お弁当作り卒業✩マイペース日常♪ -420ページ目

また風邪。困った…(・ω・; ゞ

先週、気管支炎になったばかりのぶーちゃん。しかもぴーちゃんにうつった・・・(´・ω・`)
また昨日からコンコン咳をし始めて鼻水は滝のようです。
熱が上がるとぴーちゃんうつる可能性は更に増すので今朝早めに小児科に行ってきました。
また胸の音が悪くゼーゼーしてるみたいです。吸入して帰ってきました。
帰りは『ハッピーセットが食べたい!』とおねだり。お昼の時間も過ぎていたので仕方なく買って帰りました。只今、付いてきたおもちゃで(マックィーン)遊んでます。

ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで7

それからしばらくしてぴーちゃんが退院してきました。
ぶーちゃんの時と変わらず普通の育児です。ミルク上げて(障害がわかってから精神的に疲れて母乳がほとんどでなくなってしまいミルクをあげていました。)オムツ替えてねんねして・・・
そんな普通の育児をしていると『本当に障害があるのかな??』なんて何度も思いました。
わたしの気持ちも不安定で、吹っ切ったはずだと思っていたのに泣いてばかり・・・一泣きすると落ち着いてまたぴーちゃんの顔を見ては泣いて・・・この時期はぴーちゃんよりも泣いてたかも。

しばらくして滑脳症の親の会の代表の方とネットを通じ知り合えたり、市役所の福祉課の方に相談に乗ってもらったり保健センターの方に話を聞いてもらったり病院・施設だなどで知り合えた障害児のままさん達と情報交換できるようになりました。だんだん一人じゃないんだな。と思えるようになり、病気を少しずつ少しずつ受け入れられるようになってきました。
中々人に頼れないわたしが『助けてもらいたい時はこちらから出向こう。』と思えるようになったのもみなさんのおかげです。

今、ぴーちゃんは1歳8カ月になりました。
病気宣告時は『寝たきり』くらいな感じで言われましたが、寝返りが出来るようになりずり這いができるようになり好きなおもちゃには手を伸ばすようにもなりました。(目的の物を握ることは苦手なんですが)歩行器にのり自分の目的の場所へ行くのも上手です。
食事は、ある程度柔らかく、喉ごしの良い物を舌で押しつぶせるようになって来ました。まだモグモグは出来ないんですけどね。離乳食初期~中期の間くらいかな。
難聴だからと言ってはなんですが、とっても目がいいんです。多少の斜視はありますが遠くに居るわたしが笑うとぴーちゃんも笑うんです。わたしじゃなくてぶーちゃんでも旦那さんでも。
それと気配に敏感で全然視界に入っていないような場所に居ても近くに寄って行くと振り向くんです。
聞こえているんじゃないかと思うほど。
そんなぴーちゃんのPTやST、診察の様子も今後書き込んで行こうと思います。では・・・

ぴーちゃんの妊娠から病気判明まで6

帰宅して、近所のお友達に預けていたぶーちゃんを迎えに行きました。
お友達はわたしが小さいときからの親友。幼馴染と言ってもいいのかな。
友達『どうだった?ぴーちゃん元気にしてた?検査結果大丈夫だったんでしょ?』
わたし『うーん・・・ダメだった。脳に障害があってよくても車椅子の生活だって。耳も聞こえないから言葉も難しいって言われた。』
友達『えっ???治療は?何?どうしたの?』
その後は友達の質問に答えるのが精一杯でした。話し終わると涙が溢れ出しました。
旦那さんの前では泣かなかったのに、、、友達って安心するんですね。
なんだか全ての気持ちを許して泣けた気がしました。

その友達は今でも我が家の面倒をよく見てくれます。
ぴーちゃんの病院が終わるのが遅ければぶーちゃんを保育所まで迎えに行ってくれたり、ぴーちゃんが入院中で面会に行かなきゃいけない時はぶーちゃんを預かってくれたり・・・『実家からもらってきたんだ』と言ってお米を大量にもってきてくれたり。書けばキリがありませんがこの友達には頭があがりません。この場を借りて。o.゚。ぃ⊃も(。-ω-人-ω-。)ぁりヵゞとぅ。o.゚。感謝☆
話が少しそれましたね・・・

ぶーちゃんを連れて家に戻ると旦那さんはネットで滑脳症の事を調べていました。
しばらくするとぶーちゃんはお昼寝し始めました。
ふと見ると旦那さんが泣いていました。いつでも前向きに物事を考え、わたしの前では弱気になったことがない旦那さんが泣いてました。『こんなに重い障害だなんて・・・ほとんどの子が宣告時に2年生きられればいいほう・・・って言われてるよ。』
わたしもまた泣きました。

その日の夜、ぶーちゃんを真ん中にして布団に入り旦那さんに話しかけました。
わたし『どうして家の子なんだろ。わたしが無理して動いていたからかな。旦那さんもそう思うでしょ。』
旦那さん『そんなことは思わないよ。誰もママのせいだなんて思わないから大丈夫』
そう言われてもわたしは一人で自分のせいだの何で家の子なのだの予後はどうなるなどずーっと話していました。
しばらく話していると旦那さんが・・・
『よく考えてごらん。世の中ね嫌な事が沢山あるの。汚いものも沢山あるの。乗り越えたくても乗り越えられないかもしれない辛い事もあるんだよ。でもね、家の家族ならそれも乗り越えられると思ってぴーちゃんは俺達の所に産まれて来たんだよ。大正解だよ。特に「俺」の所にに来た事がね(笑)。でもね、親として覚悟しておかなきゃならない事もあると思う。寿命についてはなんとも言えない。こんなこと言うのは嫌だけど1年かもしれないし2年かもしれない。。。退院してきて、落ち着いたら色んな所にいこう。特別どこかに行かなくてもいい。でも家にばかりいないでぶーちゃんと同じように連れ歩こう。人目につくところでも一緒に居よう。2人目はよく写真が減るって言うけどたくさん撮ろう!思い出作ろう!いい?ママ、わかった!?』この時はすでにいつも通り前向き思考の旦那さんでした。
わたしは何かを吹っ切るかのように声を上げて泣きました。わたしのおとうさんが亡くなった以来かな、声を上げて泣いたなんて。涙って枯れないものですね。