祇園、先斗町界隈 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

ちょっと疲れを感じながら、粟田神社の石段を下り祇園町方面へと歩いて行く。御朱印帳の残りページが少なくなり、あと2つ頂くと終わってしまうので、天台五門跡の残る二つのうちの一つ、青蓮院門跡に立ち寄り購入した。もうひと頑張りして二つ稼いで終わりにしないと日付が前後してしまう。
 
 
 
青蓮院で不動明王の御朱印帳をまずは購入。
 
 

御朱印は本尊の熾盛光如来。熾盛光如来は大日如来の仏頭尊であり、この仏様を本尊とするお寺は、唯一青蓮院門跡のみであるという。
 
尊勝院の御朱印はいつもらえるか確認すると、明日は担当の人がいるというが、それは無理だなあ。
 
 

 

辰己大明神は芸事の祈願に芸舞妓さんがお参りにくる小さな祠。

 

 

 

白川沿いの「かにかく碑」。昭和30年、吉井 勇、谷崎潤一郎らによって建立された。

 

「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」


この歌は、祇園の思いを詠んだ歌で、吉井勇の作である。石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表された。 歌碑が建立された11月8日を記念して毎年かにかくに祭が行われるが、今年は中止かな。

 

鴨川を渡り三条河原町のホテルにチェックインする前にもう一件と、裏寺町通りへと向かう。

 

 

 

無量山 如輪院 宝蔵寺

 

弘法大師空海の創立と伝えられ、その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基されるとつたわる浄土宗西山深草派の寺院である。如輪上人は千本釈迦堂の第二世であり、徒然草に「千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを初められけり」とあるように現在まで続く千本の釈迦念佛は、この如林上人が始めたものとされた。

 

 

 

頂いた御朱印を観れば伊藤若冲との関係を伺えると思うが、今回ちょっと訪れてみたのは、ここが伊藤家の檀家であることに起因する。私が元三大師だけの御朱印を集めている御朱印帳は以前紹介したかと思うが足利の龍泉寺の購入した伊藤若冲の御朱印帳であり、その縁みたいな気持ちである。ただし、伊藤若冲本人の墓はここにはなく、本人の遺志により深草の石峰寺にある。

 

 

 

 

御朱印を頂けるのは16時まで厳守で、私は15時58分にぎりぎり到着。他に誰もいなかったので、普段はやらないことにしている2枚目も頂くことにした。本尊 阿弥陀如来である。これで三十三間堂の御朱印帳がきれいに埋まり、明日からは心置きなく青蓮院門跡の御朱印帳を使えるというわけである。

 

 

 
チェックイン後、しばし休息し夜の街を彷徨う。

 

 

 

ハイボールバー 京都1923

075-255-3444

京都府京都市下京区四条通小橋東入ル橋本町109 ビュッフェビル B1F

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26019835/

 

こちらはインスタ友達とでもいうのだろうか。面識はないけれどインスタでは毎回いいね!と交換している方が経営する数ある飲食店の中のひとつ。

 

 

たしか鴨川ハイボールといったかな(爆)。

 

 

 

 エスプレッソ珈琲 吉田屋

075-211-8731

京都府京都市中京区木屋町三条下ル一筋目東入ル 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26001169/

 

酔い覚ましにエスプレッスをいただきに立ち寄る。

 

 

老舗なので有名人のサイン色紙がいっぱい。芸舞妓さんも休憩に来る喫茶店である。

 

 

 

先斗町はまだ閑散としていた(8月)。だけど、ちょっと小腹がすいたように感じたので、思い直して木屋町通りへと出てみた。

 

 

 

 麺房 美よし

075-211-7754

京都府京都市中京区西木屋町蛸薬師上ル角南車屋町288-2 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26003429/

 

京都風の山椒を振りかけて食べるうどん。

 

 

 

〆は芸妓の亜弥さんのところです。

 

ね。