さてさて、続きです。
第二次プロピーナ紛争も終息し、フェデリコと自転車レースを見に行ったり(開催されませんでしたけどね)、仕事の愚痴などを言っているうちに、月日が流れていきました。そして、訪れました先月の27日。この日は私の28歳の誕生日でした。といっても、メキシコの27日はすでに日本の28日なので、なんだか複雑な気分です。日本時間に合わせてメキシコの26日に祝われてもなんか違いますしね。
そんな折、メキシコシティーの彼女から電話がありまして
彼女「今週末オアハカに行こうと思うんだけど、休み取れない?」
私「週末は忙しくなるから多分無理だと思うよ」
彼女「でも週末誕生日でしょ?」
私「え!?あ、ほんとだ!俺の誕生日か」
「そのために来てくれるの?」
「そっちも忙しいんじゃないの」
彼女「でも誕生日だから、いいじゃん!休んで、ね!」
私の一存では決められないので、フェデとアントに相談してみることに。すると二人は、「まぁ、大丈夫だろう」「シティーからわざわざ彼女が来るなら、休んでやれよ」と言われたので、あとはオーナーが了承すれば準備万端。それでこの話をオーナーに伝えたのが月曜日で、27日の土曜日、私の誕生日まではまだ時間があったわけです。しかし、待てど暮らせど返事がきません。
そんな中、木曜日にお店に一本の電話がありました。それは、以前ここで働いていた女性からでした。電話に出てみると
女「ねぇねぇ、今度の土曜日なんだけど、私の姪が結婚するのよ」
「それであなたを結婚式に招待したいんだけど、休み取れない?」
私「結婚式?姪さんの?ああ、ちょうどその日彼女がくるんだよ」
女「ああ、あの子!いいわよ!二人一緒においでなさいな」
私「まぁ、オーナーに掛け合ってみるよ」
というわけで、自分の誕生日に知らない人の結婚式に出ることになってしまった私。しかも、まだオーナーの許可がでてません。そうして迎えました、金曜日。
お店はかなり静かでした。というのも、ゲラゲッツァの真っ最中だったので、オアハカ外からくる旅行者はたいてい、ソカロでたむろしているかオアハカ料理を堪能しているか、の二択です。ヨーロッパからくる旅行者で、わざわざオアハカに来てイタリア料理を食べようという人は少ないようです。ただし、独特なソースを多用するオアハカ料理になじめない人が、たまにセントロの端にあるレストランに訪れる、そういった具合でした。
客足も鈍くなって、閉店まで30分と迫った頃、キッチンスタッフはキッチンの清掃を始めます。閉店時間が来れば残業をせずに、素早く帰れるように準備しておくのです。と言っても店内には2組ほどお客さんが残っていたので、火は消さずに追加注文があれば、応えられるようにしておきます。
さて、掃除もおわり、今日は早めに帰れるかと思った矢先、閉店まで2分というところでお客さんが入りました。まぁ、よくあることです。しかし、このお店にはラストオーダーのシステムがないので、何時にお客さんが入っても注文を取ってしまいます。お客さんが断続的に来れば、ずっと仕事が終わらないのです。閉店間際に入ったお客さんの注文はさほど手のかかるもんのではなく、10分ほどで出来るものでした。そうしているうちに、ほかの残っていた2組のお客さんのデザートを出し、再び使った調理道具を綺麗にして、時刻は閉店時間過ぎ20分ほど。この時点であとはデザートの注文を待つばかりなので、フェデとアントは先に帰りました。彼らは最終のバスに乗り遅れるとタクシーを自腹で乗らないといけないのです。メキシコのバスには当然、時刻表などという高尚なものはありませんが、まぁだいたいこの時間が最後、というのがあります。彼らには、残業代も支払われていないので無理に留めるわけにもいきません。
私も自分の包丁をしまい、デザートの注文を待っていました。するとパラ女がやってきて
パラ「新規三名様1組よ、お願いね」
ふざけるな
この時点で厨房には私一人、パスタ茹用のお湯もありません。ステーキを焼く鉄板も火を落として冷たくなっています。もちろん、三名だろうが四名だろうが、1組なら何の問題もありません。しかし、就業時間を過ぎて30分経過しているのです。パスタを頼まれたらお湯を沸かして、茹でて、出すまでに20分は掛かります。それから、デザートの注文を待ってと時間を計算していくと、ああまた今日も14ペソで残業か・・・となるのです。そしてパラ女の一言
パラ女「明日休むんでしょ、じゃあ今日は遅くまで働いても大丈夫よね」
まてまて、明日休む許可はいつ出たんだ。今までなんの話もなかったじゃないか。あと、明日休むのと今日遅くまで働くのは別の話だ。そしたら何か?今日残業なかったら明日は休めんかったのか?おい。頼むよ、マジで。明日休むのは、結婚式に招待されたのと、自分の誕生日と、彼女がシティーからくるのとで、いろいろ重なって一日だけ休ませてほしいって言ってるの。しかも何日も前から言ってるの。それを何だ?今お客さんが遅くに入ったから、その交換条件で休ませてあげるってか?従業員なめてるだろ。
