ランニング通勤の皆様に強烈にオススメのバックパック
過去3年以上、ランニングで通勤してきたが。
ようやく「これは!」というバックパックを発見。
それはColumbiaのCrescent Peak(クレセントピーク)!

何が他のバックパックと比べて優れているかというと。
かいた汗がしみこまないようになっているのだ!

これを見ていただくと分かるのだが。
背中に接する部分がメッシュになっていて、通気性が確保されている上に。
生地に直接背中が当たらないようになっている。
さらに、ショルダーストラップの部分も。
汗を吸ってしまう布地ではなく、柔らかいスポンジ状のプラスティック素材で出来ていて。
汗でびしょびしょになって通勤して、帰るときにバッグ持ったら。
超汗臭くて萎える~ってことがなくなる、という、ランニング通勤者からすると夢のようなバッグ。
ランニング通勤すると、手ぶらで走っていくわけにはいかないので。
貴重品であったり、帰りの着替えだったり、仕事道具だったり。
いろいろ持って走らなければならず。
で、2kmも走れば大汗かきはじめて。
ウェアも、バッグもびちょびちょ。
会社に着いてファブリーズかましまくっても。
帰るときにはもうビミョーな匂いがしている気がしてならず。
走って帰るのであればまだいいけど。
電車に乗って帰ると、なんか周りの人に凄い迷惑掛けているような気がしてならず。
これまで使ってきたバッグは、たとえばこんな感じ。

これはトレイルランニング用のバッグで、背中の部分は突起があって通風性が確保されているが。
ショルダーストラップは布なので、どうしても汗を吸ってしまって臭くなる。
軽くていいんだけどね。
で、直近愛用していたのが以下のもの。

トレイルランニング用のバッグだと、容量がだいたい10リットル以下なので。
冬になると、着替えがごっつくなるので、容量不足になる。
体にフィットして、いいバッグで愛用していたのだけれど。
素材が吸水性がある上に、メッシュというか通気性を高める穴が沢山あるので。
洗濯しても、なんかビミョーに匂いが残る。

こういう背中がメッシュになっているバッグも持っているのだが。
残念ながら、ショルダーストラップが普通の生地で。
やっぱり汗臭くなってしまう。

だから、ショルダーストラップ部分と背中の部分が汗を吸わず、サッと拭けば汗がぬぐえるというバックをズッと探し求めていたのだが。
それがなかなかなかったところに。
Finally!!!という感じでColumbiaのCrescent Peakが登場。
これ見てもらえば分かりますが。
私が求めていたものが、完全に商品化されてます。


これで、会社の帰りでも臭い!と言われることなくバッグを持ち歩けます。
唯一の欠点は、ウエストストラップの部分にものが入れられないこと。
私は走るときに常にiPhoneをウエストの収納部分に入れて走っていたのだけれど。
その収納がないのが玉に瑕。
それがある同様の製品、San Gil(サンギル)もあるのだが、容量がちと多くてかさばる(28リットル)。
でも、それ以外は完璧です。
ColumbusのCrescent Peak、マヂでオススメします。
楽天最安値は(2011年9月4日時点)送料、税込みで8000円ちょっとです。
ようやく「これは!」というバックパックを発見。
それはColumbiaのCrescent Peak(クレセントピーク)!

何が他のバックパックと比べて優れているかというと。
かいた汗がしみこまないようになっているのだ!

これを見ていただくと分かるのだが。
背中に接する部分がメッシュになっていて、通気性が確保されている上に。
生地に直接背中が当たらないようになっている。
さらに、ショルダーストラップの部分も。
汗を吸ってしまう布地ではなく、柔らかいスポンジ状のプラスティック素材で出来ていて。
汗でびしょびしょになって通勤して、帰るときにバッグ持ったら。
超汗臭くて萎える~ってことがなくなる、という、ランニング通勤者からすると夢のようなバッグ。
ランニング通勤すると、手ぶらで走っていくわけにはいかないので。
貴重品であったり、帰りの着替えだったり、仕事道具だったり。
いろいろ持って走らなければならず。
で、2kmも走れば大汗かきはじめて。
ウェアも、バッグもびちょびちょ。
会社に着いてファブリーズかましまくっても。
帰るときにはもうビミョーな匂いがしている気がしてならず。
走って帰るのであればまだいいけど。
電車に乗って帰ると、なんか周りの人に凄い迷惑掛けているような気がしてならず。
これまで使ってきたバッグは、たとえばこんな感じ。

これはトレイルランニング用のバッグで、背中の部分は突起があって通風性が確保されているが。
ショルダーストラップは布なので、どうしても汗を吸ってしまって臭くなる。
軽くていいんだけどね。
で、直近愛用していたのが以下のもの。

トレイルランニング用のバッグだと、容量がだいたい10リットル以下なので。
冬になると、着替えがごっつくなるので、容量不足になる。
体にフィットして、いいバッグで愛用していたのだけれど。
素材が吸水性がある上に、メッシュというか通気性を高める穴が沢山あるので。
洗濯しても、なんかビミョーに匂いが残る。

こういう背中がメッシュになっているバッグも持っているのだが。
残念ながら、ショルダーストラップが普通の生地で。
やっぱり汗臭くなってしまう。

だから、ショルダーストラップ部分と背中の部分が汗を吸わず、サッと拭けば汗がぬぐえるというバックをズッと探し求めていたのだが。
それがなかなかなかったところに。
Finally!!!という感じでColumbiaのCrescent Peakが登場。
これ見てもらえば分かりますが。
私が求めていたものが、完全に商品化されてます。


