なるべく8時の閉店までに、出来ればラーメン以外の何かまともな物を食べたいのだが、なかなか難しい。泊まる時もベルクとかヤオコーの売れ残り弁当を割引価格で買う。
京都の旅館 三福の女将さんとはSNSで繋がっている。その三福の女将さんが、先日、流山の鮨屋の深川鍋の画像にコメントをしたのを見た。流山は京都からはいささか遠く、また観光で訪ねるような名所も思いつかない。女将さんが流山に来るということよりも、流山の鮨屋さんが京都に出かけて繋がっていると考えるほうが自然だ。
なんとなく興味が沸いた。もしかしたら同じように三福が好きな旅人なのかもしれない。せっかく夕食難民なのだから、帰りにちょっと寄ってみようと思った。
ちょっとだけ遠回りにはなるが到着までの所用時間は1時間というところか、と考えて18時過ぎに終業した火曜日に訪ねていった。
いろは鮨
050-5868-5166
千葉県流山市鰭ヶ崎1651-1
https://tabelog.com/chiba/A1203/A120305/12024109/
ご近所を相手にする庶民の為の鮨屋という佇まい。奥には法事等で利用できる大広間もありそうだ。現在は緊急事態対応で、お酒は19時までの注文、食事は19時半までとなっている。
カウンターは7、8人が座れるが、4人の先客があり、これ以上密になれない状態であった。座敷に上ったが、これだとちょっと話はし難い。とりあえず上寿司を注文することにした。
機を見ながらゆっくり食べて閉店20時が近づいたので、会計と共に女将さんにSNSで三福さんの女将さんのコメントを見て来店した旨をお話しした。たいへん喜んで色々とお話ししてくださったのだが、キーワードで綴ると妹さん、葛切り、相席、料理の鉄人、魯山人の弟子みたいな(爆)お話をしてくださった。
三福には数年前、先斗町で火事があった時にお見舞いがてらお泊まりになったそうだが、私が初めて泊まったのと同じ部屋だったようだ。ご夫婦で毎年5月に関西方面にバイクでツーリングに行くのだそうだ。
私がこれから本庄に帰るのだと話すと、常連さんの近くのお寺の住職は、先代の亡くなられた本庄のお寺の住職も兼ねているという。まだ先代が生きておられた頃は、店がはねてからバイクで向かうから、到着は1時とか2時になるのだが、それなのに先代は蕎麦を打って待っていてくれたのだとか。そんな話を聞くと、その寺にも行ってみたくなった。
さて日曜日、ちょっと特殊な工具が必要だったオルタネーターの増し締めをようやく行うと4本中3本がそれなりに回った。見ての通り、曲がった先がちょっと短くないとここに入らない。これでオイル漏れはしばらく様子を見ることとする。そして、安心して出かけた先は、くだんの寺である。
地持山光福寺
山門の梅がほころびかけている。奥には桜の木もあって、春は美しいことだろう。
せっかくなので御朱印を頂戴した。
空が綺麗だったので、珈琲を飲んで休憩し、帰路に向かった。
途中の蕎麦屋の裏にも寺らしき建物が見えたので脇道に入っていくと、その蕎麦屋の店主が店から出てきた。店はもう閉店の看板が出ていたので、締めて隣の母屋に帰るところだったのだろう。
ウラルを見るなり、これはロシア製のBMWのコピーだねと話し出した。寺を見るどころではなくなった。
オートバイが好きで原付から大型まで十数台を所有していたこともあったそうだが、膝を壊して(立ちごけしてしまうから)今は乗っていない。だがまだ数台は手放せずにいるという。その気持ちはよくわかる。私も乗れない自転車を手放せずにいる。
それでサイドカーなら脚をつかなくても倒れないので大丈夫だろうと乗ってみたらしい。幸い近所にサイドカーを含めてオートバイを30台くらい保有するマニアが居るのだとか。
だから言えるのだろうが、「こんな恐ろし乗り物よく乗ってるね」だそうだ。まったく。いろいろ話していると、先程訪ねた光福寺の住職さんの弟なのだそうだ。世間は狭いんだよ。
ね。