朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -23ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

祇王寺、滝口寺と周り、その入口にあった檀林寺へも入ることにした。



檀林寺は嵯峨天皇の皇后である檀林皇后が建立し、12の塔頭・子院をもつ平安初期には仏教の中心地のひとつであったが、廃絶。


1964年に現在地に再建された寺なのだが、そんなに新しい見えないところがなんともなあ。だって弁慶より若いんだよ(爆)。



宝物館は新しめの建物だったが、中にあったのは年代物の骨董品だった。大河のルソン助左衛門の時代の茶壺みたいなのがあったけれど、あれ欲しいと思ったねえ🤭。



庭にある瓢箪池には、モリアオガエルが住んでいる。


さらに山の方に歩きますよ。



鳥居本の景観保護地区へとやってまいりました。



そしてちょうどお腹が空きました。という最初からの作戦です。



平野屋

075-861-0359

京都府京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町16 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260403/26000808/


鮎料理の老舗ですが、鮎の季節ではありませんねえ。表には「むしやしない」と看板が出ておりました。


むしやしない。虫養い。軽食という意味です。腹の虫を養うのですねえ。



部屋から庭を眺めた感じ。だけど道路側なので、垣根の向こうをたまに人が通ります。



こにらは部屋の全景的な感じ。



桜茶



鮎茶漬け



鮎の甘露煮は少し普通に頂いたあとで、出汁と薬味をかけて、お茶漬けにします。



食後は桜餅と抹茶のデザート



柚子味噌餡が美味い😋



こちらは普通に餡子です。また行きたいです。


ね。

翌朝、みんな帰るらしいので、1人嵐山に向かいました。コロナ中に松尾大社から来て、渡月橋の向こう側に人がいっぱいいたので、ここは空いてないんだなあと、引き返して以来かなと思います。



朝一から動き始めたので、渡月橋にはまだそんなに人はいませんでしたが、



天龍寺は節分の行事で賑わい始めておりました。そこはさくさくと通り過ぎます。



竹林の上の地区を目指して、別の道から天龍寺の裏手に周り、てくてくと歩いていると、西行井戸の旧蹟がありました。



黒いホースが風情を無くしておりますねえ。無くてもそんなに風情はないか😅


西行井戸は西行さんがこの辺りに庵を設けていた時に使っていた井戸とのことですが、二尊院にある西行の庵跡がそれなのか、転々としていたのかはわかりません。二尊院だと近いけれど、少し離れているような気にもなります。



その二尊院ですが、今回は通過。



祇王寺



冬でも苔が綺麗です。



祇王さんは平清盛の寵愛を受けておりましたが、清盛の心が仏御前への移ったと知り、母親の刀自と妹の祇女と共にこの地にあった嵯峨往生院で出家した。


萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき


仏御前もまた、去り際に祇王が残した歌を読む、栄華とは儚い物だと悟ったことから、清盛の元をさり、この地で出家した。


本堂には、刀自、祇王、(清盛)、本尊大日如来、祇女、仏御前の順番で木像が並んでいるが、清盛の像は柱の影で見え難い場所にある。



瀧口寺は祇園寺の裏手にある。



瀧口寺の本堂。もと往生院の子院三宝寺のあった場所。



季節が季節だけに、静寂な庭というくらいかな。



こちらは平重盛の家来、斎藤時頼と建礼門院の侍女である横笛との縁の地として再興された。


横笛は清盛の娘なので、こちらは身分の違いで結ばれなかったゆたならという話です。



庭の竹林



新田義貞の首塚


桐生の善昌寺に行った時にも新田義貞の首塚があったが、諸説あって小田原にもあるそうだが、この首塚は妻である勾当内侍が当地に葬ったと伝わる。


ちなみに新田義貞の墓は、戦死した福井県坂井市、称念寺にある。


どれが本当なのかはわかりませんが、



妻の勾当内侍の供養塔


足利尊氏という人は、戦った楠木正成の首も家族に返したくらいだから、妻に渡すってことは充分に考えられます。


ね。

節分の集まりです。



照月

075-791-4131

京都府京都市左京区下鴨上川原町24 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260503/26005782/



名古屋の社長は初めての照月ですが、最初にここで会合をやった時に参加された弟の専務さんが、其の後2回くらい利用してくださっているので、それを知って楽しみにされていたそうです。



ボタン海老食べると歯茎が腫れて、そういえば海老の皮剥きして指が真っ赤になってかゆくなったことがあるなあと。これはきっとアレルギーなんだなあと思って検査をしても何も出ないのですがね。確かに火の通った海老を食べてもどうにもならないし、甘海老は生でもどうにもならない。


たぶん周りのヌルヌルした粘液だけダメなのね。


で、気をつけて食べれば食べられると判明(笑)。



先日は利休焼だったけれど、今日は木の実か何か、違うらしい。



冬は暖かくて美味しいですねえ。



何か思い出せないけれど、魚の唐揚げ



節分なので、恵方巻き。



デザート


という感じで楽しく語らい



先斗町に移動したら、この日は無いはずだった「おばけ」が一組だけ活動してました。


先斗町の久加代さんと市さよさん。久加代さんは身長があるので舞台では男役をやることが多いです。小柄な市さよさんは美形なのですが、ここまでメイクしちゃうとわかりませんね。名古屋さんに素顔を写真を見せたら驚愕されてました。


ね。

ある日のこと。



早起きして、きのこと木耳の汁とおにぎり。


1月は外食に8万ほど使いましたかねえ。正月だから、まあ良いかなあ。


さて、出発!