これで、会社の帰りでも臭い!と言われることなくバッグを持ち歩けます。
唯一の欠点は、ウエストストラップの部分にものが入れられないこと。
私は走るときに常にiPhoneをウエストの収納部分に入れて走っていたのだけれど。
その収納がないのが玉に瑕。
それがある同様の製品、San Gil(サンギル)もあるのだが、容量がちと多くてかさばる(28リットル)。
でも、それ以外は完璧です。
ColumbusのCrescent Peak、マヂでオススメします。
楽天最安値は(2011年9月4日時点)送料、税込みで8000円ちょっとです。
「前へ! 東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」、麻生幾 著、を読了
麻生幾の「前へ! 東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」を読了。
会社帰りに本屋で手にとって、夕食後すぐに読了。
別に簡単に読める本ではないのだが、ものすごく引き込まれた、と言うことだ。
3月14日の夕方に福島第一2号機の原子炉爆発が想定され、夜には自衛隊全部隊に原発100キロ圏内からの退避命令が出た、とか衝撃的なことがたくさん書いてある。
もちろん表舞台には出てこない、無名のヒーローやヒロインのエピソードも。
著者は昔から「その筋」からの情報を元に執筆してきた人なので、情報の取捨選択には意図が込められている部分があるのは承知の上。
だが、それにしても生々しい。一読をお勧めします。
麻生幾「前へ! 東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」1575円 2011年8月


直近読んだのが上杉隆の「報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪
だったが。
「前へ!」でどのような情報が自衛隊や警察に伝えられていたのかを見ると、既存のマスメディアがどれだけ真実を伝えていなかったか、改めて判る。
というか、それらを鵜呑みにしていたらどれだけ自分や家族を危険にさらしていたのかと思うと、寒気がする。
自分の身は自分で守らないと。
会社帰りに本屋で手にとって、夕食後すぐに読了。
別に簡単に読める本ではないのだが、ものすごく引き込まれた、と言うことだ。
3月14日の夕方に福島第一2号機の原子炉爆発が想定され、夜には自衛隊全部隊に原発100キロ圏内からの退避命令が出た、とか衝撃的なことがたくさん書いてある。
もちろん表舞台には出てこない、無名のヒーローやヒロインのエピソードも。
著者は昔から「その筋」からの情報を元に執筆してきた人なので、情報の取捨選択には意図が込められている部分があるのは承知の上。
だが、それにしても生々しい。一読をお勧めします。
麻生幾「前へ! 東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」1575円 2011年8月

直近読んだのが上杉隆の「報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪
「前へ!」でどのような情報が自衛隊や警察に伝えられていたのかを見ると、既存のマスメディアがどれだけ真実を伝えていなかったか、改めて判る。
というか、それらを鵜呑みにしていたらどれだけ自分や家族を危険にさらしていたのかと思うと、寒気がする。
自分の身は自分で守らないと。
アウディR8 4.2のMT(!)に乗る

幸運なことに、再びアウディR8をお借りできることになった。
それも、パドルシフトではなく「漢」(おとこ)のMT仕様。

フェラーリですら458からはセミATのみになったのではなかったか。
そんなご時世で「アウディのスポーツカー」でMTを選ぶ理由はあるのだろうかと訝しげに思ったのだが。
実はこのMTのチョイスは大正解!
同じ四駆のカレラ4S乗っている私からしても、ものすごく痛快なクルマ。
まず乗り込むと、以前お借りした4.2 R-Tronic(セミAT)のラグジュアリーな要素が削ぎ落とされていて。
男の仕事場、的な無骨なインテリア。


ここからもかなりエンスー仕様であることが伝わってくる。
正直、このクルマのこの仕様は、アウディのブランドイメージからすると相当な異端児だ。
私が実際知っている範囲での、高級なスポーツカーを買う人たちというのは。
「誰よりも早く新しいモデルに乗りたい(訳:だってびらかしたいんだもん)」とか。
「同一モデルの中では一番ハイエンドの仕様に乗りたい(訳:だって俺が金持ちだって世の中に知らしめたいんだもん)」というような人たちが多くて。
本当にある特定のモデルの特定の仕様が好きで、それをわざわざ選ぶと言うよりは。
財布と世間体との折り合いがつくところで何を買うか考える、という思考回路の人が多い気がする。
クルマのもたらす効用は様々だから、別にそれが悪いとは思わないが。
そんななか、5.2のスパイダーや、R-Tronicがラインナップされている中で、4.2のそれもマニュアルを選ぶ人って、一体どんな人なんだろう??と不思議にもなる。
でも実際に山道をいいペースで走らせてみると、クルマ好きの人であればグッとくる要素がとても多くて。
ポルシェ997Sとか4Sとか買いたいと思っている人は、買う前に一度乗ってみることをおすすめします。
エクステリアはいつ見てもいい意味で見慣れない、というか。
なかなかこんな顔したクルマにはお目にかかれない。

