昔はテレビに「お昼休み」があったのです | アラクシィのたらりんブログ

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近場で起こったちょっといい話、家族のこと、友達のこと、考えること、趣味のこと、何を書くかわかりませんが、思うままに書いていこうと思います。

おはようございます。

今朝の岐阜美山、昨夜の雨も上がって曇り空。

この3連休、これから天気もよくなるようですね。

 

今、ウチには5台のテレビがあります。

応接間(今どきないか?)とわたしの6畳の部屋、そして元アキの部屋で誰かが来たときの寝室の3部屋が液晶テレビ。

わたしとカミさんの寝室兼居間の8畳間がプラズマテレビ。

1階の居間は、まだまだ旭飛が小さくて画面叩かれると困るので、昔のブラウン管にチューナー付けて見ています。

 

わたしの子供の頃と比べると随分どころか画期的に画像がきれいになりました。

わたしたちの部屋のプラズマなんて、38インチのハーフなんですが、全然問題なし。

最近4Kどころか8Kのテレビが売られていますが、あんなのほんとに必要なのかな?

少なくともわたしは要りません。

 

昔のテレビ、こんなんでした。

 

 

「テレビ様」(笑)

前にはうやうやしく緞帳がかかっていたり、中には観音開きになっていてカギまでかかるのもありました。

でも、昔ってNHK以外、ずっと1日中は放映はしてなかったんですよ。

NHKでも夜中は休んでました。

 

民放なんてお昼過ぎから夕方までお昼休み。

画面はずっとこんなのでした。

 

 

これはNHKのものですが、各民放でいろいろなデザインがありました。

動かないこの画面が延々と…

見てても楽しくもなんともないです(笑)

これ、名前を「テストパターン」といいます。

この間にいろんなつまみで画面を正しく調節しろってことだったのかな?

 

学校から帰って来てテレビつけても、これだもんね(笑)

夕方に再開するまでが待ち遠しくて。

 

テレビの創成期、いろいろな番組がありましたが、わたしの心に強烈に残っているのがこの番組でした。

その名も「恐怖のミイラ」

 

 

調べてみたら、1961年7月4日から10月3日のわずか3ヶ月しか放映されていなかったんです。

全14話。

「ホラー」のはしりですね、これ。

 

でも、子供にとったら、怖いのなんの。

白黒なので余計に怖い。

まともに目を開けていられませんでした。

 

 

 

 

放映時間は7時30分から8時、ウチは割と早くにテレビを買ったので、夕飯を済ませた子供も大人も何人か集まってこれを見ていました。

お茶を出したりお菓子を出したり、そんな家の家族はもう大変(笑)

 

放映されていたのが夏だったので、ある日、一番怖いシーンで近くに「バリバリバッシ~ン!」と落雷!

子供たち大パニックで座敷中を走り回りました。

中には泣き出すヤツも(笑)

ほんと、死ぬかと思いました。

 

でも、今から思えば、懐かしいいい時代でした。

 

今じゃ全然怖くない「恐怖のミイラ」第1回