これまで人の愚痴を聞いても楽しくない...というか、

ありきたりなコメントだけれど「生産性ないなぁ」とか

「どうせいっちゅうの??」思っていたのだけれど、

本当にどうしようもないことで、

予知することはできても避けることはできなくて、

受け入れるしかない、でも納得いかない!ような時に

愚痴ることで元気になれることもあるんだなって知りました。


人に迷惑かけちゃあいかんけれど

愚痴ることに意味なんかなくてもいいんだ。


どうしようもないことだけれど、受け入れて前に進むために、

今を元気よく、心身ともに健康に過ごすために、

たまに愚痴れる友達はありがたい。

相手の状況もよく知って、聞いていれば

少なくともお互いにとって「必要なこと」ではあるのだ。


ちょっぴり大人になった気がしました。

このインターネット時代,新しいことに取り組むことの

「障壁」は限りなく無に等しい,と感じます.


私の取り扱うデータは文字・数字データ,画像データがメインで,

音楽と映像のデータについては完全に門外漢でした.

ところが,人の結婚式幹事をやるときとか

自身の研究ではないプレゼンテーションの際には

私の範疇にこだわらないアウトプットが求められます.


お祝いビデオを作ったり,それに音楽を乗せたり,

ビデオや音楽編集が必要になる場面があるわけです.


本当は苦手意識があるだけなのに

「忙しい」のカサを盾にして放置してみるわけですが

そうもいかなくなってやっと重い腰を上げるわけです.


まずはどんなソフトが必要か...google先生にご相談.

操作でトラぶって...ご相談.

「こうしたらこんなメッセージが出て先に進めない」

などと,ぴたり同じ相談が引っ掛かったりして,

google先生さまさまなわけです.


そして何とか一通りの作業が終わると...

何となくもう出来るような気がするのです.

トラブルには対応できなくても,

少なくとも,大体の仕組みはなんとなくわかる.


初めてインターネットを使った中学生の頃(1995年くらい)には,

正直ネットで何かを調べるという感覚はなかった.

どこかの公式ホームページを見たり,ネット通信をしたり,

地図を見たり行き方を調べたりゲームをするくらいで

新聞や雑誌の方が詳細な情報源という認識を持っていた.

正確な情報はやはり辞書や事典という認識も持っていた.


今では,,,ネットの方がはるかにピンポイントの情報がある.

「私が疑問に思うことは必ず誰かもそう思っている」というわけだ.


大学にいて思うこともおなじ.

若い世代ほどコンピュータをブラックボックス的に信頼し,

設定やプログラムなど細かいことができない学生が増えてきている.

でも,インターネットの使いこなしについては

圧倒的にスキルが洗練されてきていて,

とにかく概要把握が早いし,仕事も幅広くこなせる.

「それはやったことないんで...」という前に

googleで調べて概要や必要なものを把握しているという感じだ.


善し悪しだな、と思う.

今の子が「考えない」などというつもりもない.


少なくともソフトの操作では何をしても壊れない.

できるだけいろいろなことをしてみる.

それで意外な発見があって,だんだんスキルが上がる.

私は残念ながらその世代だ.


今の若い子たちとは違うけれど,

私には私のやり方とアイデンティティ.

彼らには彼らのやり方とアイデンティティ.


大昔,車が出たての頃は,車に乗る人=車の中身を知っている人

=ある程度直せたりチューンできる人だったんだろう.

今の私にとっては車の中身は完全にブラックボックスだ.

乗り方のテクニックやエコ運転などはそれなりに知っている.


新しいものが出てきて,洗練されていくと,

みんなそのような流れをたどるのに違いない.

その行く先は...「思考停止」にならなければいい.

危機管理意識や考える力が薄れて

「無知」で人に迷惑をかけなければいい.そう思う.


ブラックボックスう部分は詳しい人に任せて

全体のマネージメントができるようになれば素晴らしい.

昔を振り返らず,様々な人たちとの交流を恐れず,前に進もう.

結婚して子供を持ったら

家事は適宜家事のプロに,

育児は部分的に保育のプロに任せる.

お父さんお母さんの役割は自分の役割の中のあくまで一部で,

家事や保育をプロに頼んだ分,自分も自分の分野でプロとして社会で働く.


これがいわゆるアメリカ都市部流の分業というやつです.


乳幼児のころは「子ども」という立場しかなかったのに

学校に行くようになると家での私と学校での私に分かれ,

クラブ活動や部活を始めるとさらにそこでの私,

アルバイトを始めればバイト先での私,

塾や習い事に行き始めればまたそこでの私...


場所によって立場や役割が変わっていき,

複数の自分を使い分けるようになるのが「成長」とも言える.


最初は学校,次にその中での委員会活動や部活...

このあたりはまだ「模擬練習」だけれど,

アルバイトや就職などを経験すると,

本格的に自分の役割が増えていく.


それでも,独立するまでは本拠地は「家庭」だったわけだが,

経済的に自立したり結婚したりするとその本拠地が移ることになる.


一般的に(本当に一般論だけれど),日本では結婚したり子供が生まれると

家庭を維持する「妻」という役割,子供を育てる「母」という役割を

女性が24時間体制でこなすことを求められることが多い.


就職などの社会経験(=複数の役割体験)を体験した人ほど,

専業主婦・子育てに専念することに不安を覚えるのは

努力して手に入れ,果たしてきたはずの役割を

手放すことへの不安と同じだと私は思う.(至極当然の不安だ)


もちろん,子どもの成長を見逃さないように片時も離れずそばにいたい

そのためにはそれまでの社会での役割を手放すことも辞さない,

という人は,ぜひそうすればいいと思う.男女問わず.


でも,社会での既得役割を手放したくない人が結婚しない・

子供を持たないという選択をするのはやむをえないことだ.



最近,「家事・育児は分業してもいいのかもしれない」

との認識を持とうかと思う.


私自身,仕事で稼いだお金を家事や育児の

部分外注に使うってどういうことなんだろう...

どちらも楽しいととらえれば楽しいものだし

家族とのコミュニケーションツールにもなるものなのに

と正直割り切れない気持ちもある.


でも,「食事宅配サービス」企画担当者に話を聞いた際に

週に何回かでも食事を外注にすることで

お母さんに精神的・肉体的ゆとりが生まれて

家族が円満に行くことがあるんです.

独居老人に温かい食事を届けることで生きる力を

支えることにつながることもあるんです,と力説された.


管理栄養士の作る200種類以上の献立.

保存料合成着色料なしにこだわった素材.

(↑これだけで「安全な食事」でないのは間違いないが)

担当者の問題意識や,新しい市場を拓こうとする

気概にもかなり共感できた.


ロボットが家事や子育てをする世界を目指したいわけではない.

家事をやりたくないわけでもない.

でも,子どもが小さくて大変な一時期に

ほんの少しの手助けでうまくいくこともあるのかもしれない.


分業の選択,そのうち試してみたいな,と思います.