朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -49ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

滋賀で新幹線の窓に雨が当たる音で目が覚めた。



小雨の中、五条駅から五条大橋を小走りに渡るとトンビの鳴声が聴こえたので見上げると、川沿いの木にトンビが何羽も止まっていた。調べると、最近鴨川でトンビに食べ物を取られるとか、色々と被害が出ているようだ。


寺町をぶらぶらして、骨董屋さんなどを覗いたらして、一旦ホテルに戻ったあと一力茶屋の裏手に行くつもりだったのに勘違いして建仁寺の裏に出てしまった。急いだけれど約束の時間にわずかながら遅れてNさんに合流し、店に向かい店内で亜弥さんを待った。


今回の目的は3つ。おでん屋さんの女将の望んだ亜弥さんを連れてくることと、亜弥さんと三味線と唄を習うNさんとを出会わせることをかねた新年会みたいなもの。最後に翌日の飯室谷。


料理はアラカルトで注文して、私は最初はハイボールで始めたのだが、酒豪の2人に促されて日本酒🍶に移行😓。



おとおし1


湯葉うまし。



おとおし2


京野菜の大黒しめじのお椀は葛でとろみを付けているので、冬にはありがたい暖かさです。



肉刺し


胡麻油に塩を振ってくれているのだが、その塩加減がいつも絶妙で美味しい。



いちぼのたたきは柚子胡椒で頂きますが、柔らかくて美味しかった。



半熟卵、大根、蒟蒻、牛テール(和芥子、柚子胡椒)


牛テールはほぼ定番で頼む。



アイス


女子がいると、デザートも必要になるわけだ。


充分堪能してから、二次会は亜弥さんのお店へ徒歩移動。芸妓さんは着物でも歩くの速いからねえ。すたすたと向かう。



実は今回はNさんも着物である。


亜弥さんでは新年の福引があって、私は安定の6等だったが、Nさんは見事1位を引き当てて運の強さを見せつけてくれた。


運といえば、



カウンターで飲んでいると京都劇場で上演中の前進座の公演に出演中の地方のお師匠さん方が飲みに来て2階のカラオケのある部屋へ。


しばらくして三味線を習う女性が下にいると聞きつけたお師匠さん方から是非にとのお呼びがかかって、我々も合流させて頂くことになった💦。


Nさんの将来についてお師匠さん方から色々なアドバイスがあったりして、結局、亜弥さんとNさんは翌日の京都劇場の千秋楽に行くことになった。


なんだか、このところこのようなハプニングが続発しているが、京都のなせる技なのだろうね。



千秋楽を丁重にお断りした弁慶は、翌日は比叡山飯室谷まで出かけた。目的は火伏祈願と護摩供。



比叡山不動堂。実際の護摩は護摩堂で行われる。



新年初護摩で祈願した干支の形をした水晶入りの御守りは限定40個。この日から配布されると知っていたのだか、それ目的でガツガツ早く行くのは仏道に反すると感じるので、普通に向かって残っていたら頂こうと思っていた。幸い、まだ残っていて無事購入出来た。



護摩までの時間がまだあったので前回は行けなかった廃寺の安楽律院まで山を登って出かけてみた。登って行くと墓地があった。この中の一画に二度の千日回峰行を成した酒井大阿闍梨が眠っているのかなと思った。


