メキシコ料理生活~あ夏そ~ -2ページ目

メキシコ料理生活~あ夏そ~

メキシコ留学?生活の日々の出来事を綴る

行かなかった話です。

いやー行けなかったんですよ。

3時にお店の入口でアントリンとフェデリコと待ち合わせしていたので、早めに掃除、買い物を済ませて2時半には準備万端。よし!行くぞ!と家を出発しました。

出発して3分ほど走ったころでしょうか。

カチッ!

ん?

おおおぉ。チェーンが切れてる。チェーンって切れるんですね。まぁ、お店まではすぐそこなので、とりあえず待ち合わせ場所に行きます。

結局のところ、メキシコでは当たり前なので気にするときりがないのですが、アントリンはドタキャンです。まぁ、しょうがない。フェデリコがビートルで迎えに来てくれると言っていたので、待っていると、確かに来ました。でも至って普通のビートルです。自転車を運ぶので、屋根に荷台の付いてるやつかなっと思ってたんですが、普通のビートルでした。ま、前後輪外せばビートルの後部座席にも何とか入るので問題なしです。



 
↑77年製のビートル 長生きですね

 
 ↑かなり窮屈に収まっております

と、とりあえずチェーンが切れてしまったので、取り付けることにします。部品屋さんで40ペソでチェーンを購入して、整備屋さんで取り付けてもらいました。

 
 ↑遠出する前に切れてよかった・・のかな

この時点で時刻はすでに4時半です。これでは滝を見に行くのは無理です。しかしフェデリコの勧めもあり、彼の家でいろいろ自転車をいじってみようということになりました。フェデリコ的には私の自転車があまりにも汚いので、ただ単に洗いたかったのだとか。


 
 ↑犬が出迎え かなりデカイです

 
 ↑庭広すぎ・・・

庭が広すぎです。左上に移ってるのが、フェデリコが以前経営していたレストランなのだそうです。ちなみに、カメラを構えている私の後ろにも、同じくらいの面積の庭が広がっています。普通にサッカーとかできますね。

しばらくすると、フェデリコのお父さんが現れました。

フェデ父「よく来たね、あなたがフェデの上司ですか」

私「いえいえ、上司などと大それたものではありません」

と、こんなやり取りはなかったわけですけど・・・。本当は


フェデ父「君かロードバイク乗っている日本人っていうのは」

私「はい、乗り始めたばっかりですけど」

フェデ父「フェデも昔よく乗っていてね。いろいろあるから見ていってくれ」
      「これは私の自転車なんだけど、どうだい?」
      「かっこいいだろう」
      「君の背丈にその自転車はちょっと小さいな」
      「こっちのフレームなんか君にぴったしだぞ」
      「これはツール・ド・フランスを実際に走ったフレームなんだ」


親父も自転車マニアだった!

 
↑フェデ父の愛車

 
 ↑ツールに出たというフレーム 新聞紙でくるんであった・・

 
 ↑個性的なカラーリングですなぁ

 
 ↑こちらのエンブレムが車体前方についていたのだそうで

 
聞いてもいないのに、どこからともなく自転車を引っ張り出してきます。おまけにツール・ド・フランスを走ったといういわくつきの一品まで出してきました。なんでそんなものあんたが持っているんだ、という突っ込みはさておき、フェデ父はとてもいい人でした。そうこうしているうちに、フェデが何か持ってきました。スペイン語で「サパティージャZapatilla」、日本語ではビンディングシューズというようですね。ペダルと自転車シューズを固定するものです。

フェデ「こいつを付ければさ、全然疲れ方が違うんだよ」
    「とにかく試してみればわかるから」

私「おおぉ、さすが元プロ」

フェデ「15年も前の話だよ」

というわけで、ビンディングペダルに付け替え、シューズも借りて、フェデの家の裏にあるまっすぐな道で練習することになりました。

 
↑ペダルを付け替えてくれています


 
 ↑デコボコもあまりないし、練習にはもってこい?

