聖護院門跡を後にし、次は「走り坊さん」に行こうと歩いて行くと、なんだか隣近所がみんな寺みたいな街に入って行ってしまった。
たまたま町内の案内図みたいな物があったので、立ち止まって見ると、50以上の寺があることがわかった。
新洞学区寺院案内図
新洞仏教会と書いてあるけれど、学区って学校の区割のことではないのかな。他に意味あるのかな。(たぶんない。) などと独り言を言いながら地図を眺める。その全てが自由に入れたり参拝できるわけではないようだが、この数は圧巻である。目指す走り坊さんもどうやらその中に一つの寺のようだ。
法華宗の僧 日淵が室町近衛に建立した久遠院が京極二条に移り空中山寂光寺となった。妙泉山と改称したのは近年である。
これが本因坊の始まりで、囲碁の家元の地位として襲名継承されるようになった始まりである。
本因坊は囲碁の普及とともに(ほんいんぼう)と読まれるようになり、現在に至っている。なお、本因坊の名跡は1938年に日本棋院に譲渡されており、1941年からは本因坊戦が行われ、勝者にその地位が与えられるようになった。
法華宗も日蓮が宗祖となる宗派なので、南無妙法蓮華経である。我が家はひい爺さんの代に日蓮宗の門前に店を構えたことで、日蓮宗に改宗したので、この南無妙法蓮華経という経文は子供のころから一番耳慣れたお経である。
寄り道したが、そこから徒歩数分で、走り坊さんの大蓮寺がある。
走り坊さんとは18世住職芳井教岸の直弟子籏玄教(はたげんきょう)のことで、明治から大正にかけての時代に京都の街中を走り回って動くことがたいへんでお参りに来られない妊婦や病人のもとを訪ね、祈願した。まるでお寺の出前である。その奇行や貧困層に対する施しは京都名物として有名で、新聞で「今一休」として取り上げられたほどだったという。
引接山 極楽院 大蓮寺
大蓮寺は八坂神社ととても縁の深いお寺である。明治維新により起こった神仏分離に伴い廃寺となった祇園社境内の観慶寺から現在は重要文化財となった薬師如来像ははじめとする多くの寺宝がこの寺に移されている。
大蓮寺というだけに鉢植えの蓮がいっぱいで美しい。なんでも花の寺としても人気があるようだ。
本尊は阿弥陀如来で、あんざん弥陀如来の石仏が示すように安産の御利益があるが、走り坊さんにちなんで足腰の健康についてもご利益がある。
御朱印はそのあんざん弥陀如来であった。左上に走り坊さんの印が押されている。
仁王門通りをさらに鴨川の川端通りに近づくと日蓮宗の本山 聞法山 頂妙寺がある。
境内に塔頭八院を構える大きなお寺で、奥に見える仁王門が、仁王門通りの由来だそうである。ただ境内に有料駐車場を有しており、ちょっと風情にはかけるような・・・あくまでも個人的な見解である。
そういえば日蓮宗の檀家なのに日蓮宗の寺院はあまり良く見ないで通りすぎるよね。
ね(ダメ押し)。