何かに似ているなあ、何だろうと思い悩んだが。
何となく、歌舞伎俳優の隈取りに似ている?様な気がする。

おなじみ、になりましたがLEDがあしらわれたヘッドライト。
よく見ると、反射板にR8と書かれていて。
芸が細かい。
後ろから見た眺めも、相当異端。

One and Only、ですね。
エンジンルームがよく見えるように、実はLEDライトがここにも。

最近メルセデスベンツCLSもLEDてんこ盛りになって。
なんかスワロフスキー盛ってます、みたいだな、と思ったりもするが。
アウディの使い方はイヤらしくなくていいですね。
マグネティックライド、磁性流動体でショックアブソーバーの柔軟性を変化させる機能、がついていて。
太いタイヤを履いているため、街中ではそこそこばたばたするがマグネティックライドのおかげでだいぶ乗り心地がいい。
首都高のような段差の多い道でスポーツモードにすると、内臓が痛くなります(やや大袈裟ですが。笑。)。
でも大井松田から御殿場の右ルートを飛ばしたり、峠道に行くと、スポーツモードの心地よさが分かる。
ワイドなトレッドでそもそも踏ん張り感がある中、クワトロならではの安定性が際だつ。
伊豆スカイラインを南下しつつ、2速から4速をシフトしながらコーナーを攻めると。
ステアリングから路面とタイヤの状況がしっかり伝わって来て。
悪い意味でのドキドキ感をあまり感じることなく、どこまで行っても破綻しないのではと思わされる。

シフトアップ、ダウンを繰り返すと。
F355のような金属のシフトゲートのセンターと端に、これまた金属のシフトレバーが擦れ合って。
まるで高級なクロノグラフのベゼルを回すときのような、金属音が。
気持ちいいです。
クラッチは重くもなく、軽くもなく。とてもスムースな操作性。
シフトもすとんすとんと決まる。
ペダルセッティングも非常に良好で、峠道では大変助かる。
特筆すべきがブレーキのタッチ。
効き始めまでのストロークが短いので、最初はびっくりしたが。
ポルシェのブレーキも最高だが、R8のブレーキも超いいです。
重量バランスもいいせいもあって、強大なストッピングパワーが思い通りに地面に伝わる。
酷暑の中をハードな運転したにもかかわらず、タッチにほとんど変化なし。

峠で相当頑張ったので、タイヤがこんなになりました(私だけのせいではないと思いますが(笑))。
というか、どんだけ楽しかったか、これ見たら分かって貰えるかな、と思います。

オイルもポルシェ並みに消費するので、3000km走ると以下のような表示が現れた。





このクルマのインプレッションって、なかなかお目にかかれず。
見つけたのはカーグラフィックのウェブ版のものだけで。
そこには若干ネガティブなトーンで書かれていて。
そんなに量産車のメーカーのスポーツカー呼ばわりしなくても、と少し思う。
だって。
このクルマをMTで作って日本に入れようとしたアウディって、凄くないですか?
目先の損得だけで考えれば、このモデルの導入ってほとんど無意味だろうから。
貧すりゃ鈍す、的な話ばかりが多い中で。
上り調子の会社ならではの余裕のなせる技?
でもこういうクルマを作って走らせたい、と思っている人がアウディにいると知るだけでも、なかなか気持ちのいい話です。
とても楽しいクルマでした。

ちなみに私が今試乗してみたいクルマ、個人的に興味があるクルマは。
ポルシェパナメーラ(試すだけならTurbo、実際に興味があるという点では4S)
ジャガーXJポートフォリオSWB(白/ベージュ革のパンチングシートがかっこよい)
かなあ。
関連記事
R8で出撃 その1 2008-01-13
東松島での活動まとめ 二日目
二日目は無事に二日酔いもなく活動開始。
朝5時過ぎに起きてホテルで入浴後、コンビニで食料を仕入れ。
6時半過ぎの仙石線に乗って再び矢本へ。
8時前に着き、またボランティアセンターへ。
「お弁当持ってきていて午前、午後とも参加できる方はポストイットにAMPMと書いて下さい」、とスタッフの方がおっしゃるので。
これは、遠くまで行ってなかなか帰ってこれないところでの厳し目の作業なのか、と思って敢えて志願。
お弁当持参、と言ってもコンビニで買ったアップルパイ一つと缶コーヒーだけなのだが。
スタッフの指示で男性5人、女性3人の8人一組のチームになり。
作業内容を聞くと。
「仮設住宅に入居する方の食器、茶碗と小鉢、湯吞みの3点セットを500セットを作る作業です」、と言われ拍子抜け。
だって、昨日の作業が土方仕事だったので。
今日も腰痛防止ベルト、防塵ゴーグル&マスク、作業用レインコートに安全長靴、といったフル装備。
でも、食器がないと生活に困るわけだし、肉体的にしんどくないからと言って人様の役に立たないわけではない。
すぐに普通の格好に着替え直して、センターから徒歩8分ほどの場所へ移動。
朝、東松島の街を歩いていると、幼稚園児からも、市民の皆さんからも挨拶される。ありがたい。
国連食糧計画から寄贈された大型テントの中で、支援物資の食器を袋詰めする。

京都から来た、50代の男性や。
地元で中学卒業後航空自衛隊に入り、今は水戸にいるという非番の自衛隊員(筋肉の付き方が半端ないので、すぐに自衛隊か消防隊員だと分かりました)などの人たちと一緒となった。


食器を一個一個新聞紙でくるんで、3点セットを作ってビニール袋に入れるという内容。
「一日かけてお願いします」、との作業指示だったが。
チームワークで気合いを入れて、1時間半で終わらせた。