 
 ↑あの山に滝があるんかな・・・

ビンディングペダルの感触を確かめ、しばらく走ってから、自転車を洗うことに。

 
 ↑洗剤とブラシでガシガシ洗っていきます

 
 ↑仕上げは高水圧洗浄機でブラシの届かないところを洗います

 
 ↑綺麗になりました


 ↑帰りは暗くなったので、ビートルで送ってもらいました。

滝は来週に持越しです。
 

自分の異動話なんかも急に持ち上がったもので

紹介が遅れていました。

新しく厨房に入ったメキシコ人コックがいます。

その名もフェデリコ。

アントリンが来たとき、あの男は持前の明るさとピッツァの腕前で、自分のポジションを確固足るものにしました。しかし、この新人フェデリコ(33歳)はどうにも特徴のない、至って普通のメキシコ人だったのです。まぁ、普通のメキシコ人ってなんだって話なんですが・・・。

アントリンは英語が話せるし、彼のピッツァは驚くほど美味いし、山から天然砥石を拾って来たり、店先で車が故障してたら人の車なのに勝手に修理し始めるし、おまけに最近知ったのですがサポテコ語まで話せるというじゃないですか。サポテコというのはオアハカに先スペイン期からいるインディヘナの一部族なのですが、彼はもともとそこの生まれらしいのです。なので、彼がスペイン語を覚え始めたのは12歳からだったとのこと。18歳のころ英語の勉強を始めたのだとか。

ところで日本人は中学から英語の勉強をしたって、大抵が話せませんよね。授業の取り組みが語彙や文法に重点が置かれているため、「話す」スキルが身につかないらしいのです。ですが、教える側の先生からして「話す」スキルを身に着けさせる指導を受けてきてないのですから、教えようがありませんよね。話がそれました。

さて、新人フェデリコ。聞くところによると、イタリア料理の経験はないとのこと。4年制の料理学校を卒業後、自分の店を持つも兄弟に乗っ取られたのだとか。その後いくつかの店を経て、うちにたどり着いたらしいです。サポテコ語は話せないものの、英語、フランス語が少々話せる模様です。そしてほーんの少しだけ日本語が話せます。

フェデ「ワタシハニホンゴのセイトデス!」

私「・・・・はい?」

とまぁ、「ニホン語」が話せます。

きっかけは些細なものです。先日ホテルへ面接に行った帰り、実はまた自転車の前輪がパンクしたのです。しかし、パンク修理用の道具はもう持っていますし、何より自分でパンクを直してみたかったというのが大きく、自転車屋にはもっていかずに、時間があるときに店で直すことにしました。お店の屋上でバケツに水をためて、パンクの修理を始めたのですが、いかんせん初心者ということもあり、上手く直せません。こういう時に限って、お客さんはやってくるものです。私は下に降りて、注文を待っていました。すると、フェデがこう言うのです。

フェデ「パンク直ったかい?」

私「いや、まだだよ」

フェデ「俺が直してあげようか」

私「うーん、出来るの?」

フェデ「まぁね」

ということで、フェデがパンクを直しにむかい、私は注文を捌いていました。スパゲッティやラザニアを作り終え、フェデの様子をみに屋上に上がると、フェデが入念にタイヤをチェックしていました。

フェデ「ミシュランか。いいタイヤだね」

私「うん」

フェデ「結構新しいね。最近変えたの?」

私「うん」

フェデ「このタイヤだったら300ペソくらいかな」

私「そうだよ。なんでわかるの」

フェデ「俺も昔、自転車乗ってたんだよね」

私(ふーん)

フェデ「タイヤ直してるの見てたらさ、懐かしくってね」
    「君の自転車は古いけどいいものだね」
    
私「彼女の叔母さんが貸してくれてるんだ」

フェデ「この古いNISHIKIはもう手に入らないからね」
    「欲しい人は2万ペソくらい出すだろうなぁ」

私(まじかよ・・・っていうかこの人やけに詳しいな)