そこから逆側に谷に降ったところに安楽律院はあった。



安楽律院の山門



安楽律院の説明が書いてある。


安楽谷は飯室谷の別所で、その昔、恵信僧都も隠棲したところであったそう。江戸時代には妙立、霊空などが厳しい戒律主義を唱導し、その一門を安楽律と呼びここに住した。


律院は1949年、放火によりそのほとんどを消失し、貴重な古仏書なども失われたのだそうだ。



火事で消失した僧坊の基礎だった石が残っている。



こちらは境内の地蔵菩薩。藤原定家の碑はどこにあるのかわからなかった。



現存する坊には、参拝者が記入するノートがあったので、記帳させて頂いた。


※比叡の大護摩のポスターより抜粋。飯室谷の住職は藤波原信大阿闍梨。


護摩供の様子は写真など撮れないので伝えられないけれど、火伏祈願のあったこの日は約2時間と普段より少し長い護摩供となった。


終了後、お下がりの手拭いと丸餅を頂戴し、山を徒歩で降った。



坂本の鶴喜そばは延暦寺御用達の老舗。



ビールと天麩羅で一息ついてから



季節限定の鴨汁せいろでご馳走様でした。



坂本の街は何組ものガイド付きツアーで賑わっていて、このような景色を眺めるのは初めてだった。


坂本に初めて来たのは6年前で、まだ新型コロナのパンデミックが起きるなんで誰も思ってなかったころだけど、ツアーをこんなに見ただろうか。記憶ないなあ。


ね。

正月休み2日目。いよいよ大晦日であるが、初日同様、掃除をする気力がわかない。カレンダーの具合が良くないから、次のゴミ回収は4日だし、それまでは家の中にゴミ袋を積んでおくことになる。


そこで、手元にあった先週の上洛時の京都ー高崎の往復切符の残りを使って高崎に出かけた。京都往復は割引が効く区間が神保原駅からなので、いつも起点は神保原と料金が同じ区間の高崎とか前橋にして買っている。



そば芳

0273-86-3615

群馬県高崎市通町90-13 黒沢ビル 1F

https://tabelog.com/gunma/A1001/A100102/10023588/


2回目の訪問。大晦日だけに待ちが必要だった。前に4組待機中で、思ったより回転が悪く、たぶん4、50分くらい待っただろうか。


だし巻きの天麩羅と、壁に入荷の案内が出ていた、姫の井の原酒を頂いた。原酒だけに19.5度と度数は高く、芳醇でとろりとした美味しいお酒だった。



蕎麦は三段を注文した。二八と十割、襷の三種。



襷は塩か山葵醤油がおすすめだとのことだが、味が強いので普通のつゆでは麺につゆが負けてしまうのだろう。



蕎麦湯も濃厚で美味しかった。



孤独のグルメにも出て来た映画館、高崎電気館では正月2日から寅さんが上映されるんだと知って行こうと思いながらも結局挫折した正月休みだった。



高崎からの帰り道、ほろ酔い気分でうとうとしてしまい目が覚めると岡部駅だった。気まぐれで道の駅まで歩いて、コーヒーの飲み納め。洞窟おじさんのロケで使った河原なんかも眺めながら、遠回りして1時間以上かけて家まで歩いた。おかげで大晦日の歩数は18,000歩超。


仮眠して夜に備えようとしたけれど、眠れなくて孤独のグルメを観て過ごす。



新年を迎えるとともに神川の金鑽大師に初詣。1時からの初護摩目当てなので、この行列には並ばずにすり抜けてお札を申し込んでから、本堂へ。


このお寺のご本尊は比叡山横川の元三大師良源である。おみくじの発明者であるが、この元三大師のおみくじはちょっと恐ろしい。まずは凶の数が半端ではない。弁慶は2020年の正月にここでおみくじを引いて凶が出た上、そのには病で生死を彷徨ったら死ぬと書いてあった。世はまさにコロナに向かっている真っ最中であったので、私は翌日も護摩を受けて、その上でおみくじを引き直したところ、今度は生死を彷徨ったら生きると書いてある中吉を引いた。


まあそんなこともあったので護摩は40分くらいで終わって、その後祈願の終わったお札を頂いて帰宅。おみくじは引いていない。


お札は3年前の前厄から求めている。去年までは厄年で厄除だったが、今年の祈願は老後資金の積み増しと早期退職を目指し「商売繁盛」(爆)。


正月は家でゴロゴロしていると、近所の本家から従兄弟が来たものだから、実は親父が亡くなったんだが連絡とれなかったのでそのままにしていたと話すと、親父と同日に東京にいる本家の総領の従兄弟(来た従兄弟の兄)が亡くなって東京に行っていたという。それにびっくりしていると、今度は葬式に来てくれたおじさんが来て、大晦日におばさんが亡くなったのだとのこと。相変わらず亡くなる人が多くて、葬儀は10日になるというので、更にびっくりした。