別にたらたらやっても、誰も文句を言うわけでもないが。
折角来たのだから、出来るだけ貢献して帰ろうという心づもりの人が多く。
段取りを改善させながら、一気呵成に終わらせた。
休憩中に話を聴くと。
昨日石巻に行った、と言う人は。
やはり石巻は相当ダメージが大きい、東松島のボランティアセンターの方が被害が少ない分充実している、とのこと。
昨日は写真を洗う作業だった、とおっしゃっていた。
午後は超しんどい作業を敢えてやりたい、と言う話を他の二人としていたら。
スタッフが作業の割振りを決める時に使われる紙に希望を書けば、ある程度通ると教えてもらう。
そして、午後の土方仕事に備えるべく、センターで教えてもらった中華料理屋に行って炭水化物を補給。
地元でお金を使うのも、ここに来た目的の一つ。
中華料理屋への道中、電車のこない仙石線の線路の上を歩く。
錆び付いてしまって、雑草が伸びてきてしまっている寂しい線路。
いつになればまた電車が走り出すのだろうか。

そして12時半に、再び登録開始。
午前中に一緒だった男性二人と志願して、「土方仕事、キツい仕事やります」と書く。
すると「泥出し、がれき撤去」という作業指示。
望むところ。フル装備に着替える。
現地は越前小野方面。野蒜の近く。
やはり一面津波にやられた形跡が。
ただ作業に入ったお宅は、目の前に建物があったため。
昨日の田んぼの前の家ほど、悲惨な状況ではなかった。
しかし、種籾を栽培するハウスはめちゃくちゃに壊れ。
収穫した米を乾燥させる大型の機械も、横倒しに。
母屋の瓦も、三分の一ほどが落ちてビニールシートが掛けられていた。

津波のせいで裏庭にまで泥が入り込んでいる。
狭い場所なので手作業。再びスコップで泥を削り、土嚢に詰めていく。
土嚢を一輪車に乗せて、離れた場所で土を出して土の山を作っていく。

文字にすると大変さが伝わらないが、中腰になってスコップで泥を削りだし。
それを土嚢に詰め込んで、ずっしりと重い土嚢を一輪車に乗せて、という作業は、腰の悪い私には結構辛い。
ゴーグルは汗で曇り、ゴム手袋の中は汗で水たまりができる。
そして、枕木大の石を12個ほど運ぶ作業。
普段はフルパワー使う機会はほとんどないけれど、久々に自分の限界を試す。
そんな作業を2時間。
志願したのだから、誰にも文句言えない。
ボランティアセンターの車が迎えに来てくれて。
依頼主の方が頭を下げてくれる。
私にとっての東松島での生活はここで一度おしまいだが。
ここの土地の人たちは、引き続き大量の泥とがれきと格闘する生活が続く。
昨日は入れなかった風呂に入って、すっきりした体で代行バスに乗って仙台へ。
空腹のため居酒屋に入る。
一の蔵の冷酒が、疲れた体にしみこんだ。
朝5時過ぎに起きてホテルで入浴後、コンビニで食料を仕入れ。
6時半過ぎの仙石線に乗って再び矢本へ。
8時前に着き、またボランティアセンターへ。
「お弁当持ってきていて午前、午後とも参加できる方はポストイットにAMPMと書いて下さい」、とスタッフの方がおっしゃるので。
これは、遠くまで行ってなかなか帰ってこれないところでの厳し目の作業なのか、と思って敢えて志願。
お弁当持参、と言ってもコンビニで買ったアップルパイ一つと缶コーヒーだけなのだが。
スタッフの指示で男性5人、女性3人の8人一組のチームになり。
作業内容を聞くと。
「仮設住宅に入居する方の食器、茶碗と小鉢、湯吞みの3点セットを500セットを作る作業です」、と言われ拍子抜け。
だって、昨日の作業が土方仕事だったので。
今日も腰痛防止ベルト、防塵ゴーグル&マスク、作業用レインコートに安全長靴、といったフル装備。
でも、食器がないと生活に困るわけだし、肉体的にしんどくないからと言って人様の役に立たないわけではない。
すぐに普通の格好に着替え直して、センターから徒歩8分ほどの場所へ移動。
朝、東松島の街を歩いていると、幼稚園児からも、市民の皆さんからも挨拶される。ありがたい。
国連食糧計画から寄贈された大型テントの中で、支援物資の食器を袋詰めする。

京都から来た、50代の男性や。
地元で中学卒業後航空自衛隊に入り、今は水戸にいるという非番の自衛隊員(筋肉の付き方が半端ないので、すぐに自衛隊か消防隊員だと分かりました)などの人たちと一緒となった。


食器を一個一個新聞紙でくるんで、3点セットを作ってビニール袋に入れるという内容。
「一日かけてお願いします」、との作業指示だったが。
チームワークで気合いを入れて、1時間半で終わらせた。

別にたらたらやっても、誰も文句を言うわけでもないが。
折角来たのだから、出来るだけ貢献して帰ろうという心づもりの人が多く。
段取りを改善させながら、一気呵成に終わらせた。
休憩中に話を聴くと。
昨日石巻に行った、と言う人は。
やはり石巻は相当ダメージが大きい、東松島のボランティアセンターの方が被害が少ない分充実している、とのこと。
昨日は写真を洗う作業だった、とおっしゃっていた。
午後は超しんどい作業を敢えてやりたい、と言う話を他の二人としていたら。
スタッフが作業の割振りを決める時に使われる紙に希望を書けば、ある程度通ると教えてもらう。
そして、午後の土方仕事に備えるべく、センターで教えてもらった中華料理屋に行って炭水化物を補給。
地元でお金を使うのも、ここに来た目的の一つ。
中華料理屋への道中、電車のこない仙石線の線路の上を歩く。
錆び付いてしまって、雑草が伸びてきてしまっている寂しい線路。
いつになればまた電車が走り出すのだろうか。