フェデ「家も昔は12台くらい自転車があったんだけどね」
    「乗らなくなってからもう、ずいぶん売っちゃったな」
    「キャノンデール、コルナゴ、あとジャイアントも乗ったなぁ」

私「そんなに持ってたのか。すごいね(っていうか詳しすぎるべ)」
   「俺、乗り始めたばっかりでさ」
  「胸にMEXICOって入ってるユニフォームとか欲しいんだよね」
  「メキシコ国旗の色でさ、鷲のマークとか入ってたらイケてるよね」

フェデ「それなら俺が持ってるよ、メキシコ代表のユニフォームだけど」

私「・・・・ん?」

フェデ「俺メキシコ選抜自転車チームで走ってたんだよね、昔

私「はぁ!?」


最初は冗談だと思ったのですが、どうやらマジみたいです。というか、メキシコの一般人はキャノンデールだとかコルナゴといったメーカーは知りません。更に話を聞くと、昔は毎日6時間くらいのトレーニングをしていたらしいです。彼のチームにはその昔、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスにも出場していた選手がいたらしく、その選手の練習に付き合わされて時速90キロで坂を下りたり、一日に300キロ程度走ることはしていたそうです。

フェデ自身もメキシコのレースにでたり、アメリカやスペインに遠征に行ったことがあるそうです。しかし、スペインのレースで道に飛び出してきた牛と衝突して足首を複雑骨折したのだそうです。6人を巻き込んだその事故で、大切にしていたバイクシューズを医者に裁断された時は「やめてくれ!」と一度は止めたそうです。リハビリを経て、普通に歩けるようになるまでに1年半かかったものの、その後ペダルを強く踏み込むと、まだ激痛がはしり練習もできなくなり、徐々に自転車から遠ざかっていったというわけでした。

いまでは体重もずいぶんと増えてしまいロードバイクには乗れないそうです。曰く、30キロは絞らないと乗れないとか。でも、痩せてほしいな。いい自転車友達に乗れそうじゃないですか。今度の火曜日に一緒に自転車で滝でも見に行こうかと誘われました。山道なので、彼のマウンテンバイクを貸してくれるそうです。それを聞いていたアントリンがノリノリで

アント「じゃあ、俺も自転車持ってるから三人でいこうぜ」

フェデ「いいねぇー」

アント&フェデ「Yeah! Ha!」

私「・・・ま、暇だからいいか」


この二人、たまにふざけて英語で会話しだすのが面白いのです。こういう気のいい同僚がいると、異動がしづらくなります。まだ、ホテルからの返事がないので余計な心配かもしれないのですけどね。

紫蘇が茂ってきました。

いい香です。

やはり日本人にはなくてはならない食材の一つだと思います。早くおっきくなってほしいものです。最近は雨も良く降り、日中は日も出ているのでかなりのスピードで育っています。

 
↑すでにいい香りが

 
↑虹だ!

ただ、種を適当に撒きすぎたせいか、間引きしないといけなくなりそうです。間引きは気が引けるんですよね・・・。

携帯「タータータラーラー♪」

私(なんだよ、休みの日に電話かけてくるやつは)
  (お、チャットじゃん)

私「もしもし、どうしたん」

チャット「おお、今日な、ホテルで面接あるぞ」
     「2時からだけどいけるよな」

私「へ?今日?」

チャット「そうだよ」
     「フアン・ガルシアっていうシェフがいるから」
     「そいつの名前出せば通してくれるだろう」

私(それにしても急だよ・・・)