とまぁ、これだけのことを言えば、例の逆上オーナーも火がつきます。私に向かって怒鳴ります。
オ「じゃあ、今から来たお客に帰れっていうのかお前は!」
「お前がオーナーだったらそう言えるのか!」
「ほかのお店に行ってくださいと言うのか!」
私「一体、お客さんと従業員と、どちらが大切なんですか」
「あなたたちが大切にしなくてはいけないのは従業員でしょう」
「一体誰と働いているのですか」
オ「君たちが全員やめても一週間もあれば代わりは見つかるさ」
ダメだこりゃ。
最後の一言は、思っていても絶対に行ってはならない禁句です。その日、最後のお皿を片し終えて、家路につくと悲しみが胸にこみ上げて、いったい何のために働いているのかと深く考えさせられてしまいました。
まだまだ長いので今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。
そうですね~。
話すと長くなるので躊躇していたのですが、やっとこさ書く決心がつきました。
結論からいうとですね
クビになりました。
何をって?仕事をです。
いやはや、いとも簡単にクビを切るもんですよね。私はやめようと思っていて、クビ宣告をされた時も、「残してください」と懇願しなかったのだから、仕方ないです。辞めてしまったものはしょうがないのです。
何がきっかけかと言いますと、やはり給料の面です。それもプロピーナ(チップ)の問題です。以前、記事にしました通り、プロピーナの分配問題はメキシコのレストランでは付き物なのです。うちの場合、従業員全員で均等に分配していたプロピーナをホールスタッフとキッチンスタッフで7:3で分けようと言いだしたのが発端でした。第一次プロピーナ紛争です。ここテストに出ます。
その後、プロピーナ改案の言いだしっぺのホールスタッフが辞め。シェフ(チャット)が辞め、私がその仕事を継いだ後も、私の給料も変わらず、アントリンとフェデリコには残業代が払われておらず、そのことについてオーナーに問いただして
私「残業代を払わなければ、二人とも定時に帰ってしまいますよ」
「私に払われている残業代も一日約14ペソです」
「こんなんじゃ、残業できません」
もうぶっちゃけて私の給料もすべて暴露しますが、残業代は14ペソです。日当です。何時間残業しようが14ペソです。私の基本給は2000ペソ/14日でした。
これが月に18000ペソ(オアハカではまずありえない)くらいもらえて、残業代が出ないというのなら我慢もできます(それでも日本の給料に比べたら安いですけど)。しかし、この薄給で残業代も極薄ではモチベーションも上がりません。もともと、シェフがいなくなった時点で、私のモチベーションが上がることなどなかったのですけれども。
そして決め手となったのは、従業員に何も知らさずに、プロピーナから1000ペソを天引きしていたことでした。私はおろか従業員は誰も知りませんでした。仕事に慣れているとお客さんの数や食べたもので、プロピーナはこのぐらいかなというのがわかるのですが、それがやけに少なかったので、詳細を確認したら天引きされていました。第二次プロピーナ戦争勃発です。
この天引きの味噌は、どれだけ総プロピーナが少なかろうが1000ペソ一律で引かれるところです。スタッフがもらうべきだったプロピーナをオーナー側がスタッフ以上にもらっていたという状況が生まれたのです。
この件をキッチンスタッフ三人でオーナーを問い詰めたところ
オーナー「その話はもう去年に済んだはずだ」
「プロピーナに関してそう頻繁にシステムを変えたくないんだよ」
「12月まではシステムは変えないから」
私「でもここにいる誰も知らなかったんですよ」
「それは問題ではないんですか」
「そもそも何のための1000ペソなんですか」
オ「それはパラ女(パラグアイ女オーナー)がホール統括して働いているから」
「彼女の分のプロピーナだ」
この時、私たちキッチンスタッフ3人の総意はパラ女がホール統括するぐらいなら、いない方がマシというものだったので、口の立つアントリンが代弁者となっていたのですが、私が口を滑らせて
私「いやパラ女が統括するくらいだったら、ほかにホールチーフを雇ってください」
これが、オーナーの逆鱗にダイレクトアタック。まだお客さんがいたのにもかかわらず、逆上してしまい、こうなってはお話になりません。しまいにはワインの瓶を振りかざす始末です。私は内心あきれながら「やれるもんならやってみやがれ」と思っていたのですが、アントリンが機転を利かせてとっておきの冗談を言ってくれたので、何事もなく済みました。結局、プロピーナに関してはハゲテルがイタリアから帰ってきてからもう一度話そうということになって、その日はお開きに。
今回は長いのでこの辺で。
次回に続く!
