自分の異動話なんかも急に持ち上がったもので
紹介が遅れていました。
新しく厨房に入ったメキシコ人コックがいます。
その名もフェデリコ。
アントリンが来たとき、あの男は持前の明るさとピッツァの腕前で、自分のポジションを確固足るものにしました。しかし、この新人フェデリコ(33歳)はどうにも特徴のない、至って普通のメキシコ人だったのです。まぁ、普通のメキシコ人ってなんだって話なんですが・・・。
アントリンは英語が話せるし、彼のピッツァは驚くほど美味いし、山から天然砥石を拾って来たり、店先で車が故障してたら人の車なのに勝手に修理し始めるし、おまけに最近知ったのですがサポテコ語まで話せるというじゃないですか。サポテコというのはオアハカに先スペイン期からいるインディヘナの一部族なのですが、彼はもともとそこの生まれらしいのです。なので、彼がスペイン語を覚え始めたのは12歳からだったとのこと。18歳のころ英語の勉強を始めたのだとか。
ところで日本人は中学から英語の勉強をしたって、大抵が話せませんよね。授業の取り組みが語彙や文法に重点が置かれているため、「話す」スキルが身につかないらしいのです。ですが、教える側の先生からして「話す」スキルを身に着けさせる指導を受けてきてないのですから、教えようがありませんよね。話がそれました。
さて、新人フェデリコ。聞くところによると、イタリア料理の経験はないとのこと。4年制の料理学校を卒業後、自分の店を持つも兄弟に乗っ取られたのだとか。その後いくつかの店を経て、うちにたどり着いたらしいです。サポテコ語は話せないものの、英語、フランス語が少々話せる模様です。そしてほーんの少しだけ日本語が話せます。
フェデ「ワタシハニホンゴのセイトデス!」
私「・・・・はい?」
とまぁ、「ニホン語」が話せます。
きっかけは些細なものです。先日ホテルへ面接に行った帰り、実はまた自転車の前輪がパンクしたのです。しかし、パンク修理用の道具はもう持っていますし、何より自分でパンクを直してみたかったというのが大きく、自転車屋にはもっていかずに、時間があるときに店で直すことにしました。お店の屋上でバケツに水をためて、パンクの修理を始めたのですが、いかんせん初心者ということもあり、上手く直せません。こういう時に限って、お客さんはやってくるものです。私は下に降りて、注文を待っていました。すると、フェデがこう言うのです。
フェデ「パンク直ったかい?」
私「いや、まだだよ」
フェデ「俺が直してあげようか」
私「うーん、出来るの?」
フェデ「まぁね」
ということで、フェデがパンクを直しにむかい、私は注文を捌いていました。スパゲッティやラザニアを作り終え、フェデの様子をみに屋上に上がると、フェデが入念にタイヤをチェックしていました。
フェデ「ミシュランか。いいタイヤだね」
私「うん」
フェデ「結構新しいね。最近変えたの?」
私「うん」
フェデ「このタイヤだったら300ペソくらいかな」
私「そうだよ。なんでわかるの」
フェデ「俺も昔、自転車乗ってたんだよね」
私(ふーん)
フェデ「タイヤ直してるの見てたらさ、懐かしくってね」
「君の自転車は古いけどいいものだね」
私「彼女の叔母さんが貸してくれてるんだ」
フェデ「この古いNISHIKIはもう手に入らないからね」
「欲しい人は2万ペソくらい出すだろうなぁ」
私(まじかよ・・・っていうかこの人やけに詳しいな)
フェデ「家も昔は12台くらい自転車があったんだけどね」
「乗らなくなってからもう、ずいぶん売っちゃったな」
「キャノンデール、コルナゴ、あとジャイアントも乗ったなぁ」
私「そんなに持ってたのか。すごいね(っていうか詳しすぎるべ)」
「俺、乗り始めたばっかりでさ」
「胸にMEXICOって入ってるユニフォームとか欲しいんだよね」
「メキシコ国旗の色でさ、鷲のマークとか入ってたらイケてるよね」
フェデ「それなら俺が持ってるよ、メキシコ代表のユニフォームだけど」
私「・・・・ん?」
フェデ「俺メキシコ選抜自転車チームで走ってたんだよね、昔」
私「はぁ!?」
最初は冗談だと思ったのですが、どうやらマジみたいです。というか、メキシコの一般人はキャノンデールだとかコルナゴといったメーカーは知りません。更に話を聞くと、昔は毎日6時間くらいのトレーニングをしていたらしいです。彼のチームにはその昔、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスにも出場していた選手がいたらしく、その選手の練習に付き合わされて時速90キロで坂を下りたり、一日に300キロ程度走ることはしていたそうです。
フェデ自身もメキシコのレースにでたり、アメリカやスペインに遠征に行ったことがあるそうです。しかし、スペインのレースで道に飛び出してきた牛と衝突して足首を複雑骨折したのだそうです。6人を巻き込んだその事故で、大切にしていたバイクシューズを医者に裁断された時は「やめてくれ!」と一度は止めたそうです。リハビリを経て、普通に歩けるようになるまでに1年半かかったものの、その後ペダルを強く踏み込むと、まだ激痛がはしり練習もできなくなり、徐々に自転車から遠ざかっていったというわけでした。
いまでは体重もずいぶんと増えてしまいロードバイクには乗れないそうです。曰く、30キロは絞らないと乗れないとか。でも、痩せてほしいな。いい自転車友達に乗れそうじゃないですか。今度の火曜日に一緒に自転車で滝でも見に行こうかと誘われました。山道なので、彼のマウンテンバイクを貸してくれるそうです。それを聞いていたアントリンがノリノリで
アント「じゃあ、俺も自転車持ってるから三人でいこうぜ」
フェデ「いいねぇー」
アント&フェデ「Yeah! Ha!」
私「・・・ま、暇だからいいか」
この二人、たまにふざけて英語で会話しだすのが面白いのです。こういう気のいい同僚がいると、異動がしづらくなります。まだ、ホテルからの返事がないので余計な心配かもしれないのですけどね。