そして12時半に、再び登録開始。
午前中に一緒だった男性二人と志願して、「土方仕事、キツい仕事やります」と書く。
すると「泥出し、がれき撤去」という作業指示。
望むところ。フル装備に着替える。
現地は越前小野方面。野蒜の近く。
やはり一面津波にやられた形跡が。
ただ作業に入ったお宅は、目の前に建物があったため。
昨日の田んぼの前の家ほど、悲惨な状況ではなかった。
しかし、種籾を栽培するハウスはめちゃくちゃに壊れ。
収穫した米を乾燥させる大型の機械も、横倒しに。
母屋の瓦も、三分の一ほどが落ちてビニールシートが掛けられていた。

津波のせいで裏庭にまで泥が入り込んでいる。
狭い場所なので手作業。再びスコップで泥を削り、土嚢に詰めていく。
土嚢を一輪車に乗せて、離れた場所で土を出して土の山を作っていく。

文字にすると大変さが伝わらないが、中腰になってスコップで泥を削りだし。
それを土嚢に詰め込んで、ずっしりと重い土嚢を一輪車に乗せて、という作業は、腰の悪い私には結構辛い。
ゴーグルは汗で曇り、ゴム手袋の中は汗で水たまりができる。
そして、枕木大の石を12個ほど運ぶ作業。
普段はフルパワー使う機会はほとんどないけれど、久々に自分の限界を試す。
そんな作業を2時間。
志願したのだから、誰にも文句言えない。
ボランティアセンターの車が迎えに来てくれて。
依頼主の方が頭を下げてくれる。
私にとっての東松島での生活はここで一度おしまいだが。
ここの土地の人たちは、引き続き大量の泥とがれきと格闘する生活が続く。
昨日は入れなかった風呂に入って、すっきりした体で代行バスに乗って仙台へ。
空腹のため居酒屋に入る。
一の蔵の冷酒が、疲れた体にしみこんだ。
東松島での活動まとめ 一日目
金曜日に一日だけ会社を休み、二日間東松島市に行くことに。
何で東松島市か、と言われても困るのだが。
たまたま、というか。
昨年の秋に松島に行って美味しい牡蠣を頂いたので。
何かのご縁を感じていた、と言うか。
宮城県のボランティア情報がまとめられているHPがあったので。
それを見て、東松島市のボランティアセンターのHPで情報をチェック。
1日2回、朝8時半と昼12時半に受付があり、個人で行ってもボランティア登録できることが判明。
お忙しい中電話で確認するのも気が引けたので、意を決して行ってみて考えることにした。
金曜日朝7時過ぎの東北新幹線で仙台まで。
それから仙石線に乗って松島海岸まで。
松島海岸から石巻行きの代行バスに乗って矢本で下車。
震災以後のダイヤがどうなっているのか不安になるときもあったが。
JR東日本のHPで代行バスのスケジュールを確認したり。
iPhoneアプリの「乗換案内」は、代行バスも含めて正確な情報だった。
仙台駅は、一見すると地震の影響を感じさせるものはなかったが。
仙石線で東に向かうにつれ、港の堤防に引っかかったままの船や。
ブルーシートが屋根にかぶせられた家などが増えてくる。
松島海岸からバスに乗ると、息を呑むような風景が広がる。
寂寥とした、というか、言葉も出なくなるような。
野蒜駅の隣のコンビニはこのような状況。

道路に面した部分が完全に壊れて、建物の一番奥まで見通せるようになってしまった郵便局や。
崩れ落ちた堤防、流されてきたと思しき家屋。

3ヶ月線路上に立ち往生したまま放置されている電車。

正直、写真で切り取ると、実際の百分の一も伝わらないが。
バスの中で景色を見ながら涙を流している乗客がいる中で、私のような東京で安寧な生活を送っているものが、無神経にカメラを向けるのも憚られる。
人通りがほとんどない、破壊された町からは。
死の影が濃厚に漂っていた、気がした。
無理もない、東松島市だけで死者・行方不明者合わせて1200人弱。
東松島市のボランティアセンター最寄り駅の矢本には11時半過ぎに到着。
登山用の大型リュックサックには、防塵用のゴーグルとマスク、作業用レインコート、安全長靴と水・食料、余分の着替えなどを詰めていったのでかなり重い。
車だと車内に荷物を残して移動できるのだが、電車で行ったので常に荷物は全部担ぎ。
駅から12分ほど歩き、東松島市役所の北東隣にあるコミュニティセンター隣の白いテント内に設営された、ボランティアセンターに到着。
新規受付、と書かれた辺りにいたスタッフに「初めて来たのですが」と声を掛けると。
「12時半まで待っていてください」と言われる。
午前中の作業から帰ってきたと思しき人たちが談笑しているので。
一人で来て知り合いのいない「アウェイ感」を強く感じながら、テント内を観察。
東松島市は、市役所などの市の主要な機能が海から離れたところにあるので。
ボランティアセンターは物資も豊富で、電気も水道もトイレも全く問題なく使えていた。
暖かいコーヒーがセルフサービスで提供されていたり。
寄付されたらしいタオルやカップラーメン、ペットボトルの水、新品の防塵マスクなどや。
ボランティアの置き土産のレインコート、長靴、安全手袋、などなど。
極端な話、手ぶらで来ても何とかなるかも、と思わされた。