お楽しみに。
話すと長くなるので躊躇していたのですが、やっとこさ書く決心がつきました。
結論からいうとですね
クビになりました。
何をって?仕事をです。
いやはや、いとも簡単にクビを切るもんですよね。私はやめようと思っていて、クビ宣告をされた時も、「残してください」と懇願しなかったのだから、仕方ないです。辞めてしまったものはしょうがないのです。
何がきっかけかと言いますと、やはり給料の面です。それもプロピーナ(チップ)の問題です。以前、記事にしました通り、プロピーナの分配問題はメキシコのレストランでは付き物なのです。うちの場合、従業員全員で均等に分配していたプロピーナをホールスタッフとキッチンスタッフで7:3で分けようと言いだしたのが発端でした。第一次プロピーナ紛争です。ここテストに出ます。
その後、プロピーナ改案の言いだしっぺのホールスタッフが辞め。シェフ(チャット)が辞め、私がその仕事を継いだ後も、私の給料も変わらず、アントリンとフェデリコには残業代が払われておらず、そのことについてオーナーに問いただして
私「残業代を払わなければ、二人とも定時に帰ってしまいますよ」
「私に払われている残業代も一日約14ペソです」
「こんなんじゃ、残業できません」
もうぶっちゃけて私の給料もすべて暴露しますが、残業代は14ペソです。日当です。何時間残業しようが14ペソです。私の基本給は2000ペソ/14日でした。
これが月に18000ペソ(オアハカではまずありえない)くらいもらえて、残業代が出ないというのなら我慢もできます(それでも日本の給料に比べたら安いですけど)。しかし、この薄給で残業代も極薄ではモチベーションも上がりません。もともと、シェフがいなくなった時点で、私のモチベーションが上がることなどなかったのですけれども。
そして決め手となったのは、従業員に何も知らさずに、プロピーナから1000ペソを天引きしていたことでした。私はおろか従業員は誰も知りませんでした。仕事に慣れているとお客さんの数や食べたもので、プロピーナはこのぐらいかなというのがわかるのですが、それがやけに少なかったので、詳細を確認したら天引きされていました。第二次プロピーナ戦争勃発です。
この天引きの味噌は、どれだけ総プロピーナが少なかろうが1000ペソ一律で引かれるところです。スタッフがもらうべきだったプロピーナをオーナー側がスタッフ以上にもらっていたという状況が生まれたのです。
この件をキッチンスタッフ三人でオーナーを問い詰めたところ
オーナー「その話はもう去年に済んだはずだ」
「プロピーナに関してそう頻繁にシステムを変えたくないんだよ」
「12月まではシステムは変えないから」
私「でもここにいる誰も知らなかったんですよ」
「それは問題ではないんですか」
「そもそも何のための1000ペソなんですか」
オ「それはパラ女(パラグアイ女オーナー)がホール統括して働いているから」
「彼女の分のプロピーナだ」
この時、私たちキッチンスタッフ3人の総意はパラ女がホール統括するぐらいなら、いない方がマシというものだったので、口の立つアントリンが代弁者となっていたのですが、私が口を滑らせて
私「いやパラ女が統括するくらいだったら、ほかにホールチーフを雇ってください」
これが、オーナーの逆鱗にダイレクトアタック。まだお客さんがいたのにもかかわらず、逆上してしまい、こうなってはお話になりません。しまいにはワインの瓶を振りかざす始末です。私は内心あきれながら「やれるもんならやってみやがれ」と思っていたのですが、アントリンが機転を利かせてとっておきの冗談を言ってくれたので、何事もなく済みました。結局、プロピーナに関してはハゲテルがイタリアから帰ってきてからもう一度話そうということになって、その日はお開きに。
今回は長いのでこの辺で。
次回に続く!