シェフにももう話が行っているので、私がドタキャンするわけにはいきません。急いで身支度をして出かけます。

とりあえずロビーの受付に向かいます。受付で厨房の面接受けに来たと話すと、職員専用口を教えてくれてそこから入ることに。さらに職員専用口で名前を告げ、面接で来た旨を話すとホテルの顧問弁護士(会計士?)なる人が現れて、シェフと話しができるようにしてくれました。他にも何人か面接を待っている人がいたので、数分間待たされることになりました。そして、私の番です。

おっさん「次のひとー」

私「ほいさっさ」

おっさん「よーし、まずはマスクと帽子を付けてくれな」

私「OK」

おっさん「次に手を洗ってくれ、手の洗い方はわかるか?」

私(手の洗い方だと・・!?)
  「いや、知らないです」

おっさん「OK、じゃあ今から教えるから見といてくれ」

手洗いが終わると、シェフの個室に通されました。

シェフ・フアン「おお、よく来たね」
        「あれか、チャットに送られてきたんか」

私「はい」

フアン「まぁまぁ、緊張せずにな」

私「ええ」

んで、途中の話を省くと要するにやってほしいのは、Sub Chef ってことです。日本語で言えば副料理長ですよね。味付け、盛り付けのチェック、コスト計算やイベントの準備が主な仕事内容みたいです。

それってつまり、自分ではあまり包丁を振らないってことなんでしょうかね。そしてシェフと話した後に、飲食部門のマネージャーとも面接したのですが

マネ「今までで、一番でかい仕事で何人くらいと働いたことがある?」

私「だいたい、4、5人ですかね」

マネ「ここでやることになったら12、3人は仕切ってもらうことになるよ」
   「大丈夫かい?」

私「最初はうまくできないでしょう。しかし覚えることはできます」
  「私はホテルの業務の経験はありませんから」

マネ「フムフム、履歴書持ってるかい?」

私「・・・持ってきてません(聞いてねぇぞ・・おい)」   

マネ「じゃあ、明日持ってきて」

私「はい」
  

と、いうことでこの日の面接は終わりました。他にも、ビザの話なんかもして手続きが済むまでは働けませんということを伝えておきました。まぁ、これからどうなることやら、見ものですね。って他人ごとみたいですが。でも自分の置かれている状況を楽しんでいる証拠です。もし、本当にそこで働けるのであれば、沢山のことを学ぶことになるでしょう。今度は料理のことだけではありません。どうやって人を使っていくかを覚えなくてはいけません、当たり前ですがすべてスペイン語です。やりがいがありますよね。

頑張ります。

天気の話はもういいですね。

転機の話をしましょう。

あ!サッカー負けてしまいましたね・・・。

よし、転機の話を。

今週から、イタリア人オーナーの一人であるスキンヘッドのバルテルことハゲテルがイタリアへ帰省してしまいました。なんと八月まで帰ってこないらしいです。そして残されたのは、ハゲの従兄弟のイタリア人(60歳くらい)と、その奥さんのパラグアイ人(30歳、ずっとイタリア人だと思ってたら違った)。この夫婦が厄介で、仕入れを頼んでもまともに品物を買ってこないし、仕事はしないくせに料理の飾り付けには文句をつけてくるし、しかも、昼飯食べた後に昼寝までこきやがる。まぁ、私の理想とするオーナー像とはかけ離れているので、ハゲテルがいるときは全く相手にしていなかったのです。が、ハゲテルがいなくなってしまったので、彼らと仕事するほかありません。

ちなみに、私は便宜上のシェフになったらしいです。当の本人がシェフだと思ってないので難しい所なのですが、とにかくシェフと呼ばれるようになってしまいました。ちゃんと自分のことをシェフだと言えるようになるには、まだまだ長い年月が必要になるとは思うのですが、ほかにできる人もいないので呼ばれるに任せてシェフになりました。しかし、普通シェフというのは、献立の組み立てだとか味付けだとか、一皿の量だとかを任されるものだと思うのですが、私にその決定権はありません。すべてオーナーの指示がないと動けません。それってシェフじゃなくね?まぁ、だから便宜上なんですよね。だれが決めるかというと、料理などしないそのオーナー夫妻が独断で決めるんですよね。先日のはなし