2日の夜はホルモンでも食べようかと外出したが、いつもの居酒屋が開店していたので、初飲み。



忘年会でクエ鍋を食べて美味かったのだが、



クエの兜焼があったので、それを注文。クエさんはグロテスクなお顔だねえ。


それ以外は外出もせず、倦怠感のある身体を労ったつもりだったが、それが仇となり、初出勤の前日4日には足腰バリバリ固まって激痛が発生。



伊勢崎 湯楽の里で新年初リラクゼーションで少しほぐすと、たまにぎくっとなる時もあるけれど、とりあえず動けるレベルに復活。



閉店間際の近所の店でビールとヒレカツ定食を食べ、これにて休みは終了となった。


それ以外は外出もせず、年末に向けてバッテリー交換しておいたサイドカーにも手も触れず😅。まったくもって、ろくな生活しなかったなあ。


ね。



12月の京都の風物詩のひとつ、まねきの上がった南座。弁慶は門外漢なので、今まで観るとか想像した事もなかったのだが、


諸般の事情で舞妓さんと観ることになった。


きっかけは10月の先斗町の水明会のあと、「西陣くらしの美術館冨田屋」で知り合いになった歌舞伎好きで唄と三味線を習うNさんを先斗町の芸妓である亜弥さんに紹介しようとしたことだ。彼女からその時に顔見世興行を勧められたわけだが、その理由は助六の中で演奏される河東節で師匠筋の方が出演されるのだという。


そんなことを話していると、その場にいた埼玉出身の舞妓さんに私も観たいと強請られた。舞妓を1日連れ歩くようなことは全くするつもりはなかったし、だいたいそんなことをするとどのくらいの請求が来るのかという相場感も出来てきた。ましてや、そんなことをする身分ではないことも百も承知ではあったのだが、まあ、今年はいろいろあったから厄祓いだよなってその場のノリで了解したわけである。


ところが、いよいよ上洛する週の初めに亜弥さんから連絡があって約束した舞妓さんが突然引退してしまったという。もうすぐ芸妓になる立場だったのでいろいろ悩みがあったらしい。屋方では代わりの舞妓さんは用意してくれてはいるけれど、経緯が経緯だけにキャンセルも可能だという。驚いたし、ちょっとがっかりしたけれど、代わりに用意された舞妓さんも辞めた舞妓さんと同じで埼玉出身で良く知ってる方だったので、断ると次に会った時にバツが悪いと思い了解した。



ぐりる・ど・れぶん

075-221-8756

京都府京都市中京区三条下ル東入ル石屋町126 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26005983/


顔見世興行の夜の部は16時から20時半の予定だったので、ちょっと遅い昼を宿にチェックイン前に食べるつもりだった。三条大橋の眠眠を覗くと13時をとうに過ぎているのにそこそこ席は埋まっていた。どうしようかと思いながらいったん通り過ぎると、その先にシチューの文字が見えたのでその店に吸い込まれるように入ってしまった。


店内にはお婆さんが1人で座っていて、どうやらその方は店主のようだった。ちょっと選択を誤ったかと思ったが、運ばれて来たシチューの肉は箸で難なくほぐれるほど柔らかく美味しかった。


店名はご主人が礼文島の出身だったことからだそうで、もう開店して40年になるという。


何処に行かれるのかと聞かれたので、顔見世興行に行くというと


「南座が改修工事で先斗町の歌舞練場で代替公演があった頃は、愛之助さんと紀香さんも良く来られたんですよ。とっても腰の低い良い方でしたよ」と懐かしそうに話された。


肉の柔らかさのことを話すと、最低でも4日煮込んでから提供しているので、店が休みの日も厨房に来ているのだという。


14時過ぎに宿にチェックインし、15時には舞妓さんが迎えに来てくれて、そこから南座に。



今年の顔見世興行は、市川團十郎の襲名披露でもあり、席が取れないと評判だったそうだが、なんと花道近くの最前列だった。


※これは竹馬というらしい。


演目は仮名手本忠臣蔵から一力屋の場面と助六所縁江戸桜。この助六を團十郎が演ずる時、その後ろで演奏するのが河東節。有料だがイヤホンガイドの説明があるので、内容の理解は比較的し容易である。ストーリーはもちろん仕草、伝統的様式という感じかな、例えば斜め上を見上げるような仕草とか、そういった事の説明もあったりする。河東節については、普通はプロの演奏家である地方が演奏するところを、團十郎を贔屓にする旦那衆や奥方衆により演奏されるのだという説明もあった。これこそまさにNさんが言っていたこと。


公演のあと、いつものおでん屋さんで食事をしようと思いLINEで予約をしておいたのだが、幕間に見ると今日は9時で閉めて鮨屋のほうに応援に行くのだとか。鮨屋の方ならご用意できますよということだったので、鮨屋に向かうことになった。


