ヘルミーナ・ティールロヴァーの人生⑦〜ポヤルの存在〜 | チェコチェコランドのイベント・商品情報ブログ

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最近ずっと連載させていただいております

チェコで

初めて人形アニメを作った

女性アニメ作家

ヘルミーナ・ティールロヴァー(1900〜1993)の人生について

本日も書かせていただこうと思います。

 

ティールロヴァーには

お会いしたことがありませんので、

ティールロヴァーについて詳しい

チェコのアニメ関係者から

伺ったことに基づいて

書かせていただきます。

 

≪過去に書いたティールローヴァーのお話≫

①ティールロヴァーの人生①〜女の子のために作ったアニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12771346525.html

②ティールロヴァーの人生②〜ズリーンの人形アニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12775623004.html

③ティールロヴァーの人生③〜女の子のためのアニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12775964828.html

④ティールロヴァーの人生④〜打ち砕かれたプライド〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776110869.html

⑤ヘルミーナ・ティールロヴァーの人生⑤〜プラハとズリーンの間で〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776147973.html

⑥ヘルミーナ・ティールロヴァーの人生⑥〜イジー・トルンカとの遭遇〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776414493.html

 

 

本日が第7回目です。

 

 

≪前回までのまとめ≫

1930年代半ば

夫の仕事の手伝いとして

”人形アニメ”に携わり、

チェコで初めての人形アニメを作った

ティールロヴァー。

 

しかし、夫の不倫で離婚。

でも、人形アニメを続けるため

元夫とその不倫相手との奇妙な関係の共同での

人形アニメ制作を余儀なくされるも

ナチス侵攻のため

夫とその不倫相手が

ティールロヴァーに黙って国外に脱出。

一人残されたティールロヴァーは

傷心のまま

南の小都市ズリーンに逃れ、

ズリーンで再び、

人形アニメ制作を取り組むことに。

その後

終戦とともに

首都プラハに

国営のアニメスタジオが設立することに。

”チェコでのアニメ制作の先駆者”の自負を持つ

ティールロヴァーは、自分が責任者として選ばれるのでは、

と期待するも

責任者になったのは

絵本の挿絵画家の

イジー・トルンカ。

トルンカはイラストは描けても

アニメは未経験者。

ティールロヴァーは

「素人に何ができるの?」

たかを括るも

トルンカは

いきなりカンヌ国際映画祭で

最優秀賞を受賞。

 

自分の”上から目線”を恥じた

ティールロヴァーは

負けてたまるかと

ズリーンで人形アニメ制作に没頭。

そして、翌年、ティールロヴァーも

ベネツィア国際映画祭で大きな賞を受賞し、

トルンカに負けない奮闘を見せます。

 

そんな中、

何と、トルンカらが諸事情で

プラハの国営スタジオを退職し

国営スタジオは

トルンカの次の新しい責任者を探すことに。

 

今度こそ、自分が責任者に選ばれると思った

ティールロヴァーでしたが、

責任者に選ばれたのは

後に”もぐらのクルテク”の作者として名を馳せる

若干26歳のズデニェック・ミレル

 

”こんな若造に何が出来る”

今回も侮ったティールロヴァーをよそに

ミレルはデビュー作で

なんとベネツィア国際映画祭で特別賞を受賞!

 

頑張っているのは自分だけじゃないんだ、と実感した

ティールロヴァー。

腰を据えてズリーンで活動することを決意。

そんな中、

プラハで国営の人形アニメ専門のアニメスタジオ

”スタジオ イジー・トルンカ”

が設立されることに。

もちろん、トップはイジー・トルンカ。

 

「なぜトルンカばかり優遇されるのか…。」

実績では何一つ負けていないのに…。」

 

プライドがズタズタになった

ティールロヴァーの元に

なんとトルンカがプラハから訪問し、プラハでの

自分のスタジオの一員になって欲しいと嘆願…。

 

トルンカの謙虚で緊張感を持った腰の低い態度を見て

”自分に欠けていたもの”を感じたティールロヴァー。

トルンカは”創作活動”だけでなく、

チェコでのアニメ産業を確立しようとしている、と感じ、

プラハの”スタジオ イジー・トルンカ”の

一員になることを決意。

 

ここまでが前回のお話。

 

 

 

 

 