そこに来ている人たちは、男性4,5人に対して女性1人、ぐらいの割合。
すぐ脇にテントを張ってずっと活動している人たちも多い。
12時半が近づき、人が増えてきて。
受付が始まる。
新規受付のところでボランティア保険に無料で加入。
名前や住所その他を記入し、作業割り振り用のポストイットにフルネームを書き。
名札代わりに黄色のガムテープにカタカナで名字を書いてもらって服の見えるところに張る。
そしてしばらく待っていると、名前が呼ばれて。
7人一チームとなって、作業内容がスタッフから告げられる。
震災からほとんど手つかずの家の中と車庫の泥だしとがれきの撤去。
男性5人、女性2人のチーム。
「携帯電話持っている人いますか?」と聞かれたので手を挙げると、何故か私一人だけだったのでチームリーダーに。初めてだ、っていうのに。
作業内容に沿って、センターの資材を借りる。
角スコップ、剣スコップ、十能、バール、ほうき、ちりとりなどなど。
それをエスティマに詰め込み、みんなで乗り込んで現地へ。
現地は航空自衛隊松島基地のすぐ東隣。
数百メートル先に松林が見え、その先がすぐに海と思われた。
松林からこちらは田んぼだったのだろう。
でも田んぼだったところには車の残骸やがれきが。
依頼主の玄関先に、しなびた花束が供えられていた。
めちゃめちゃに壊れた海側の窓には木の板があてがわれ。
玄関の横引きの扉には、私の身長と同じぐらいのところにくっきりと津波の痕が。
依頼主が現地にいらっしゃらず、車で送ってくれたスタッフとしばらく待っていると。
40代半ばと思われる男性一人が車で現れた。
やはり、年老いた父母がこちらでなくなったそうで。
依頼主は仙台に一人で住んでいて、片付けが全然進んでいないとのこと。
取り急ぎ泥が流れ込んだままの大きくひしゃげた車庫の中の泥出しをすることに。
角スコップを持って、塩とガソリンの混じった異臭のする車庫内の泥を土嚢にひたすら詰める。
汗まみれになりながら中腰でスコップで泥をすくい取り、土嚢に詰めてそれを外に運び出す。
午後の作業が2時間だけ、と聞いて「なんだ、楽勝かも」と思っていたが。
これを一日やるとなると、素人にはかなり厳しい。
依頼主は家の中を一人で片付けていらっしゃったが。
途中で手伝いを求められ、津波で濡れたままの畳の搬出作業。
比較的乾いている一部の畳は一人で持てるが。
本当にずぶ濡れのままの多くの畳は、大の大人4人でようやく持ち上げられるぐらいの重さ。
16畳を片付けるのは相当の重労働。
畳を上げると、その下からはヘドロが出てきて滑りそうになる。
これでは依頼主一人だと、片付けるのに何ヶ月もかかるだろう。
家の中を見回すと、壁に掛かった日めくりは3月11日のまま。
普通の生活が一転して悲劇となった、という事実を改めて目にした。
途中、水分補給がてら休憩を取りながら。
黙々と作業を行い。
センターの人が迎えに来てくれて、一日目の作業は終了。
現地の写真は断りなく撮らないように、と、センターに書かれていたが。
「写真撮っていいですか?」なんてとてもじゃないが聞けない。
我々の車が見えなくなるまで、依頼主が頭を下げ続けてくれていた。
役に立って良かった。
センターに戻り、道具を高圧洗浄。
それぞれ泥にまみれた服も洗い、解散。
一人で来ているので、スタッフに「証拠写真」を撮ってもらう。
疲れて汗まみれになった身体にリュックを担ぎ、矢本駅の隣の市営の温泉施設へ。
服に黄色いテープにマジックテープで名札が張ってあるせいか。
道を歩いていると、中学生や地元の方に「こんにちは」と声を掛けられる。
ありがたい。
結局ぐずぐずしていて、温泉施設に着いたのは4時過ぎで。
4時半から1時間清掃のため休止するので5時半まで待ってください、と言われて困る。
とりあえず風呂は入れないものの服だけ着替えると。
レインコートの下のズボンは汗で完全にぐしょぐしょに濡れていて。
長靴の中の靴下も同様。
帰りのバスで隣になる人には申し訳なく思いながら、ビジネスホテルを予約してあった仙台へ。
矢本からの代行バスの中で、男子高校生が地震の時の話をしているのが聞こえてきて。
普通に遺体について語っていた。
そういう年頃だから口に出すのを憚られることをあえて口に出すのか、あるいはこの土地では死が日常的なものになってしまったのか。
東松島市だけで死者、行方不明者合わせて1200人近くと言うことを考えると、後者の可能性が高いことに気付く。
戦後の日本で人の死がすぐそこにある日常になったことが、阪神大震災と今回の震災以外これまであっただろうか。
バスの待ち合わせで隣になったおじいさんも、「毎日葬式ばかりだ」という。
寂しい葬式も可哀想なので花を毎回出すから、金がかかる、と言って淋しそうに笑った。
そんな人から「ボランティアに来てくれたお礼に」、と缶コーヒーを貰う。
普段はほとんど飲まない缶コーヒーだが、バスの中で有難く頂戴する。
あおば通近くのビジネスホテルに帰着し、大浴場へ直行。
そして7時過ぎにホテルの人おすすめの牛タン屋「味楽」へ。
カウンターだけの店はほぼ満員で。
「一人です」、というと詰めて席を一個作ってくれた。
生ビールと牛タン1.5人前を注文。
肉体労働の後の生ビールは最高。ゴキュゴキュ飲む。
左隣の3人組は、男性2人の間に「それっぽい」女性が挟まれながらいい感じで飲んでいて。
早い話が、8時からの同伴出勤前だったようだが。
ほろ酔い加減の隣の男性に、「ボランティアで来たのか?」と突然不意を突かれ。
思わず「そうです」というと、白峰、という名の冷酒をおごってもらった。
樽の形をした木の器と、その下の受け皿になみなみと注がれて。
「この酒旨いから飲め」、と言われると、ちびちび飲むわけにも行かず。
それなりの勢いで飲み干すと、酔いが回る。風呂上がりでもあるし。
しかし「味楽」の牛タンは旨く、1.5人前食べた後にもう1人前注文。
酒をおごってくれた人たちが去ると、今度は反対側に隣り合わせた男性2人組が。
さっきの話を聴いていたらしく、どこに行ったのか聞かれた。
自衛隊松島基地の近くで作業した、というと。
わざわざ東京から来てくれてありがとう、と、これまた飲み物好きなもの頼め、と言い残して金を払って帰って行った。
好きで来たので苦労じゃない、と言ったのだが、ご厚意に甘える。
でも予定外のもてなしに、アルコールが回る。
牛タン食べた後どこ行こうか、と最初はいろいろ考えていたものの。
国分町をぐるぐる歩いて回ったら、酔いもぐるぐる回ってきたのでそのままホテルへ。
二日酔いで作業できなくても何しに来たのか分からないので。
明朝6時半の電車に間に合うように目覚ましかけて爆睡。
(気が向けば続きを書きます)
何で東松島市か、と言われても困るのだが。
たまたま、というか。
昨年の秋に松島に行って美味しい牡蠣を頂いたので。
何かのご縁を感じていた、と言うか。
宮城県のボランティア情報がまとめられているHPがあったので。
それを見て、東松島市のボランティアセンターのHPで情報をチェック。
1日2回、朝8時半と昼12時半に受付があり、個人で行ってもボランティア登録できることが判明。
お忙しい中電話で確認するのも気が引けたので、意を決して行ってみて考えることにした。
金曜日朝7時過ぎの東北新幹線で仙台まで。
それから仙石線に乗って松島海岸まで。
松島海岸から石巻行きの代行バスに乗って矢本で下車。
震災以後のダイヤがどうなっているのか不安になるときもあったが。
JR東日本のHPで代行バスのスケジュールを確認したり。
iPhoneアプリの「乗換案内」は、代行バスも含めて正確な情報だった。
仙台駅は、一見すると地震の影響を感じさせるものはなかったが。
仙石線で東に向かうにつれ、港の堤防に引っかかったままの船や。
ブルーシートが屋根にかぶせられた家などが増えてくる。
松島海岸からバスに乗ると、息を呑むような風景が広がる。
寂寥とした、というか、言葉も出なくなるような。
野蒜駅の隣のコンビニはこのような状況。

