社会復帰しました。
退院1週間目の金曜日は袋井に終日張り付く出張があったので、前泊は愛野、後泊は浜松としてその足で京都へリベンジの旅です。
ということで、シリーズ9回目の上洛です。
こんなに細かく乗り換えると座れなくてもいいやと思うので、全線自由席で経費も節減^_^。入院しての予定外の出費が痛いです。
さてさて、宿泊先はこちら。
チェックインは16時なのですが、荷物を預けられるということなので駅から直行すると、部屋に入れないだけでその他の手続きは全て完了。
さて、スタートはその近所の
六波羅蜜寺
六波羅といえば、かの平家が六波羅探題を置いた場所です。いにしえの時代、この辺りは洛中から鳥辺野への入口でありましたので、魑魅魍魎がうようよしていたと思われるのです。鳥辺野、それは鳥葬の為に死体がゴロゴロしていた場所です。
今回の旅で、鳥居本に住む社長さんとバーで隣となって知り合いにならせて頂きましたけど、あの辺りも化野。やはり死体置場ですから、「掘れば骨がなんぼでも出るよ」と言ってました。実際に掘ったわけではないと思いますけど(^^;。
平家滅亡後、鎌倉の源氏方に追われる平家の武将・景清の行方詮議のため引き立てられた阿古屋は、景清の居場所を頑なに知らぬと答えます。代官・重忠は心に偽りがあれば演奏の音色が乱れるはずだとして、琴、三味線、胡弓の三曲を演奏させたところ、阿古屋は乱れの無い見事な演奏を披露し、解放されたと言います。平安時代の嘘発見器でしょうか。
歌舞伎でこの演目を演じるのは琴、三味線、胡弓をこなせるだけでなく、その気品の高さを表現できる必要があることから、演じられる役者がほとんどいないのだと言います。ただ1人演じられるのが坂東玉三郎。阿古屋塚はその玉三郎が奉納した屋根に守られていました。
幽霊子育飴の由来はこちらです。魔界 京都には探せば幽霊、妖怪の話はいっぱいありますね。今回はその辺にも踏み入れてみたいと思って妖怪話を聞きに行くプランもあったんですけど、のちに触れますが体力的に断念しました。
建仁寺の境内を抜けて花見小路に来ると、先日の火事の生々しい傷跡が。
仲源寺(目疾地蔵尊)
賑やか祇園の四条通りにこのお寺があったことは、今まで何回も前を通ったと思うんだけど気がつかなかった(^^;;。しかも目の病に効くお地蔵様だからね、網膜裂孔を患い、自覚症状はないけど人間ドックで加齢性黄斑変性だと言われた(でも網膜裂孔の定期検査では何も言われませんけどね)弁慶は、これからは毎回寄らされてもらいます^ ^。
さて、祇園四条から京阪で出町柳へ。本当は叡山電鉄に乗り換えて修学院、一乗寺方面を散策する計画だったんだけど、ここまで歩いて思いのほか足腰が弱っていることを実感し、計画変更。
浄土宗七大本山のひとつ。七大本山とは、総本山 知恩院は別格として、増上寺、金戒光明寺、清浄華院、善導寺、光明寺、善光寺大本願、そして知恩寺。
修繕中のようでしたが参拝は出来ました。場所的な問題なのでしょうか。人が溢れて客離れが起きているという京都ですが、観光客は誰も居ません。探せばこんな場所もまだまだありますね。
ちょっと道を外したらこんなお店がありました。
定食、1500円。
唐揚げ、海老フライ、豚肉、魚のフライ、ハンバーグと盛りだくさん。
さて、哲学の道を歩くつもりもそれも無理そうなので、白沙村荘 橋本関雪記念館に入館しました。
庭に抹茶席とかあればもっとゆっくりしたい雰囲気でした。
橋本関雪は明治から昭和にかけて活躍した日本画家。こんな表現をすると本当に昭和が遠く思えてしまうけど^^;。
この白沙村荘は関雪が大正3年に造営を指揮して建物、庭園の設計は全て関雪自身が行ったという。
記念館には3室のミュージアムがあって、日本画、書、焼物などが展示されている。2階では有料で抹茶席が用意されていたけれど、ガラス越しに見おろす庭園ではちょっと気が進まずに遠慮した。
ここも別の客はひと組しかいなかったです。さて、次はどうしましょうか。
ね。