才能とかセンスとかいう前に

訓練で会得できることがたくさんある


明確な目的をたてて,それを達成するための訓練方法を考える

訓練方法には「自分」を克服するための工夫も含まれる.

朝は苦手だとか,意志が弱くてすぐ人に合わせる性格だとか

集中力があまりないとか,スタートが遅いとか...

そういう自分の性格を知ったうえで計画を立てる必要がある.


しいて言えばこの方法を確立できることが「才能」なのかもしれない.


時々会うのは「やる気はあるけど伸びない」人.

頑張っているのだけれどちょっとのぞくと

その頑張り方がただ我武者羅なだけでどうも...というパターン.


がんばるプロセスを評価できるのはやはり中学生くらいまで.

大人はちゃんと成果も出さないと.



先日,ミュージシャンを目指す若者から聞いた感慨深い話.

彼曰く「真面目にストリートライブ活動でチャンスを待つ連中は

音楽に対して純粋な気持ちは持ってるのかもしれないけど

音楽で食べていこうという気持ちはないんじゃないか」とのこと.


その心は,「やり方が良くない」.

売れない時代,ストリート活動,小さなハコでの地道な活動が実って売れた,

という心温まるサクセスストーリーはよく聞くけれど,

ミュージシャンを目指す多くの若者に比べると本当に本当に一握り.


自分の才能やセンスを信じてその一握りを目指すのもいいけれど,

仕事として食べていくには「やり方」ってものがあるらしいのです.


たとえば,どんなに安い著作権料だったとしても,

再生回数に応じて支払われるわけで・・・

人気番組ではない長寿番組のテーマソングや

ラジオ番組の導入ソングなんかに地道に応募し続ける.


それこそ,短い料理番組や園芸番組,囲碁・将棋番組の

曲というよりほんの短いテーマ曲程度であっても1つ採用されれば...

毎日1回再生で1年で365回.再放送でもあれば730回.

全国版や地方版を合わせればかなり応募できる件数も多い.

その中で確実に稼ぎながら知り合いを増やしていく...


頼まれたことは決して断らずにとにかく「何かあったら頼める」という

「その他の役割」をこなせるという信頼を築いていく.それが彼の「やり方」.


大人は「がんばる」だけではいけない

やり方というものがある...というのを痛感した.

頭が良い,というのはこういうことだと思う.

頭は,使うためにあるのだ.

「その他の仕事」というのが世の中にはあると思う。


家の中での「お母さん」の役割だったり

部活の「マネージャー」の役割だったり

偉い人に対する「秘書」の役割だったり

病棟での「看護師さん」の役割だったり...


要は「あなたの仕事はこれ!」と定義できない

ハプニング的なものや必要に応じて変化する仕事を全般引き受けてやる人。


大体の組織においてはベテランさんは自動的にこの役割をこなす。

なぜならばいろいろな経験があって急なハプニングに対応できたり

みんなの気づかないことに気づけたりするから。


これを「その他の役割」と命名したい.


この「その他の役割」は,そもそもあいまいなものなので

「あなたやって」と割り当てられることは少ない.

なので,気づいた人・能力のある人がやることになる.


その他の役割をこなすことで,自然とさらなる能力が身に付く.

「仕事はできる人にもっと集まる」の構造は

ここからスタートするのかもしれない.


日本だと,だいたい下っ端がこのような役割をこなすよう求められる.

なにかうまくいかないことがあると「お前何とかしろ!」

「言われたことだけやればいいと思うな」「言い訳するな」

などと上の人に言われたりするわけだ.

これらは,しばしば「無能な上司の暴言」と思われたりもするけれど

とらえ方によってはその他の役割対処力を伸ばしてくれることにもなる.

上司が無能だからか,自分がそうやって育ってきたから

下もそうやって育てようとしているのかは人によるのだろうけれど.


それに対してアメリカは,それらが全て管理職(Manager)の「仕事」だ.

うまくいくように全般取り仕切る、という役職が存在する.

役職が上がるとその他の役割が増えるから給料も上がる.

能力・仕事量に応じた給与体系という合理的な考えではある.



その代り「マネージャの役割」「リーダーシップ論」などの

授業やワークショップなどちょっと胡散臭い感じのものを

若手に施さなくてはいけなくなる.(自学自習のチャンスは少ない)



日米どちらが良いシステムなのか??

単純に比較はできないけれど

日本で育った私は前者を心地よいと感じる.


誰に頼まれなくても褒められなくても,役に立とうが立つまいが,

自分に力をつけるために,その他の役割をどんどん探してやっていきたい.

中二病


Wikipediaによると

思春期の少年が子どもから急激に大人になろうと無理に背伸びをして、

「(子供の価値観での)大人が好みそうな格好のいいもの」に興味を持ち始め、

「子供に好かれそうなもの」、「幼少の頃に好きだった幼稚なもの」を

否定したりするという気持ちが要因である。

(中略)

多くの場合、初期の意味である「自分を特別視」し、

「中学2年生くらいの世代の好みそうな趣味・嗜好」

を持っていると言う意味をさす。



のだそうだ。


20歳を過ぎると、「あのころの感覚」というと誰しもが

あ~なつかしいなぁと思いだすのではないだろうか。

伊集院光、言い得て妙とはこのことだ。


みんなに共有するイメージではないのだろうが、

楽しかったこともあり、つらかったこともあり...

身体も能力もある程度大人なのに、全然世の中のことを知らなくて

成長期の体が軋む現象が心に起きているような感覚。


中二病。



医療に携わるものとしては簡単に「病」とか言ってほしくはないけれど

でも、中二の自分が「簡単に『病』とか言うな」という大人を見たら

きっと力の限り文句を言うと思うので、この際ここにはこだわらない。


それと同時に思いだすのは20歳のころ。

あのころは尖がってたな~私、と思いだす。

20歳のころを多くの人が懐かしむのかどうか...はともかく、

私には「大二病」にもそれなりに思いだされるものがある。


「二十歳のころ」という本がある

色々な分野で活躍する(←陳腐な言い方!)人たちが

どのような二十歳の頃を過ごしていたか、を二十歳前後の大学生が

インタビューしてまとめるというものだ。


キーワードは「二十歳」。

二十歳の聞き手に対して

二十歳のころを回想する受け手。


二十歳のころの体験が後々人生を左右するという

コンセプトなのであろうと思う。


今の若者たちは、中二よりもはるかに大人になったはずの二十歳前後に

目いっぱい労働することもなく、結婚したり出産したりすることもなく

「学生」として過ごす人が多い。


多くの人は高校を卒業した時点で「大学・短大・専門学校で

テストのための勉強なんかしたって社会では役に立たん」

「もっと大事なことを学べ」とかあいまいなことを言われたことが

あるのではないだろうか?専門職を目指す人でない限り。


明日はどうなるのだろう?

就職したら、どんな業界に行くのかも分からず、

やりたいこともそこまではっきりと見つからず...

無駄と役に立つの区別がつかない二十歳のころ。

私がそんな時に読んだ一冊だ。


色々な人の話を聞いてむしろ「自分は自分」と思えたし、

無駄なことなんて何もない。目の前のことを一生懸命やろうと思えた。

思い出の一冊です。