前回の記事を書いていて思ったこと。
「例え才能がなくても"楽しむこと"は出来るんだから気にせずにやればいいんだよ。」
私が似たようなことを父に言われたことがあります。
父はプロトレーナーにデビューを持ちかけられるほどの歌の才能の持ち主ですが、その娘である私にその才能は一切ありません。
歌に関しては母のDNAの影響の方が大きいようでしてからっきしなのです。
それでも歌自体は日本の文化でもかなりメジャーなものですし、友達とカラオケ楽しんだり、好きな歌を口ずさんでいたりはする訳なのでそれなりに楽しんでいると思います。
しかしこれが「歌の上手な人たちの集団の中で気にせずに楽しむことが出来るか」と考えると、私の場合は出来ません。
カラオケも友達と歌以外の事が目的だから楽しめるし、鼻歌も多分歌うことよりもその曲が好きだから口ずさんでいるんですよね。
そう考えると「歌」自体を楽しんでいるとは言えないのかも知れません。
これをパワーリフティングやウエイトリフティングで例えてみると・・・
「例え才能がなくても"楽しむこと"は出来るんだから気にせずにやればいいんだよ。」
どうなんでしょうか。
私はこちらに関してはそこそこ才能がある方なので、これを言われた気持ちが分かりませんが、おそらく歌でこれを言われた時のことを考えると、純粋に楽しむことはできないのかも知れません。
私が大会などに出なくてもウエイトリフティングを楽しめるのは、才能があって思うように動けて、大会でもある程度成績を収めて、という下地があって、じゃあ次はもう少し精度を上げるのに極めてみようか、とか、才能があって楽しむことが出来る心があるから時々クリーンやスナッチをやっておこうと思うからなのかも知れません。
歌で考えると、才能ないし、全然思うように歌えないし、大会どころか上手い人たちが多い中で歌っても反応サッパリで、という下地があるからじゃあ気楽に楽しんでみようとか思えないですね・・・
歌が下手なのは冷やかしのネタにされるという風潮があるからと言うのもありますかね。
まあ歌下手でみんなが楽しいのであれば私はそれはそれで良い人ではありますが(あえて笑わせに行くこともしますが)それは歌を楽しんでいるのではなく、笑わせることを楽しんでいるだけですからね。
なんかウジウジした内容にも思えますが、これは例えば私はパーソナルトレーナーとして人に教える立場でもあるのですが、その立場から明らかに才能のない人に「楽しもうよ」って言っても良いのか・・・と思うんですよね。
ちょっと残酷過ぎないか?それで相手が本当に楽しめるのか?なんて思ってしまうのです。
スポーツやトレーニングを継続するモチベーションに「楽しむ心」というのは本当に効果があるのかなとすら思います。
そういう疑問に思うところが、おそらくは継続できない人達のなんらかの理由でもあるのかなと言う気がするのです。
そもそも積極的な人やポジティブな人、明るい人や開き直れる人は、そういう点から行けばトレーニングなどの継続に苦労はしないと思うんです。
でもそうじゃない人が継続をするために、どのような形でモチベを持たせたら良いのか、ですよね。
結果として無理には継続して貰わなくてもいい、と言うのも一つの答えかも知れません。
ある日何かがきっかけて、何かを理由に継続するモチベーションを作るのかも知れないですし、一生そんな機会がないのかも知れませんし。
私の周りにはプラス方向の人もいますが、ものすごく身近にマイナス方向な人が数名いましてね。
命が掛かっているのに改善しようとしない、と言う人たちがいるんです。
私もいろいろ試行錯誤しましたが、結局私が諦める、という結論に達しました。
冷たいと思われるかも知れませんが、私自身にこういう人たちのモチベを作る才能がないのかも知れないですし、それは不可能な事なのかも知れませんし。
だいぶ話が反れてしまった気もするので少し戻りますが、そもそもスポーツって楽しいって気持ちでやらなくちゃならないのか?とも思いますよね。