良い景色じゃ。



立川のてんやで昼食。(これは外食。)



新年会。(これは公費なので、外食でもノーカウント。)


という出張がありました。そして1月は終わり2月です。


もちろん自宅には一晩は帰ったのですが、



一晩だけで、帰りは駅弁を食べながら帰りました。弁当は外食にはカウントしておりません。税率8%だからねえ。



土佐稲荷 岬神社 へ詣でました。



龍馬ゆかりの地です。


ここは高知ではなく、京都木屋町の長州藩邸があった場所の近くなんですね。もともと鴨川の中洲の突端にあって岬神社だった訳ですが、その後藩邸内に移りましたが、民間の厚い信仰があったので、土佐藩はわざわざお参りできるように通路を作ったのだそうです。


明治維新以降、転々としましたが、現在もこのように大切に祀られております。



八坂神社の節分。


この日の奉納の舞は先斗町歌舞会の出番だったので、お1日参りのついでに立ち寄ってみました。立方が秀咲季さん、市優里さん、地方が市さよさん、千鶴さん。そして、豆を蒔く年男の中に何故か男装の久加代さんが(柱の左隣)おりました。もともと男役を演じられる芸妓さんではありますが、歳女ということなのでしょうか。



当然ですが、奉納の舞は本殿側に向かって舞いますし、豆蒔きも芸舞妓さんは本殿側に向かって蒔かれておりまので、あまり良い絵面は撮れませんでした。


終了と同時にバスに飛び乗って東京から来る足立の爺さんを迎えに行ったのでした。15時くらいに来るというから八坂神社まで来ていたのに、突然13:44に着くからって連絡されても困りますよね。面倒な爺さんです。


ね。


高速を突っ走って大分県に入りました。



この前の日田も大分ですが、前回は福岡市経由で今回は東側の高速を使いました。同じ大分でも、今回はまず別府温泉が目的地です!


まずは駅でスパポートを購入し、最初に向かったのは、



第59番 みょうばん湯の里


入浴料600円



ホームページの画像を使用しております。


湯口に近いと熱いのですが、離れると適温からぬる目と感じるくらいの調整可能です。



源泉名 明礬 湯の里

酸性・含硫黄ー単純温泉(低張性酸性高温泉)

泉温 64.4℃

pH 2.3


白濁した普通にいい湯だなあと入っている時はそれだけ思っていたけれど、出てからちょっとしてガツンと来た気がする。疲れました。なんだろうね。単に最近はもっぱら伊勢崎の湯の里で済ませていたので、身体が鈍ったのだろうか(爆)。


数軒梯子しようかなあと思っていたけれど、諦めました。ただ、明礬温泉は肌が乾燥してしまうようなので、もう一湯入ります。



坊主地獄



第125番 鬼石の湯


こちらは620円だけど、JAF会員割引がありました。



源泉名 鬼石の湯

ナトリウムー塩化物温泉

泉温 88.6℃

pH 3.4



こちらもホームページの画像を使用しております。


こちらは無色透明の優しいお湯でした。


温泉入ったらすごくお腹空いたので、また高速を突っ走って



寶屋 本店

0973-24-4366

大分県日田市元町13-1 

https://tabelog.com/oita/A4404/A440403/44004511/


再び日田に来ました。



名物の日田ちゃんぽん(辛味噌)


中盛(たぶん並ってこと)でお腹いっぱいになったので



日田市立博物館に行きました。これも目的のひとつであります。



企画展 小鹿田焼のきせき(撮影可)



古小鹿田焼など



多くの作品も展示されておりましたし、



歴史についても掲示されていて、たいへん内容のあるものと感じましたし、撮影できるのも最高に良かったと思います。



山下清画伯もいらっしゃったのですね。


黒田長政に従った八山(日本名、高取八蔵)が朝鮮より渡来して開窯した小石原焼は隆盛を極めたが、やがて薪がなくなって新たな地に移った。しかしそこの土があわずになかなか良い焼物が出来なかったなかで、柳瀬氏、長沼氏が現在の小鹿田へと移って開窯したのが、小鹿田焼の始まりとのことだ。



ということで、次は道の駅小石原へ小石原焼を見に立ち寄ってみました。周りにはたくさんの窯元直売所があったので、いずれそちらもぼちぼちと。


ね。