ティールロヴァーが

プラハに来て

”スタジオ イジー・トルンカ”の一員になってからの

エピソードは

ブジェチスラフ・ポヤル監督(1923〜2012)に

伺ったことを元に

書かせていただきます。

ポヤル「トルンカは間違いなく”巨人”だったよ。

彼には才能があったし、実績も申し分なし。

何より”言葉に説得力”があったから、

誰もがトルンカについて行ったよ。

実際、私も若い頃はずっと

トルンカを追い続けたよ。

ティールロヴァーも

トルンカの情熱的な言葉に感化されて、

プラハに来ることにしたんだろうが…。

でも、トルンカは”ワンマン性”が強いから

上手に立ち回れる人でないと、

トルンカの元ではキツかったと思うよ…。」

 

 

トルンカに誘われ、

プラハにやってき、

”スタジオ イジー・トルンカ”の

一員になった

ティールロヴァーですが、

”縦社会”を実感することになります。

 

トルンカの腰の低さに

「優しい人だな。」と

ティールロヴァーは思ったかも知れませんが、

トルンカは厳然たるスタジオのトップ。

何をするにも

トルンカの許可が必要でした。

 

人形アニメの企画書を作って

トルンカの承認を得る作業

なかなかティールロヴァーは

馴染めなかったようです。

 

夫の手伝いから

スタートした

人形アニメ制作でしたが、

良くも悪くも

夫は制作を

ティールロヴァーに任せきりで、

ティールロヴァーは

自分の思い通りに制作を進行していたようです。

 

ズリーンに移っても

ズリーンのスタジオでは

”人形アニメの第1人者として”

扱われていたため、

ここでも

自分の発想のまま

制作をすることができたようです。

 

ある意味、ずっと”自由に”できたきたものを

急に制限がかけられた感じになり、

ストレスを感じたようです。

 

やはり決定的なのは

トルンカと

ティールロヴァーの作風の違い

大きかったようです。

 

トルンカは人形アニメの題材は

”おとぎ話”を元に考えるきらいがあり、

ポヤルが”現代を舞台”にした人形アニメを作りたい、と

言った時、なかなか意思疎通が難しかったと

書いたことがあります。

↑その時のブログ記事
 
元々人形劇団を主催していた
トルンカにとって
題材は
”おとぎ話”が多かったようです。
 
 
何より、ティールロヴァーとの決定的な違いは
トルンカは
”人形アニメ”は”人形”を使ってこそ、という固定概念が
あったようです。
 
わかりづらい言い方をしてすみません。
 
”人形アニメ”という言い方をしていますが、
トルンカやティールロヴァーの作り方は
正確に言いますと”ストップモーションアニメ”という
アニメです。
 
物を撮影して少し動かして
また撮影…。
その撮った画を連絡して動いているように見せているアニメーションです。
 
私は総称して”人形アニメ”と言っていますが、
文字通り、トルンカは
”人形”を動かしてアニメを作っているのですが、
 
ティールロヴァーは
もっと発想が自由です。
 
毛糸などの手芸の素材や
 
フェルト素材
 
ガラス玉など
あらゆる素材を使って
アニメを作っています。
 
元々
美術畑出身でない
ティールロヴァーの方が、
”既成概念”は少なかったのかも知れません。
 
”女の子が憧れる世界”を具現化したい、という
発想からスタートしている
ティールロヴァーのアニメ作りだと
トルンカと
相まみえるのは難しかったでしょう。
 
トルンカは”頑固”というより、
ティールロヴァーのしようとしていることが
あまり理解できなかったのかも知れません。
 
ティールロヴァーが
「こんな感じのものを作りたいんですが…。」
と企画書を出すと、
「いかん!だめだ!」という
感じではなく、
「そんなのよりも、こんな感じの方が
いいんじゃないの?」という
感じで返していた気がします。
 
トルンカは
おそらく、ティールロヴァーの発想を
理解しようとしていたつもりだと思います。
でも
ティールロヴァーのアニメはトルンカの思う
”人形アニメの世界”とは
ズレがあったと思われます。
 
いずれにしても
自分の企画がなかなか通らないので、
ティールロヴァーの制作意欲は
どんどん落ちていきました。
 
 
この時のことをポヤル監督は言います。
ポヤル「予想通り、ティールロヴァーは
泣きが入って
ズリーンに戻りたいって言い出したよ。
トルンカとティールロヴァーは
作風が違うし、
二人ともそれぞれの環境で”トップ”にいたからね。
ティールロヴァーは
息苦しく感じたんじゃないの。
 
