回収。親父に昼飯を食べさせてから外に出かけた。



ぱんどらの筐



タコライス


本当は別のステーキの店に行きたかったのだが、辿り着くと閉店していた。



帰って買物に出たらこいつが昼寝していた。MGやウラルを得意になって乗り回している奴だ。



猫よけのハーブをプランターで育てると、去年の朝顔が芽を出した。土に種が落ちて混ざっていたようだ。


猫よけパウダーを車庫やウラルの周りに撒いているが、それだと定期的に撒かねばならんので、ハーブで上手くいけばそれにこしたことはない。


18時を過ぎると親父が起きて来た。新聞がまだ来ていないというので、今は朝の6時じゃなくて夕方の6時だよと伝えると、ハハハと笑った。まあ、認知症の進行の度合いはあるが、もう半年もこんな生活をしている。先月までは一泊くらいは大丈夫と判断していたが、もうダメかもしれないな。と、こんな感じで書いていたのだが、


事件は翌日に起きた。


ね。