孤独の太陽 | 徒然むかしばなし

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蝦夷地のほぼど真ん中に棲むクイズとロックバンド好きの主婦による、昔の思い出話をまとめたブログ

まさかこのような心情でのお話を、まさかこの方の事で書くことになるとはです。

またちょっと、当時のむかしばなしを書こうと思います。

 

MONOBRIGHTさんの『孤独の太陽』という曲が、凄く好きだったんです。

2009年リリースの曲で、とあるドラマの主題歌になっている曲でした。

これを書いている今日、そして思い出したきっかけとなった昨日に入った、

とある悲し過ぎる訃報を聞いて思うことがあったのです。

当時の記憶等々も含め、あれこれ書いてみようと思います。

 

該当の楽曲はYouTubeにMVが置いてありましたので、ぜひご覧ください。

https://youtu.be/xL7czdI1ULA

 

あと、歌詞はこちらへ。

http://j-lyric.net/artist/a04d315/l01c3cf.html

 

この曲はなんと言っても、MONOBRIGHTという、長年好きなバンドの9mmを

共に好きで居た音楽好き仲間の女の子がすごく好きで居た、というバンドが、

地上波のドラマの主題歌を初めて担当するというところに知るきっかけが

あったのでした。事務所関係で、そのドラマの主演の方のご縁があったそうで。

2009年10月という、時期的にも丁度そのバンドも、そしてわたしとその仲間の

女の子が共に好きだった9mmも、歴史的にも一番メディアや夏フェスなどへの

露出があった頃だったかな、と思っています。

 

そして、起用されたドラマの初回を初めて見て、ひとりの役者さんの、

二面性を帯びた主人公を演じる素晴らしい演技力に惹かれたものでした。

そして、後々までひっそりと「素敵な役者さんだ」と思うことになります。

三浦春馬さんとおっしゃる役者さんでした。昔に見た『14歳の母』という

作品で、主人公の女の子を妊娠させてしまうという男の子、の印象とは

随分と成長を経て精悍な雰囲気になられたな、と当時思ったものでした。

 

該当のドラマは、少し気が弱い高校生の男の子が、図書館で歴史の本を

読んでから突然武士に変身して、悩み事に立ち向かう、というような

内容だったかと思います。おどおどしている普段の少年と、侍の時との

ある意味顔芸かと思うくらいの、精神状態の二面性が凄く印象的でした。

侍ということで、確か殺陣のシーンなんかもあったのを覚えています。

言ってみれば学園ドラマでありながら、時代劇的なこともするという、

これは役者さんが相当見事でないと成立しないよな、というものでした。

 

このお話、ドラマを見ていた人間としては「いやー凄かった」という

感想を抱いて終わるのですが、役者さんの側からしてみればこの役柄は

相当大変だったんではないかと思ったものでした。

実際、三浦春馬さんのwikipediaにもそのことが書かれておりました。

ご本人的にはこんなに負担が大きいのは初めてというくらいの疲労感で

「役者をやめて農業の道に」「とにかく今の状態から逃げ出したい」

「故郷へ戻りたい」というお気持ちがあったということを知りました。

結局お母さまに説得されて思い止まったそうですが、この事でもう、

ご本人としては俳優としての自信をなくしたとの事でした。

この話を知って、皮肉なものだなあ、と思ったものです。

そのくらい凄く素敵な演技でしたし、お顔立ちや雰囲気も清潔感のある

すっとした美しい方でしたので、本人の想い出と客としての印象は

こうも違うことがあるのだなあと思ったりしたものでした。

 

三浦春馬さんの出世作を一つ挙げなさい、となると、わたしが好きな

その『サムライ・ハイスクール』という作品や『ブラッディ・マンデイ』

というドラマではないそうで、世間的には『君に届け』『進撃の巨人』の

印象が強いという方が、訃報のあった後に見たTwitterでのワード検索では

多かったように思います。ただ、それ以外にも素敵な演技があった作品は

他にもあって、わたしは作品を見る機会が比較的少なかったのですが、

wikipediaの中に記載されていた中では他に『僕のいた時間』という作品と

『大切なことはすべて君が教えてくれた』が話の筋書きが好きだなあと

思ったものでした。作品は、何かの機会で借りられたりしたら見ようと、

後日の機会を伺いつつも結局作品として観ることは今日現在までなくって、

つくづく、もっとちゃんと観ていれば良かった、と思わされております。

 

わたしは、今回の三浦春馬さんの死因が、縊死であった、という事だけ

存じているのですが、心情的な背景などは当然ですが何も知りません。

ただ、1つだけ少し引っかかっていることがあるのですが、もしかしたら

昔にご本人が思われた、すっかり自信をなくしてしまったという事象が

その後も素晴らしいお仕事を続けていく中で、精神や身体的な負担として

大きくのしかかっていたんだとしたら、もう良いでしょう、というのが

縊死に至る直前までずっと苛まれていた心情だったのではと思います。

辞めたいと思った時に辞めていたら、生き続けておられたかもしれない、

というのはあまりに短絡的な考えかもですが、実際そのように思います。

あれだけ素敵なお仕事をされる方だったので、きっと真面目なお人柄で、

妥協がしにくい気質の方だったのかもしれません。それは仕事が凄いと

いう良い結果を作る一方で、本人としては凄く負担があったのかもと、

どうやっても戻せない結果になってしまってからですが、思います。

 

本当に、ただただ、どうして、という気持ちしかありません。

生きる希望よりも命を終えるというほうが楽になると思うくらいの、

大きすぎる絶望、と5月の悲しい訃報の時にも書いたものでしたが、

素晴らしいお仕事と素敵な容姿をお持ちで、お人柄も素敵だったそう、

という方々のお仲間からのお声を拝見し、何度も涙を零しました。

もしかしたら、ほんとにどこにも、本当の自分を出せなかった、

ということがあったとしたなら、あまりにもつらすぎる縊死です。

おつかれさま、というのもなにか違うし、ご冥福をお祈りしますも

まだまだ現実を受け止められず、使いたくないという気持ちです。

一つだけ言えることがあるとするなら、三浦春馬さんという方を、

わたしが生きているうちに知れたことをいつまでも忘れないで、

ずっとずっと覚えておくことが、惹かれた者としての出来る事の

ひとつなのかもしれません。寂しいですが、そう思うことにします。

そして、見てみたかった作品は、きちんと見ようと思います。

 

今はひとまず、『僕のいた時間』が、一番観たいです。

三浦春馬さんという「孤独の太陽」が存在したということを、

絶対に絶対に、忘れないように。