お楽しみに。
流石メキシコ。
やると聞いていたレースが開催されませんでした。
せっかく早起きしたのに、自転車でフォルティンの丘に行っただけで終わってしまいました。同僚のフェデリコがついてきてくれたのですが、彼の知人も一方では開催するという人がいて、もう一方では今年はやらないよと。まぁ、結局やらなかったのですけど。
そのあと、フェデと朝飯を食べながらイタリア人の愚痴をぶっちゃけていました。
たまにはいいものですね、愚痴をいうのも。
やると聞いていたレースが開催されませんでした。
せっかく早起きしたのに、自転車でフォルティンの丘に行っただけで終わってしまいました。同僚のフェデリコがついてきてくれたのですが、彼の知人も一方では開催するという人がいて、もう一方では今年はやらないよと。まぁ、結局やらなかったのですけど。
そのあと、フェデと朝飯を食べながらイタリア人の愚痴をぶっちゃけていました。
たまにはいいものですね、愚痴をいうのも。
最近、またなにかと忙しくしています。
実は面接にいったホテルで、先に新しく人が入ってしまったので
話が流れてしまいました。
いや、残念です。私のような優秀な人材を取りこぼすとは、非常に残念。そう思うことにします。どっちにしろ、こういうのは運と縁ですからね。縁がなかったと諦めることにします。そんなことを言ってると、また違う方から別の仕事話をもらったりするんですよね。
オアハカでは年に一度の踊りの祭典「ゲラゲッツァ」が行われようとしています。3年ほど前に一度見たのですが、それきりです。仕事していると見に行く時間がないんですよね。
オアハカの市内はメキシコ国内から観光客が来ていて、盛り上がっています。しかし、オアハカに来るメキシコ人観光客はオアハカ料理屋さんに行くんですよね。というわけで、うちは結構暇です。
さて、オアハカ最大のイベントが行わられている影で、ひっそりと自転車のイベントが開かれます。中心部ソカロをスタート地点に、オアハカ市内を一望できる「フォルティンの丘」をゴール地点に据えたレースイベントです。メキシコ国内のプロレーサーたちが集まるらしいです。そしてレースの傍ら、自転車関連のアイテムを売り出すというではありませんか。
これは行くっきゃない!
というわけで、明日は朝から自転車レース観戦です。
実は面接にいったホテルで、先に新しく人が入ってしまったので
話が流れてしまいました。
いや、残念です。私のような優秀な人材を取りこぼすとは、非常に残念。そう思うことにします。どっちにしろ、こういうのは運と縁ですからね。縁がなかったと諦めることにします。そんなことを言ってると、また違う方から別の仕事話をもらったりするんですよね。
オアハカでは年に一度の踊りの祭典「ゲラゲッツァ」が行われようとしています。3年ほど前に一度見たのですが、それきりです。仕事していると見に行く時間がないんですよね。
オアハカの市内はメキシコ国内から観光客が来ていて、盛り上がっています。しかし、オアハカに来るメキシコ人観光客はオアハカ料理屋さんに行くんですよね。というわけで、うちは結構暇です。
さて、オアハカ最大のイベントが行わられている影で、ひっそりと自転車のイベントが開かれます。中心部ソカロをスタート地点に、オアハカ市内を一望できる「フォルティンの丘」をゴール地点に据えたレースイベントです。メキシコ国内のプロレーサーたちが集まるらしいです。そしてレースの傍ら、自転車関連のアイテムを売り出すというではありませんか。
これは行くっきゃない!
というわけで、明日は朝から自転車レース観戦です。