道路に面した部分が完全に壊れて、建物の一番奥まで見通せるようになってしまった郵便局や。
崩れ落ちた堤防、流されてきたと思しき家屋。

3ヶ月線路上に立ち往生したまま放置されている電車。

正直、写真で切り取ると、実際の百分の一も伝わらないが。
バスの中で景色を見ながら涙を流している乗客がいる中で、私のような東京で安寧な生活を送っているものが、無神経にカメラを向けるのも憚られる。
人通りがほとんどない、破壊された町からは。
死の影が濃厚に漂っていた、気がした。
無理もない、東松島市だけで死者・行方不明者合わせて1200人弱。
東松島市のボランティアセンター最寄り駅の矢本には11時半過ぎに到着。
登山用の大型リュックサックには、防塵用のゴーグルとマスク、作業用レインコート、安全長靴と水・食料、余分の着替えなどを詰めていったのでかなり重い。
車だと車内に荷物を残して移動できるのだが、電車で行ったので常に荷物は全部担ぎ。
駅から12分ほど歩き、東松島市役所の北東隣にあるコミュニティセンター隣の白いテント内に設営された、ボランティアセンターに到着。
新規受付、と書かれた辺りにいたスタッフに「初めて来たのですが」と声を掛けると。
「12時半まで待っていてください」と言われる。
午前中の作業から帰ってきたと思しき人たちが談笑しているので。
一人で来て知り合いのいない「アウェイ感」を強く感じながら、テント内を観察。
東松島市は、市役所などの市の主要な機能が海から離れたところにあるので。
ボランティアセンターは物資も豊富で、電気も水道もトイレも全く問題なく使えていた。
暖かいコーヒーがセルフサービスで提供されていたり。
寄付されたらしいタオルやカップラーメン、ペットボトルの水、新品の防塵マスクなどや。
ボランティアの置き土産のレインコート、長靴、安全手袋、などなど。
極端な話、手ぶらで来ても何とかなるかも、と思わされた。