でも、僕はティールロヴァーに同情できたよ。
トルンカは本当に偉大だし、
トルンカがいたからこそ、
チェコアニメは大きく発展したと思うけど。
”固定観念”が強いところがあるから、
意思疎通が難しいんだ。
僕だって、
「飲み過ぎた一杯」(1953年)で
”現代”を舞台にした人形アニメを作りたい、と
言った時も理解してもらうまで大変だったからね。
 
↓その時のエピソードはこちら
 
でも、トルンカは理解してくれたら、
強烈にバックアップしてくれたからね。
あんな頼りになる人はいないよ。
 
でも、僕はトルンカとは”関係性”が築けていたし、
僕の方が年下だったので、トルンカは何から何まで面倒を見てくれたけど、
ティールロヴァーは
トルンカより随分年上だし、
キャリアでいっても先輩だし、
トルンカも気を使っていたと思うよ。
でも、気ばかり使っていると
距離は縮まらないからね。
だから僕が手を貸したのさ。
どんどん発展していく
”スタジオ イジー・トルンカ”。
新しいスタッフがどんどん増えます。
 
でも、なかなか空気が読めないトルンカを
フォローしたのはポヤルでした。
なかなか馴染めない新人がいたりすると
一緒に食事をしたり、話しかけたりしていたようです。
 
日本の高名なアニメ監督が
トルンカの元に修行に行った際、
ポヤルが親身になって面倒を見たそうです。
その監督は
ポヤルへの感謝をいつまでも
声にされていました。
 
ポヤル「”実力主義”の現場という声もあるけど、
誰もが最初からテキパキ動けるわけじゃないからね。
だいたいの人は馴染むのに時間がかかるわけだから、
手を貸してやらないとね…。
特にティールロヴァーは
一番の年長だったし、
ベネツィアを取ったりして
すでに”ビッグネーム”だったから、
みんな話しかけずらかったと思うんだ。
でも、それだと孤立するから
僕が、色々面倒を見たよ。
住むアパートも一緒に探したし、
郵便局や
スーパーマーケットの場所も教えてあげたし、
住所登録しに
市役所にも一緒に行ってあげたよ。
 
でも、そういう風に色々連れていくうちに
だんだんと打ち解けてくるからね。
バスに乗っている時に
ズリーンでの活動の話を聞けて
僕も勉強になったよ。
 
それでも、
思うような制作ができず
息苦しいので、
ズリーンに帰る、と言い出したんだ。
 
それでしょうがないので、
企画書は
僕が代わりに出してあげることにしたんだ。
 
つまり
ティールヴァーが直接
トルンカに企画書を出すのではなく、
ポヤルが
まずティールロヴァーから
企画の説明を受けて
それを
ポヤルからトルンカに伝えることで
承認をもらいやすくしたようです。
 
ポヤル的には
トルンカと直接話をしない方が
ティールロヴァーのストレスも
軽減するのではないか、と考えたみたいです。
 
その効果があってか
ティールロヴァーは
プラハでの活動を継続することにしたようです。
 
ポヤル「ティールロヴァーが
プラハに残ってくれてよかったよ。
彼女の仕事を近くで見れるのは
僕にとって勉強になったよ。
僕の中から出てこない
発想が次から次へと
出てくるんだ。
僕らはみんな”自己流”で
アニメを作ってきたから、
人の仕事を見るのは
本当に勉強になる。
トルンカはスタジオの繁栄のため、
彼女を呼んだのかも知れないけど、
僕は、彼女の作品、制作姿勢に
興味があったから、
一緒に仕事をしたかったんだ。
だから、色々面倒を見たのは
そういう”下心”があったからさ。
だから、僕は”いい人”でも
なんでもないよ。」
 
最後はポヤル監督らしく
”照れた”感じでしたが、
ポヤルのおかげで
ティールロヴァーは
プラハでの活動が継続できたようです。
 
実際、ティールロヴァーは
後年、「自分のプラハでの活動は
ポヤルがいてこそでした。
彼がいなければ、私のプラハでの活動は
なかったでしょう。」と言っています。
 
でも、
実際、
プラハでの活動を始めた
1950年代以降、
ティールロヴァーは
ズリーンでも
たくさんアニメを制作しております。
 
”スタジオ イジー・トルンカ”に
縛られることなく
プラハとズリーンと
行き来して
両方のスタジオで作っていたそうです。
 
そういうことは可能だったのでしょうか?
 
