大将軍神社、尊勝院、粟田神社 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

11月になったのに、私はまだ8月について語っている。これはまずいので、この先、ちょっと飛ばす予定は未定。
 
さて、次は青蓮院方面に行きたかったのでとりあえず三条通りに出るまで適当に下ることにした。三条通りに出てみると東山駅の西側だったのでそのまま三条通りを渡って東方面にジグザグと進んで行くと
 
 

 

大将軍神社

 

大将軍神社は桓武天皇の平安京遷都の時のいくつかの魔物封じの一つとして、都の四方を囲うように造営された神社といわれている。去年訪れた大将軍八神社は西の守護、西加茂大将軍神社は北の守護、そしてこの東三条大将軍神社は東の守護であるとされるが、南の守護はどうしたのかな。妖怪堂氏がその痕跡を見たつけたようなことを書いていた記憶はあるんだけど、具体的なことは書いていなかったと思う。

 

 

 

 

主祭神は素戔嗚尊であり、八坂神社や今宮神社などの都を守る神社と同じである。

 

 

 

 荒熊稲荷社

 

他の社にくらべて、ずいぶん新しいと思ったら台風で倒壊して立て直されたばかりだという。

 

 

 

応仁の乱で荒廃した藤原兼家の東三條殿がこのあたりにあったことから、境内には藤原兼家が祀られる東三條社がある。

 

 

 

東三條社の隣は天満宮なので、おきまりの牛の石像があった。

 

 

 

隼社には立派な馬の石像。

 

 

 

白川沿いに出ると、いつものような観光客の姿がないかわりに近所の人が水辺で遊んでいた。

 

 

 

青蓮院門跡の裏山に登る。この道は京都トレイルの東山ルートの一部にもなっているはず。

 

 

 

尊勝院については以前書いたと思うが、元三大師を本尊とする天台宗の寺院で、もともとは比叡山横川に建立され、現在は青蓮院門跡の飛び地にあり、住職も兼務となっている。こちらの御朱印を頂きたくて以前も登ってきたが不在であったので、再挑戦の今回もまたもや不在だった。

 

京都の街を見下ろせる展望があるのだが、草木が元気なこの季節はそれもかなわない。

 

 

 

やはり元三大師の月命日である三日に来ないとダメかなと思い山を下る。このまま青蓮院門跡に行こうかと思ったが、まだ行ったことのない粟田神社がこの裏なので向かってみた。

 

 

 

粟田神社

 

こちらも長い石段を登った山の上にある。参拝者は私のほかに1組2名だけだった。

 

御祭神は素戔嗚尊、大己貴命ほか。

 

清和天皇の時代に、今年は戦、疫病の災いがあると占われたことから、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(現八坂神社)に七日七晩丹精を込めて祈願した。すると満願の夜に一人の翁が枕元に立ち、「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ。」と言って消えたことから、ここに創建された。

 

かつての名称は感神院新宮。つまり新たな八坂神社的な位置づけだったわけだが、明治になり粟田神社と改称された。

 

 

 

出世恵美寿神社は最澄作と云われるご神像が祀られている。家運隆盛、商売繁盛。

 

境内摂社はまだまだあるが、宣言の通りちょっと飛ばす。

 

 

 

御朱印は京粟田口とある。粟田口は京の七口と云われる都への入口の一つで、粟田神社は旅立ちの神として信仰された。

 

ね。