ウエイトリフティングトレーニングの他スポーツへの貢献はあるのか | さかもとサンのブログ

さかもとサンのブログ

ウエイトリフティングやパワーリフティングやベンチプレスやボクシングや筋トレフィットネスやら
なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

ここ数日、自室の大掃除をしているのですが、そんな資料が出てきたのでした。

この資料の結論から行けば「かなりの貢献がある」と結論付いていましたが、私個人の経験から行くとちょっと違うな~と思ったりするのでした。

なかなか説明が難しいんですが、ウエイトリフティングトレーニングが上手くできない人もたくさんいるし、そういう人たちがじゃあウエイトリフティングトレーニングを取り入れたところで出来ていないんだから貢献のしようがないのです。

そもそもウエイトリフティングトレーニングが誰にでも習得出来るのかと言うとそうでもないということでしょうか。

上手く習得できない人がいくらウエイトリフティングトレーニングを頑張ったところでその時間は他スポーツに役立てるという目的であるのなら「無駄」その時間を他スポーツの練習に充てていた方がまだマシでしょう。

もちろんウエイトリフティングトレーニングはすぐに習得できるものでもなく多少は時間がかかりますが、それでもある程度の時間があれば、出来る人は出来るようになります。

いくら時間を掛けても出来ない人は「できない」のです。
パーソナルトレーナーを長くやっていて思うのが「出来ないこともある」と言うことです。
出来ない人に出来ないことを教えることが果たして正しいのか、そんなことすら考えます。

まあその辺りの見極めは非常に難しいですけれどもね。

私の生徒としての経験として、5年ぐらい取得しようと練習してきたことがあるのですが、いくら頑張っても出来ないことに遭遇しまして。

基本までは習得したいと(そもそもそっち方面の才能自体はないので応用で上手くできるようにとまでは望んではいません)5年ぐらいやっていたけど、基本に全く届かず。

要は才能のないものに関してはいくら頑張っても基本すら習得出来ないのだ、という残酷ではありますがそういう現実を突きつけられた訳で、それは私が出来なかった分野だけにあらず、フィットネスの世界でももちろん他の世界でも同様にある訳です。

まあ、5年やってみて気付けたことが「才能がない状態でいくら頑張っても基本すら身に付けられない」というケースが存在することでしょうかね。

ちなみに私はそちら方面の才能のなさはとっくに受け入れているので、今はその時間を他の事に使っていますけどね。

閑話休題。

ウエイトリフティングトレーニング自体、大きかれ小さかれの才能が必要だということは言っておきましょう。

ありがたいことに私はこちらの才能は持っていたのでなんら悩みなく出来ていましたが、でも世の中には才能のない人もいるんです。

私もここ近年それに気づきまして、昔はウエイトリフティングの動きは誰にでも出来ると思っていましたけど、才能がない人は出来ないんだということが実際にあるということを。

それに気づかない間は大きなことを言っていましたけどね、今はその辺りはもっと冷静に見極めて考えていきたいと思っていますね。

才能のない人がウエイトリフティングトレーニングを他スポーツに生かせる訳がないんです。

あ、もうちょっとだけややこしいところ突っ込むと、才能がないのと苦手なことは少し違うのではないかなと思っていたり、でも似ていたり共通点があったりはするんじゃないかなと。

才能がないから苦手なのか、苦手だから才能がないと思ってしまうのか。

苦手は慣れるように練習していけば克服できるけど、才能がない場合はいくらやっても克服できない、と言うのが最大の違いかも知れません。

今回のブログのタイトルのような論文は、被験者に「才能のない人」が含まれていないのかも知れないですね。

或いはウエイトリフティングトレーニングのクオリティを無視している可能性もあるかも知れません。

クオリティ違えば効果も違う訳ですから・・・

まあ、現実は難しい話ですよね。