私がいつもの様に、翌日の仕入れリストを作って渡すと

パラ女「えー昨日も買い物行ったのにー」

私(商品が売れれば在庫補充しないと何もできなくなるでしょ)

パラ女「二、三日分まとめてリストにしてよねー」

私「常に新鮮な食材を取り扱うには、毎朝市場に行くのが基本でしょうが」

正論を言ってしまいました。こういう相手には正論を言うのが最もしてはいけない事のような気がします。結局のところこの二人は、お遊び半分でレストランをやっているようなので、私は幻滅してしまいました。この人たちのために働きたいというほどカリスマを持っているわけではないし、これといって心を揺さぶられるような才能を感じるわけでもありません。私は常に成長していたいし、毎日何かを吸収したい、覚えたいと思っています。別に、料理に限ったことではなく、スペイン語でもイタリア語でもなんでもいいのです。誰か大きな才能を持った人のそばで、技術を盗みたい、学びたい、切磋琢磨したいと思うからこそメキシコの不便な生活にも耐えられるというものです。

このことを先日やめてしまったシェフ(紛らわしいので彼のあだ名「チャット」で進めましょう)に相談すると。

チャット「まだ、イタリア人どもと働いてるのかよ、お前!?」

私「そんなこと言ってもさ、俺にはビザの縛りとか色々あるんだよ」

チャット「ここはメキシコだぜ。そんなこと誰も気にはしないさ」

私「俺は日本人なの!俺がビザなしで働きたくないんだから」

チャット「お前、今の給料いくらよ?」

私「基本給は15日で2000ペソ」

チャット「安すぎるつーの」
     「お前がやってることはもうシェフの仕事だろ」
     「それでその給料はないわー」
     「直に交渉しないと何も変わらないぜ」

私「ああ、でもそういう交渉ごとは嫌いなんだよ」

チャット「お前がやりたいんなら、ホテルの仕事紹介してやるぞ」
     「俺の知り合いが料理長やっててさ」
     「一人足りないから、誰か紹介しろっていうんだよ」
     「お前なら俺が推薦してやるよ」
     「ポストは副料理長で給料は7000ペソだったかな」

私「7000!?なんであんたはやらないんだよ、その仕事」

チャット「俺はもう金、金って稼いでも別れた妻に取られちゃうからさ」
     「他に学校の仕事もあるし、しばらくリラックスしていたいのよ」

私「でもなぁ、ホテルのキッチンなんて経験もないしな・・・」

チャット「はぁぁ!?お前はイタリア料理の経験なくてあの店に来たんだろう」
     「経験なんてのは要は慣れだ」
     「とにかくやってみればいい、お前なら大丈夫だろう」


と、こんなやり取りがあったわけでして。ふーむ、給料UPに新たな経験・・・・。やってみたいですなー。怖さ半分、興味半分。今の職場はオーナーを除けばみんないい人だし、仕事をしていて楽しい。仕事も慣れを通り越して、考える前に体が動いてくれる。最近は手を動かしながら、スペイン語で世間話も出来るようになってきました。というのも、レシピはほとんど頭の中に入っているし、体が勝手に動くので、頭の容量をスペイン語会話の方に回せるようになってきたのです。でも、新しい職場に行けば一からレシピを覚えなくてはいけない、調味料の位置や野菜、パスタ、肉、魚がどこにあるのかも、最初はわからないでしょう。

ビザの手続きもやり直さなければいけません。そもそもどうやったらいいのかもわかりません。それでも、やってみたいなー。まずは休みの日を利用して、ビザの手続きから調べてみます。ホテルの方も、試用期間ってことでいつ行けるか聞いてみないといけませんね。というか、もう人が足りちゃったなんてこともあるかもしれませんしね。