お弁当作り卒業✩マイペース日常♪ -419ページ目

ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで6

帰宅して、近所のお友達に預けていたぶーちゃんを迎えに行きました。
お友達はわたしが小さいときからの親友。幼馴染と言ってもいいのかな。
友達『どうだった?ぴーちゃん元気にしてた?検査結果大丈夫だったんでしょ?』
わたし『うーん・・・ダメだった。脳に障害があってよくても車椅子の生活だって。耳も聞こえないから言葉も難しいって言われた。』
友達『えっ???治療は?何?どうしたの?』
その後は友達の質問に答えるのが精一杯でした。話し終わると涙が溢れ出しました。
旦那さんの前では泣かなかったのに、、、友達って安心するんですね。
なんだか全ての気持ちを許して泣けた気がしました。

その友達は今でも我が家の面倒をよく見てくれます。
ぴーちゃんの病院が終わるのが遅ければぶーちゃんを保育所まで迎えに行ってくれたり、ぴーちゃんが入院中で面会に行かなきゃいけない時はぶーちゃんを預かってくれたり・・・『実家からもらってきたんだ』と言ってお米を大量にもってきてくれたり。書けばキリがありませんがこの友達には頭があがりません。この場を借りて。o.゚。ぃ⊃も(。-ω-人-ω-。)ぁりヵゞとぅ。o.゚。感謝☆
話が少しそれましたね・・・

ぶーちゃんを連れて家に戻ると旦那さんはネットで滑脳症の事を調べていました。
しばらくするとぶーちゃんはお昼寝し始めました。
ふと見ると旦那さんが泣いていました。いつでも前向きに物事を考え、わたしの前では弱気になったことがない旦那さんが泣いてました。『こんなに重い障害だなんて・・・ほとんどの子が宣告時に2年生きられればいいほう・・・って言われてるよ。』
わたしもまた泣きました。

その日の夜、ぶーちゃんを真ん中にして布団に入り旦那さんに話しかけました。
わたし『どうして家の子なんだろ。わたしが無理して動いていたからかな。旦那さんもそう思うでしょ。』
旦那さん『そんなことは思わないよ。誰もママのせいだなんて思わないから大丈夫』
そう言われてもわたしは一人で自分のせいだの何で家の子なのだの予後はどうなるなどずーっと話していました。
しばらく話していると旦那さんが・・・
『よく考えてごらん。世の中ね嫌な事が沢山あるの。汚いものも沢山あるの。乗り越えたくても乗り越えられないかもしれない辛い事もあるんだよ。でもね、家の家族ならそれも乗り越えられると思ってぴーちゃんは俺達の所に産まれて来たんだよ。大正解だよ。特に「俺」の所にに来た事がね(笑)。でもね、親として覚悟しておかなきゃならない事もあると思う。寿命についてはなんとも言えない。こんなこと言うのは嫌だけど1年かもしれないし2年かもしれない。。。退院してきて、落ち着いたら色んな所にいこう。特別どこかに行かなくてもいい。でも家にばかりいないでぶーちゃんと同じように連れ歩こう。人目につくところでも一緒に居よう。2人目はよく写真が減るって言うけどたくさん撮ろう!思い出作ろう!いい?ママ、わかった!?』この時はすでにいつも通り前向き思考の旦那さんでした。
わたしは何かを吹っ切るかのように声を上げて泣きました。わたしのおとうさんが亡くなった以来かな、声を上げて泣いたなんて。涙って枯れないものですね。

ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで5

旦那さんと病院へ着き病状説明室へ案内されました。
担当医が来るまですごくドキドキして不安で押しつぶされそうでした。
しばらくすると担当医がきました。
担当医『急にお呼び立てして申し訳ありません。早速説明を・・・』
数枚のMRIが広げられました。健常の子の脳とぴーちゃんの脳。眺めるわたしと旦那さん。
担当医も説明を始めました。見比べると明らかにぴーちゃんの脳は脳室が拡大していて一回り小さく、なにより皺がすごく少なかったのです。
そして病名もわたしが気にしていた小頭症がかかわっていました。
担当医『症例がとても少ないのですが滑脳症という病気です。脳の皺が極めて少なく、予後は良くて車椅子、体の動きもかなり制限されるでしょう。頭が小さいのは脳自体が小さいのであまり大きくはならないと思います。小頭症にもあてはまります。それと難聴です。両耳100デジベル以上も聞こえていません。発声はありますが発語はかなり難しいでしょう。神経症状として今後痙攣が出る恐れがあります。』
真っ暗でした。何を考えていいのか判りませんでした。ぴーちゃんの見た目は小さいけど他の子と何のかわりもありません。今後どうなっていくのか、わたしは想像もできませんでした。
頭の中はぐちゃぐちゃだけど親としてこれだけは聞かなくてはと思い聞いた事があります。
『先生、ぴーちゃんの寿命は・・・』
担当医『お子さんの場合今は特に痙攣などもなくミルクも飲めています。嚥下障害も今のところは問題ないし。内臓の方は特に何も問題はありませんので、食べてきちんと排泄できれば命にかかわることはないと思います。ただ抵抗力が弱かった場合の感染症、痙攣が起きたり、合併症のほうが怖いですね。』
その後も旦那さんがなにか質問したりしていたかもしれませんがほとんど覚えていません。
説明が終わりぴーちゃんに面会に行きました。『なんでなんでなんで。どうして家の子なの。』
もうそればかりが頭をかけめぐり、ぴーちゃんの顔をみては泣きそうになりいてもたっても居られずいつもより面会を早めに切り上げて旦那さんと家へ帰りました。

ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで4

ぴーちゃんが転院してからなんだか変な胸騒ぎがしていました。
これは旦那さんにも言ったことがないけど『肺炎だけであって欲しい。他に病気が見つかりませんように』わたしはまだネットで調べた『小頭症』が頭に残っていたのです。
転院手続きが終わった旦那さんから電話が来ました。
『とりあえずの処置と検査は終わって今のところ後遺症になるような病気ではない。』と連絡を受けました。わたしはホッとしたようなまだなんとなくスッキリしないような変な気持ちでした。
もう少しなにか突っ込んで検査のことなど聞きたいような気がしたのですがその時は『早くわたしが退院して面会に行かなきゃ。』とそればかり考えていました。

待ちに待ったわたしの退院日。そこの産婦人科は退院時に赤ちゃんと一緒に写真をとり病院の廊下に飾ってくれるんです。
事情を知らない受付の人が『写真取りますので、帰る前に少しお時間下さい。』とわたしに言ってきました。わたしは『転院してしまったので・・・』と言うと、受付の人は『そうなんですか、判りました。1カ月検診の時でも構わないので声かけて下さい。』と言って去っていきました。
何気ない会話だったのですが、すごく淋しかったのを覚えています。
わたしは旦那さんとぶーちゃんと病院をあとにしました。
 
そのまま病院に行きNICUに居るぴーちゃんとご対面!酸素濃度をかなりあげて酸素マスクではなくチューブを鼻から入れられ泣いていました。お腹が空いたのか眠いのか大騒ぎでした。
担当医からの説明は『多分お腹の中にいた時の胎便を肺に吸い込んでしまい細菌感染をおこしたのだと思います。二週間から一ヶ月の治療になると思いますのでお母さんは面会に来られる時に母乳を冷凍して持ってきてください。』と言われそれから毎日面会に通いました。
幸い医療センターへは車で5分でつく距離だったので通うのにはとても楽でした。
NICUに入り6日後NICUから出ることができ新生児病棟へ移りました。
ミルクも哺乳瓶で飲む練習が始まりました。この日初めて抱っこしたんです。あまりに嬉しくて泣きそうだったのを今でも覚えています。
その後も毎日母乳を搾って冷凍して持っていく日々。。。

病棟に移ってから10日後。午前中医療センターから電話がかかってきました。
看護師『お母さん今日の面会は先生からお話があるのでお父さんも一緒に来ていただけますか?』
わたしは『小頭症』の事が頭をよぎり『なにかあったんですか?』と聞きました。
看護師『先生からお話がありますので。』
わたし『たいした話でないのなら主人も仕事中ですしわたしだけて伺いたいのですが。なにかあったのですか?』わたしはしつこく聞きました。すると看護師は担当医に電話をかわりました。
担当医『MRIの結果、脳に明らかな所見がみられるのでお父さんにもお話を聞いて頂きたいのですが。』
わたし『今後の生活に何か問題があるということですか?』
担当医『そうですね。』
わたしは電話を切り、震える声と手をどうにか止めようとしてぶーちゃんの所へ行き少し落ち着いてから旦那さんに電話をしました。
旦那さんはすぐに帰ってきて、ぶーちゃんを近所のお友達の家に預けてわたしと面会に向かいました。