淀屋橋~三室戸 | 徒然むかしばなし

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蝦夷地のほぼど真ん中に棲むクイズとロックバンド好きの主婦による、昔の思い出話をまとめたブログ

平日朝の京阪特急の、女性専用車両の車内で、

dustboxの『Shine Bright』をイヤホンから聴きながら、
宮沢賢治の『永訣の朝』を青空文庫で黙読して、
なるべく誰にも気づかれないように涙を流す私は、
なかなかの不審人物だなあと思いました。
 
京阪の電車と線路には、色んな思いを詰めてきました。
宇治という、想い人の故郷へ初めての一人暮らしに行く希望、
一人暮らしになって白日の下になったことで暴走し始めた自己嫌悪、
中学生頃から拗らせてきたぼんやりとした希死念慮、
それと、これでは、このままではいけないと思う、焦燥感。
2007年のわたしは、随分と物思いが過ぎていた人物でした。
 
中書島のホームで、何度となく「一歩」を踏み出そうと思ったものでした。
絶望への一歩。
実際にこれを踏み出していれば、12年経った今、
再びこのプラットホームを歩いて居ることもなかったなと、
引き続き流し聴いているdustboxの曲達を聴きながら、思いました。
その「一歩」を思い留まらせてくれた、当時の親友である夫に感謝もしつつ。
 
12年と少し経った今日は、想い人が生まれて41年になる日。
今日は聖地巡礼と、少しばかりの訣別をしに宇治に向かっています。
想い人の故郷であり、2年間住んでいた宇治へ。
 
想い人は、2007年当時から2年前に凄い出会い方をした人です。
同じ店の御贔屓という立場で同席して、
お店のご主人の優しいお気遣いで、殆ど人にしてきてなかったお話もした、
謙虚で紳士で、才能溢れる4歳年下の人。
わたしが想うには、あまりに大きな存在の人。
 
わたしは1年間、どういう立場で居れば、一生を通しての想いを持っていけるか、
何度となく考えては何度となく苦しくなって、何度となく泣いたものでした。
遭遇した事への感謝よりも、通い続けて近くで観られている恵まれた事よりも、
時々訪れる「こんな重たい想い方、迷惑になるだけだ」という想いで。
幸せだったけど、それを凌ぐ勢いで苦しくなったものでした。
軽く「ファンです」て言える事が出来たら、どんなに楽だっただろうと。
 
そして、今日訣別するのは、この重たい想い方という気持ちです。
これではあまりに、命を救ってくれた親友である夫に、申し訳が無さすぎると思い、
聖地巡礼として宇治に来るのは、今日で終わりにしようと、思ったのです。
もっと気を楽にしないと、大事な家族が出来た今を生きるには、抱え込み過ぎてると。
何より、明日、過去一の特等席で想い人を拝見するには、泣かずに観れなさそうで危ないと思い、
明日を軽い気持ちで迎えるために、今日で重たい想いを取り除いておこうと思って。
 
いま、当時の最寄駅の、三室戸に着きました。
電車の中でこれを書いてて泣かずに居られなかったので、
ちょっと鎮めてから、平等院に向かいます。
いま鎮めておかないと、このあと純粋に楽しめないかもですし。
 
一旦ここで筆(ではなくスマホのタップですが)を置こうと思います。
ぐるぐる聴いてるdustboxをスマホから聴くのも止めて、
最後の来訪となってもいいくらいの、沢山の写真を撮るのに使っていきます。
 
重たい想いとの永訣の朝。もっと気楽に、軽く想いなさいと、言い聞かせて。
帰る頃には、一人の純粋な観光を終えた客になっていますように。