ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで6
帰宅して、近所のお友達に預けていたぶーちゃんを迎えに行きました。
お友達はわたしが小さいときからの親友。幼馴染と言ってもいいのかな。
友達『どうだった?ぴーちゃん元気にしてた?検査結果大丈夫だったんでしょ?』
わたし『うーん・・・ダメだった。脳に障害があってよくても車椅子の生活だって。耳も聞こえないから言葉も難しいって言われた。』
友達『えっ???治療は?何?どうしたの?』
その後は友達の質問に答えるのが精一杯でした。話し終わると涙が溢れ出しました。
旦那さんの前では泣かなかったのに、、、友達って安心するんですね。
なんだか全ての気持ちを許して泣けた気がしました。
その友達は今でも我が家の面倒をよく見てくれます。
ぴーちゃんの病院が終わるのが遅ければぶーちゃんを保育所まで迎えに行ってくれたり、ぴーちゃんが入院中で面会に行かなきゃいけない時はぶーちゃんを預かってくれたり・・・『実家からもらってきたんだ』と言ってお米を大量にもってきてくれたり。書けばキリがありませんがこの友達には頭があがりません。この場を借りて。o.゚。ぃ⊃も(。-ω-人-ω-。)ぁりヵゞとぅ。o.゚。感謝☆
話が少しそれましたね・・・
ぶーちゃんを連れて家に戻ると旦那さんはネットで滑脳症の事を調べていました。
しばらくするとぶーちゃんはお昼寝し始めました。
ふと見ると旦那さんが泣いていました。いつでも前向きに物事を考え、わたしの前では弱気になったことがない旦那さんが泣いてました。『こんなに重い障害だなんて・・・ほとんどの子が宣告時に2年生きられればいいほう・・・って言われてるよ。』
わたしもまた泣きました。
その日の夜、ぶーちゃんを真ん中にして布団に入り旦那さんに話しかけました。
わたし『どうして家の子なんだろ。わたしが無理して動いていたからかな。旦那さんもそう思うでしょ。』
旦那さん『そんなことは思わないよ。誰もママのせいだなんて思わないから大丈夫』
そう言われてもわたしは一人で自分のせいだの何で家の子なのだの予後はどうなるなどずーっと話していました。
しばらく話していると旦那さんが・・・
『よく考えてごらん。世の中ね嫌な事が沢山あるの。汚いものも沢山あるの。乗り越えたくても乗り越えられないかもしれない辛い事もあるんだよ。でもね、家の家族ならそれも乗り越えられると思ってぴーちゃんは俺達の所に産まれて来たんだよ。大正解だよ。特に「俺」の所にに来た事がね(笑)。でもね、親として覚悟しておかなきゃならない事もあると思う。寿命についてはなんとも言えない。こんなこと言うのは嫌だけど1年かもしれないし2年かもしれない。。。退院してきて、落ち着いたら色んな所にいこう。特別どこかに行かなくてもいい。でも家にばかりいないでぶーちゃんと同じように連れ歩こう。人目につくところでも一緒に居よう。2人目はよく写真が減るって言うけどたくさん撮ろう!思い出作ろう!いい?ママ、わかった!?』この時はすでにいつも通り前向き思考の旦那さんでした。
わたしは何かを吹っ切るかのように声を上げて泣きました。わたしのおとうさんが亡くなった以来かな、声を上げて泣いたなんて。涙って枯れないものですね。
お友達はわたしが小さいときからの親友。幼馴染と言ってもいいのかな。
友達『どうだった?ぴーちゃん元気にしてた?検査結果大丈夫だったんでしょ?』
わたし『うーん・・・ダメだった。脳に障害があってよくても車椅子の生活だって。耳も聞こえないから言葉も難しいって言われた。』
友達『えっ???治療は?何?どうしたの?』
その後は友達の質問に答えるのが精一杯でした。話し終わると涙が溢れ出しました。
旦那さんの前では泣かなかったのに、、、友達って安心するんですね。
なんだか全ての気持ちを許して泣けた気がしました。
その友達は今でも我が家の面倒をよく見てくれます。
ぴーちゃんの病院が終わるのが遅ければぶーちゃんを保育所まで迎えに行ってくれたり、ぴーちゃんが入院中で面会に行かなきゃいけない時はぶーちゃんを預かってくれたり・・・『実家からもらってきたんだ』と言ってお米を大量にもってきてくれたり。書けばキリがありませんがこの友達には頭があがりません。この場を借りて。o.゚。ぃ⊃も(。-ω-人-ω-。)ぁりヵゞとぅ。o.゚。感謝☆
話が少しそれましたね・・・
ぶーちゃんを連れて家に戻ると旦那さんはネットで滑脳症の事を調べていました。
しばらくするとぶーちゃんはお昼寝し始めました。
ふと見ると旦那さんが泣いていました。いつでも前向きに物事を考え、わたしの前では弱気になったことがない旦那さんが泣いてました。『こんなに重い障害だなんて・・・ほとんどの子が宣告時に2年生きられればいいほう・・・って言われてるよ。』
わたしもまた泣きました。
その日の夜、ぶーちゃんを真ん中にして布団に入り旦那さんに話しかけました。
わたし『どうして家の子なんだろ。わたしが無理して動いていたからかな。旦那さんもそう思うでしょ。』
旦那さん『そんなことは思わないよ。誰もママのせいだなんて思わないから大丈夫』
そう言われてもわたしは一人で自分のせいだの何で家の子なのだの予後はどうなるなどずーっと話していました。
しばらく話していると旦那さんが・・・
『よく考えてごらん。世の中ね嫌な事が沢山あるの。汚いものも沢山あるの。乗り越えたくても乗り越えられないかもしれない辛い事もあるんだよ。でもね、家の家族ならそれも乗り越えられると思ってぴーちゃんは俺達の所に産まれて来たんだよ。大正解だよ。特に「俺」の所にに来た事がね(笑)。でもね、親として覚悟しておかなきゃならない事もあると思う。寿命についてはなんとも言えない。こんなこと言うのは嫌だけど1年かもしれないし2年かもしれない。。。退院してきて、落ち着いたら色んな所にいこう。特別どこかに行かなくてもいい。でも家にばかりいないでぶーちゃんと同じように連れ歩こう。人目につくところでも一緒に居よう。2人目はよく写真が減るって言うけどたくさん撮ろう!思い出作ろう!いい?ママ、わかった!?』この時はすでにいつも通り前向き思考の旦那さんでした。
わたしは何かを吹っ切るかのように声を上げて泣きました。わたしのおとうさんが亡くなった以来かな、声を上げて泣いたなんて。涙って枯れないものですね。