という日にちが、まさか15年経ってもずっと特別な日だという風に思えるとは。
お逢いした時や一方的に見知っていた頃には、想像も出来なかったです。
不思議な出逢いとその後の15年と半年は、決して楽しいばかりの日々じゃなくて、
何度となく「居なくなってしまいたい」という企図もしてしまったりしたのですが、
そんな中でもずっと変わらなかった、「お店で受け入れてくれたことへの感謝」は、
わたしが人間としての身体が機能している間は、忘れないで居たいと思っています。
機能している間は、という言い方をすると少し悲しい表現になってしまうけど、
世界的な疫病に振り回されているご時世だったり、わたしの勤め先でのやりとりで
「人間というのは、悲しいかな平均80年前後で活動限界が来る」ということと、
「人によっては80年どころか、というところで限界が来る不運がある」というのを
考えずには居られないこの1年間を過ごしてきているので、わたしなりの思いとして
「でもその無事に生きられている間は、感謝を忘れたくない」と思うわけです。
あんまりしょっちゅう言っていると重たい感じになっちゃうのですけども。
わたしはあまり、Twitterで盛況に行われているハッシュタグに混じってだとか、
0時丁度に思いを発するのは、もう旦那持ちの身で堂々とやることではないなと
いう風に思っているので、なんだか斜に構えた感じで申し訳無いのですが、
これが今のわたしなりの気持ちとして残しておきたい文章とさせてください。
去年の今日、かの方の故郷へ渡航をしてきて、ちょっと考えられないくらいに
凄い偶然があったりして、また1年、思いを強く持つことが出来たのですが、
一方でその後もずっと「こんな思い方は迷惑になる」という思いが拭えずで、
たぶんこれはずっと、どんどん歳を取るたびに考えていくような気がしてます。
通い詰めてた頃も「気軽に「ファンです」「格好良い」って言えたら楽だ」と
何度となく考えていたりしていたのですが、なかなか今後も直らなさそうです。
遠慮がないファンよりは良いかなと思っているので、赦してください。
と言いつつ、今日はたまたま昼からで昔の職場であるカラオケ屋さんに行くので
想い人さんの曲を歌ってきたりしてみたいなあとは思っています。
歌っている声を趣味で録り貯めてはいたんですが、いっぺん上げてみようかな。
こないだ比較的わたしと想い人さんは発声が似ているのを見つけたりしたので、
えいやっと世間に投下してしまっても良いですかね…。