※店の電話を借りて屋方に居場所を報告する舞妓さん。舞妓さんは携帯は禁止。


二度目の鮨いし屋さん。先斗町の路地の奥にあってなかなか場所を覚えにくいお店である。


店内に入ると前回のカウンターではなく、個室に案内されたのだが、そこにもカウンターがあったのでちょっとビビった。普通ならこんな部屋だけでリザーブ取られてもおかしくない。


私たちのあとから3人のお客さんが来られて5人になった。更には店のオーナーまで現れて6人。



というのも、3人は歌舞伎俳優のご一家で、尚且つ本日の私のチケットを亜弥さんから頼まれた方であり、またこちらのオーナーさんとは大の仲良し。そんな関係で女将さんもおでん屋を閉めて、こちらの接待に回ったということだった。



近頃はチケットも枚数だけ伝えたのではとれなくて、必ず名前を伝えるのだそうで、私の変わった苗字を呼んだ女将さんの声で、それがわかったのだった。


最後は亜弥さんのお店で、私が初めて行った時に出会った嵐山のUさんと久しぶりの再会という嬉しいハプニングもあり、良い1日であった。



二日酔いで宿の女将さんが「昼まで寝てたらどないどすか」と勧めてくれたが、



京都新聞の地下で開催されていた坂本龍一と高谷史郎のコラボイベントと楽美術館を巡り、御所のあたりで高校駅伝を走る地元埼玉栄をチラッとだけ、(たまたま)見たよ。


ね。



画像は個人情報満載なのでとても使えないけれど、これって凄く重要な情報だと思いますよ!ということで本題!


市役所関連と公共料金の手続きはなんてことなく終わった。残るは法務局と税務署と金融関係。


相続の手続きについては、まずは葬儀社、次は証券会社から営業されたが、税務事務所は知り合いの社長に紹介してもらったので、司法書士も適当に頼むことにした。


それで連絡してみたら必要書類を教えられ、それらが揃ったら来社くださいということであった。まあ、それだけ費用が少なくて済むと思って自分で揃えることにした。前出のところにそのまま依頼したとすると、おそらく委任状を渡して有料で揃えてくれるのだと思うが、そんなに慌ててやることもないので、安く済む方が良いと思う。


土地は親父名義で建物は共有名義だからいずれも不動産評価証明書を取らなくてはいけない。これは市役所で貰えるのだけど、市役所で必要書類を揃えなくてはいけない(笑)。


除籍証明とか戸籍謄本とか取る時に担当者からどこに提出するのか聞かれたので「市役所」と答えたら苦笑いしていた😆


必要書類は本庄市と前橋市に送ったんだけど、事前に電話した時に前橋市は相続を目的とした場合、一部だけだけど無料で発行してくれるという事だった。そのつもりで本庄市に送ったら400円必要だから郵便小為替で送るように電話が来た。なんてえことだ!


さらにたまげたことに、前橋市といっても合併して前橋市になった場所なので某館主殿の近くの土地なんだけど、そこは保安林だった(爆)。道理で固定資産税とか払った形跡ないはずだ。とはいえ、近くの山林を参考にした価格が設定されるので、相続する財産としては加算される。


あと登記に必要な住民票は本籍が記入されていてマイナンバーが記入されていない物でなければならない。って面倒臭!マイナンバーってなんなん?


金融機関については、戸籍謄本は出生から死亡までとか、15歳以降死ぬまでとか、そこの規定によって異なる。枚数がいっぱいになるから私の場合は1部採るのに4,000円くらい掛かった。


本庄市は日曜日も住民課が開いているのですぐ採れたが、採ってみたら4歳で美里町から転入していたことがらわかったので、美里町役場へも行かなくてはならなくなった。そちらは第4日曜日しか開いてなくて、もしかして今日は開いてる?と喜んだのも束の間、その日はなんと滅多にない第5日曜日だった😓。


謄本という物を初めてしげしげと眺めたが、高田(現上越市)から養子に来た曾祖父さん(ひいじいさん)の父親の欄には、たしかに「堀某」の名があった。高田の堀家って大名だよな。でも転封されたりして、残っていたのはたぶん雑魚だ(笑)。


ちなみに、後になってわかったんだけれど、必要書類は提出してもコピーを取られてから返送されてくるので、慌てて必要部数を採る必要はまるっきりない。私はとんだ無駄金を使ってしまったわけだ。