チェコのあるアニメ制作会社のオーナーに
このことを聞いたことがあります。
 
オーナー「ポヤルの尽力があったとしても
トルンカがトップでいる以上、
ティールロヴァーはストレスフルだっと思うよ。
だから”縛らない”ことにしたんじゃないかな…
もちろん、ポヤルが画策したんだよ。
日本もそうだと思うけど、
会社員は他の会社で仕事はできないよ。
でも、ポヤルが色々動いて
どっちでも活動できるようにしたのさ。
 
ポヤルは、本当に研究熱心だったからね。
ティールロヴァーの
技術、方法、考え方など
全部吸収しようとしていたよ。
だから、ティールロヴァーに
何としてでもプラハで活動してもらいたいから
とても気を使っていたね。
ティールロヴァー作品の
エンドクレジットを見てごらん。
普通は
”監督 ○○
脚本 ○○”
という感じでクレジットが流されていると思うけど、
ティールロヴァーは
違うんだよ。
普通は
”監督 ヘルミーナ・ティールロヴァー”
と書くんだろうけど、
彼女の場合は、
”世界的大芸術家 ヘルミーナ・ティールロヴァー”
書かれているんだ。
これはポヤルのアイデアなんだ。
ティールロヴァーのストレスがマックスになって
”もう絶対にズリーンに帰る”となった時が
あったみたいなんだ。
その時に
このクレジットをポヤルが提案したんだ。
しかもその提案を
トルンカから
ティールロヴァーに言わせたらしい。
 
”トルンカが言ったほうが
ティールロヴァーが感激する”って…。
 
本当の大芸術家であるトルンカ
元々美術畑でない
ティールロヴァーに対し
「あなたこそ
”本当の大芸術家”だ。
だから、このクレジットを入れさせて欲しい。」ってね。
ティールロヴァーは感激して
プラハには引き続き滞在することに決めたからね。
 
でも、その後のトルンカの言葉がなんとも言えないよ。
「こんなことで喜んだくれるなら
私は何でもするよ。
基本、お金のかからないことは賛成だからね。」
 

 

今回はここまでです。

 

今回も”大人の事情”炸裂しまくりでした。

 

次回、ポヤルのティールロヴァーへの

気遣いのエピソードを書かせていただきます。

そして、クルテクの作者ズデニェック・ミレルが

ティールロヴァーの物語に登場します。

 

 

ティールロヴァー作品のDVDは

川崎市多摩区の

「チェコのアニメと絵本の店」と

「銀座直売会」にて税込2500円で販売しております。

 

以下が今まで書かせていただきました

トルンカ、ポヤル、ティールロヴァーら

チェコアニメの黎明期に活躍した作家の

エピソードです。

 

第一回目↓

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12759991751.html

 

第二回目「君の退職届も出しておいた」↓

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12760173426.html

 

第三回目「その名は”スタジオ イジー・トルンカ”」
 
第四回目「東のディズニー」
 
第五回目「本当の天才」
 
第六回目「トルンカの人間力」
 
第七回目「気遣いの応酬」
 
第八回目「飲み過ぎた一杯」
 
第九回目「”子ども向け”ではなく”子ども目線”」
 
第10回目「トルンカには負けたくない」
 
第11回目「トルンカ最後の提言」

 

第12回目「ポヤルの新しいパートナー」

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12767008539.html

 

最終回「後継者の育成」

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12767986116.html

 

外伝「ベドジフの巻き添え」

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12767984211.html

 

ティールロヴァーの人生①〜女の子のために作ったアニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12771346525.html

 

ティールロヴァーの人生②〜ズリーンの人形アニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12775623004.html

 

ティールロヴァーの人生③〜女の子のためのアニメ〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12775964828.html

 

ティールロヴァーの人生④〜打ち砕かれたプライド〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776110869.html

 

ヘルミーナ・ティールロヴァーの人生⑤〜プラハとズリーンの間で〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776147973.html

 

ヘルミーナ・ティールロヴァーの人生⑥〜イジー・トルンカとの遭遇〜

https://ameblo.jp/a-a-agallery/entry-12776414493.html

 

 

 

 

 

チェコアニメのエピソードを

お聞きになりたい方は

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お越しください。

いくらでもお話しいたします。

 

 

 

 

 

 

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