過去一の特等席にて | 徒然むかしばなし

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蝦夷地のほぼど真ん中に棲むクイズとロックバンド好きの主婦による、昔の思い出話をまとめたブログ

訣別をするのは、むしろこちらの方だったかもしれない。
これが、想い人を見終えた直後に思った、正直な気持ちでした。

久しぶりに舞台で見る想い人は、3年前に今日の位置より離れたところで見た時より、
落ち着きが前に出たような印象でした。良い悪いではなく、安定感が出たと言うか。
それは、舞台の客層に合わせたことなのか、あるいはお子さんがおいででの変化なのか、
はたまた私が勝手に色んな追加情報を知った上で感じたことなのかは判らないのですが。
これを、前になんにも遮りがなく、また、遮りがないだけでなく、左右の位置にしても
ほんの1人2人真ん中から演者さんから見て左にずれただけの位置で観られて良かった。
それも、想い人の誕生日の直近の公演でなんて、これ以上の贅沢はないと思いました。

同時に、もうこういう前提で来るのは、この過去一の特等席での観覧で最後にするかと、
これ以上凄いところなんて今後取れないだろうからさ、と、いう気持ちも芽生えて。
どこかで夫に、こういう行動を続けているのは、申し訳ないと思っていたこともあり、
その区切りのタイミングとしては、これ以上ないだろうと、思いました。
少なくとも、かつてよく観に行ってた頃に、想いが前に出ていた見方をした事とは、
今日は良い意味で訣別が出来たように思えました。純粋に舞台として、楽しかった。

聖地巡礼に出た日の朝は、先にも書いたように「永訣の朝」としようと思っており、
永訣とするべきものは、「想い人を恩人として想い続けること」と思っていました。
けれどそうするには、想い人との間で経験した物凄い出逢い方を無いものとするようで
どうしたものかと考えてたところに、宇治神社での、とあるとんでもない偶然があり、
永訣とすることを、思い直そうと思ったのです。
それはまるで「全然、忘れようとしなくて良いんだよ」と言われたかのように思えた、
あまりに嬉しすぎた偶然でした。ずっと、私に記憶する能力が残ってる間だけでも、
絶対に忘れてはいけないし、憶え続けておかなければと思ったのです。
今まであまり、「魂に呼ばれた」とかの想いは信じている方ではなかったのですが、
この日の出来事では、かつて3回ほど訪ねた、ある優しいご婦人の姿が浮かびました。
度々訪れるたびにお孫さんのことを、思い出話として聞かせて下さったご婦人。
お孫さんが少し危ないお仕事をされてたお話の時に、ポツリと聞かせてくださった、
「怖い思いしてねぇ、気ぃ弱い子やのに」という声が今でも忘れられなかったりして、
気が弱い方が気を張って仕事をするのってどれだけ大変なんだろ、と思ったものでした。
想い人も比較的、気が強いかたではなかったので、無理してはるのかなと思ったりして、
ご婦人のお話を聞いてからは想い人に「無理しなや」て思うようになったものでした。

そのご婦人はもう既に数年前に他界されていたということは存じ上げていたのですが、
かつて訪れていた場所には今回、そういえばまだ看板とかあったりするのかもと思い、
何となくここだったという記憶を辿って足を運んでいました。
看板はなくなっていて、代わりに飲食店になっていたので、今回はお昼ごはんを戴きに
訪れ、その中で、先の住人であったご婦人のお話も少し聞かせて頂きました。
まるで、想い人への聖地巡礼と言うより、優しかったご婦人を偲びに来たようでしたが
後からお店の奥からおいでになった、お店のご主人のお母様という94歳になるご婦人に
「もしまだご存命だったら同い年くらいだったかな」と思ったりなんかもしました。
他にも界隈には、矢鱈と聞き覚えのある物事が随分溢れていた偶然もあったりして、
もしかしたらすべてはご婦人が、この偶然を引き合わせて下さったのかもと思いました。
そうなると、やはり、嬉しかった記憶は、絶対に忘れてはいけない。
むしろ、訣別するのは、余計な気持ちを持って想い人を見に行くことだと思ったのです。

「こんな重たい想い方は、迷惑になる」
その気持ちは舞台を見終えてもやはり抜けずではあったのですが、もしかしたらそれも
「そんなんなんぼでもおるし、気遣わんでええ」ということなのかもしれません。
けどやはり、もう少しこの気持ちについては、ゆっくり考えることにします。
もしもまた、今回くらいの特等席を当てることが出来たら、その時にはまた改めて、
想い方について考えて、向き合うことにしたいと思います。
新しくまた一つ出来た、絶対に忘れてはいけない優しさを胸にして。