証券会社の相続担当からは急かされているけれど、税務事務所は「急がなくても良いから四九日が終わってから来てくれれば良いです」ってことなんで、のんびり行きます。


今週は保険会社からの郵送物とか、通帳に記載された内容とかから推理して、確認をとったりしているが、なかなか全部把握するのは大変なのである。


さて、そこで一言。私は唯一の相続人なので、親父は相続税が掛からないように私が家に入れた金を私名義で貯蓄したり色々としていたらしい。でも、らしい=過去形なのである。おそらく老いてそのような思考をすることも出来なくなったのだと思うが、いつのまにか私名義の口座からどんどんお金を引き出して、結局ほとんど残っていなかった😓。同級生の主治医の女医がエンディングノートでも書けば良いのでは?と話をしたら、そういうことは考えたくない!と怒って答えたというが、それと符合する話だよね。たぶんボケると欲が湧いてくるんだよ。気をつけよう!ちなみにこの女医のことは小学2年から中1まで、ずっと好きでした(爆)。


もう歳とったから、なんでも話すよ(笑)


ね。


先斗町 水明会


春の鴨川をどりは公演的色彩が強いのですが、秋の水明会は日頃の稽古の発表会的な会です。


これも9月に席を取ってもらっていたのと、別の約束もあって2週連続で京都へ行って参りました。



まずは行きつけの店の亜弥さんの出番があった21日。亜弥さんに取ってもらった席は、いろはのい、つまり一番前。



目の前で演じられる迫力を堪能し、その後予約したおでん屋さんへ。



祇園のお香屋さんの前で、西陣の冨田屋さんでインターンをされていた方と待ち合わせして向かいます。冨田屋さんのインスタライブでの会話で芸事が大好きだということで話があってしまい、いつかご一緒しましょうという話をしたのが去年の秋。なんと1年ぶりでようやく約束を果たしたのでした😅


当日は三味線のお稽古があったので、夕食からの合流になりました。



この方は芸事だけではなく、歌舞伎も大好きなのですねえ。それで、このおでん屋の女将も歌舞伎が大好きなのですよ。だから、きっと2人は馬が合うと思ったら、想像通りでした。さっそく情報もらったりしているようだし良かったです😊。そして2軒目は先斗町へ。


まあ、楽しんで頂けたのかな。



翌日は金戒光明寺。ここは京都守護職に就いた会津藩が本陣を置いた場所。



文殊塔から見える京都の街並み。


十三仏で三七日を担当するのは文殊菩薩なので、文殊塔のある金戒光明寺に来たわけです。



次に訪れたのは真正極楽寺。通称、真如堂。


石薬師はこれが初めての公開だそうです。この薬師は伝・伝教大師作。たまたま私ひとりだったので、学芸員の方と話をしましたが、この伝ということから話はやがて百鬼夜行に(笑)。まあ、私が妖怪堂さんから仕入れた知識をひけらかしただけですが😓。



途中で立ち寄ったのは、おでん屋さんの女将が今年新たにオープンさせたカフェ。犬同伴OKなカフェです。



そういえばカプチーノに絵を描く練習をいっぱいやったという話を昨晩聞いたなあと、エスプレッソを頼んでから思い出しましたが、女将さんが店にいたわけではないのでOKでしょう。



時代祭で市内の道路は混んでいるだろうとバスには乗らず、蹴上まで歩きましたが、途中の南禅寺塔頭 天授庵に立ち寄りました。


東庭にいるとちょうどお勤めの読経が始まりました。



こちらは南北朝時代の様式を残す池泉回遊式庭園です。


そして蹴上から三条に地下鉄で移動して地上に出ると、まだまだそこは江戸時代で歩道は大混雑でした。



連日の先斗町歌舞練場。22日は2階席から全体が見える形で観覧しておきました。前日ロビーで休んでいると、お茶屋の女将さんだか置き屋のお母さんだかが、2階から観た方がよく見えると話していたのを聞いたものですから。


どっちが良いかといえば、全体が見える2階で尚且つ私の席の前にあった、この桟敷席かな。ここなら花道まで見えるから。


2組廻しなので2日続けて見ると出演者全てが見られます。両日頑張ってる芸舞妓さんも居ましたか、それぞれの日しか出番のない方もいるので、可能なら2日みたいところです。


ね。