発達障害当事者のヘプバーンですおねがい
オードリー・ヘプバーンが大好きな
アラフィフですてへぺろ
発達障害の事を中心にブログを

書いています鉛筆
(たまにコーデなど脱線記事あり笑
どうぞ宜しくお願いしますお願い

(ブログタイトル変更しましたスター


私が苦手な
「障害は個性」
という言葉
その言葉について書かれている記事を
見つけました


私の言いたいことを代弁して下さっている

ような記事です。


「障害は個性」

という言葉は便利に使われすぎている

ような気が私はしています

障害のある方や障害のあるお子さんを持つ

親御さんに対して励ましの意味で

使われていますよねはてなマーク

大体の方は気を遣って言って下さるの

でしょうし良かれと思い言っているのだと

理解はしていますがこの言葉は当事者以外が

言ってはいけない言葉だと私は思って

います。

当事者が障害の特性などに困っていない場合は

この言葉が当てはまるのかも知れませんが

ちょっと安易に使われすぎ…


この記事の中で特に共感出来る部分。


「障害=個性としてしまうと視覚障害者や

聴覚障害者は「目や耳が不自由なのは個性の

一つ」、肢体不自由の人は「うまく歩けない

のは個性の一つ」ということになります。

視覚障害児も、聴覚障害児も、

肢体不自由児も、持っている障害が個性

なのではなく、生まれ持った気質と育った

環境で、さまざまな個性が生まれるのだと

思います。」


本当にその通りだと思います。

でもこの

「障害は個性」

という言葉って主に発達障害者に向けて

発せられる言葉だと思いませんかはてなマーク

身体障害者の方に

「障害は個性」

という言葉を当てはめてみると筆者の方が

おっしゃっている

「目や耳が不自由なのは個性の一つ」

ということになります。

でもそれってなんか違うと思いませんかはてなマーク


また筆者の方が

「困っていることが山積みですから、

個性でも障害でも、そんなことはどうでも

よいのです。」

とおっしゃっています。

親御さんからしたら本当にその通りだと

思います。

まあ私は障害は障害でしかないという考え方

なので普段から障害だと意識して生活して

いるから

「障害は個性」

と言われて腹が立つんでしょうけどね…


「障害によって個性が見えづらくなっている」

というのもそうだと思います。

障害が大きければ大きいほどその傾向は

大きくなるのではないでしょうか。

なのに

「障害は個性」

という言葉でひとくくりにされる。

その言葉にもやもやしている当事者や

親御さん達がいることにいい加減気づいて

欲しいです。


私も筆者の方のようによく思います。

「障害がなかったら私はどんな人生だった

んだろう」

「障害がなかったら転職を繰り返すことも

なかったのかな」

考えても仕方ないことなんですけどね…


まあ私も

「障害は個性」

という言葉に目くじらを立てるのではなく

「ほんなんどっちでもええわびっくりマーク

くらい思えたら良いのでしょうけどね。


「個性的で良いね」

という褒め言葉があります。

その

「個性的で」

の部分に

「障害があって」

を当てはめてみて下さい。

「障害があって良いね」

なんて誰も思わんし誰もそんなこと

言いませんよねはてなマーク

「個性を磨く」

とは言うけれど

「障害を磨く」

とは言いませんよねはてなマーク

障害はない方が良いに決まっています。

だから私はやっぱり

「障害は個性ではない」

と思います。


まあでもまたこれからもこの言葉を

いろんなところで目にするんだろうな。

仏の気持ちでこの言葉を受け入れられる

ようになるにはどうすれば良いのか

なかなか答えが出ない問題です。




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