そこに来ている人たちは、男性4,5人に対して女性1人、ぐらいの割合。
すぐ脇にテントを張ってずっと活動している人たちも多い。
12時半が近づき、人が増えてきて。
受付が始まる。
新規受付のところでボランティア保険に無料で加入。
名前や住所その他を記入し、作業割り振り用のポストイットにフルネームを書き。
名札代わりに黄色のガムテープにカタカナで名字を書いてもらって服の見えるところに張る。
そしてしばらく待っていると、名前が呼ばれて。
7人一チームとなって、作業内容がスタッフから告げられる。
震災からほとんど手つかずの家の中と車庫の泥だしとがれきの撤去。
男性5人、女性2人のチーム。
「携帯電話持っている人いますか?」と聞かれたので手を挙げると、何故か私一人だけだったのでチームリーダーに。初めてだ、っていうのに。
作業内容に沿って、センターの資材を借りる。
角スコップ、剣スコップ、十能、バール、ほうき、ちりとりなどなど。
それをエスティマに詰め込み、みんなで乗り込んで現地へ。
現地は航空自衛隊松島基地のすぐ東隣。
数百メートル先に松林が見え、その先がすぐに海と思われた。
松林からこちらは田んぼだったのだろう。
でも田んぼだったところには車の残骸やがれきが。
依頼主の玄関先に、しなびた花束が供えられていた。
めちゃめちゃに壊れた海側の窓には木の板があてがわれ。
玄関の横引きの扉には、私の身長と同じぐらいのところにくっきりと津波の痕が。
依頼主が現地にいらっしゃらず、車で送ってくれたスタッフとしばらく待っていると。
40代半ばと思われる男性一人が車で現れた。
やはり、年老いた父母がこちらでなくなったそうで。
依頼主は仙台に一人で住んでいて、片付けが全然進んでいないとのこと。
取り急ぎ泥が流れ込んだままの大きくひしゃげた車庫の中の泥出しをすることに。
角スコップを持って、塩とガソリンの混じった異臭のする車庫内の泥を土嚢にひたすら詰める。
汗まみれになりながら中腰でスコップで泥をすくい取り、土嚢に詰めてそれを外に運び出す。
午後の作業が2時間だけ、と聞いて「なんだ、楽勝かも」と思っていたが。
これを一日やるとなると、素人にはかなり厳しい。
依頼主は家の中を一人で片付けていらっしゃったが。
途中で手伝いを求められ、津波で濡れたままの畳の搬出作業。
比較的乾いている一部の畳は一人で持てるが。
本当にずぶ濡れのままの多くの畳は、大の大人4人でようやく持ち上げられるぐらいの重さ。
16畳を片付けるのは相当の重労働。
畳を上げると、その下からはヘドロが出てきて滑りそうになる。
これでは依頼主一人だと、片付けるのに何ヶ月もかかるだろう。
家の中を見回すと、壁に掛かった日めくりは3月11日のまま。
普通の生活が一転して悲劇となった、という事実を改めて目にした。
途中、水分補給がてら休憩を取りながら。
黙々と作業を行い。
センターの人が迎えに来てくれて、一日目の作業は終了。
現地の写真は断りなく撮らないように、と、センターに書かれていたが。
「写真撮っていいですか?」なんてとてもじゃないが聞けない。
我々の車が見えなくなるまで、依頼主が頭を下げ続けてくれていた。
役に立って良かった。
センターに戻り、道具を高圧洗浄。
それぞれ泥にまみれた服も洗い、解散。
一人で来ているので、スタッフに「証拠写真」を撮ってもらう。
疲れて汗まみれになった身体にリュックを担ぎ、矢本駅の隣の市営の温泉施設へ。
服に黄色いテープにマジックテープで名札が張ってあるせいか。
道を歩いていると、中学生や地元の方に「こんにちは」と声を掛けられる。
ありがたい。
結局ぐずぐずしていて、温泉施設に着いたのは4時過ぎで。
4時半から1時間清掃のため休止するので5時半まで待ってください、と言われて困る。
とりあえず風呂は入れないものの服だけ着替えると。
レインコートの下のズボンは汗で完全にぐしょぐしょに濡れていて。
長靴の中の靴下も同様。
帰りのバスで隣になる人には申し訳なく思いながら、ビジネスホテルを予約してあった仙台へ。
矢本からの代行バスの中で、男子高校生が地震の時の話をしているのが聞こえてきて。
普通に遺体について語っていた。
そういう年頃だから口に出すのを憚られることをあえて口に出すのか、あるいはこの土地では死が日常的なものになってしまったのか。
東松島市だけで死者、行方不明者合わせて1200人近くと言うことを考えると、後者の可能性が高いことに気付く。
戦後の日本で人の死がすぐそこにある日常になったことが、阪神大震災と今回の震災以外これまであっただろうか。
バスの待ち合わせで隣になったおじいさんも、「毎日葬式ばかりだ」という。
寂しい葬式も可哀想なので花を毎回出すから、金がかかる、と言って淋しそうに笑った。
そんな人から「ボランティアに来てくれたお礼に」、と缶コーヒーを貰う。
普段はほとんど飲まない缶コーヒーだが、バスの中で有難く頂戴する。
あおば通近くのビジネスホテルに帰着し、大浴場へ直行。
そして7時過ぎにホテルの人おすすめの牛タン屋「味楽」へ。
カウンターだけの店はほぼ満員で。
「一人です」、というと詰めて席を一個作ってくれた。
生ビールと牛タン1.5人前を注文。
肉体労働の後の生ビールは最高。ゴキュゴキュ飲む。
左隣の3人組は、男性2人の間に「それっぽい」女性が挟まれながらいい感じで飲んでいて。
早い話が、8時からの同伴出勤前だったようだが。
ほろ酔い加減の隣の男性に、「ボランティアで来たのか?」と突然不意を突かれ。
思わず「そうです」というと、白峰、という名の冷酒をおごってもらった。
樽の形をした木の器と、その下の受け皿になみなみと注がれて。
「この酒旨いから飲め」、と言われると、ちびちび飲むわけにも行かず。
それなりの勢いで飲み干すと、酔いが回る。風呂上がりでもあるし。
しかし「味楽」の牛タンは旨く、1.5人前食べた後にもう1人前注文。
酒をおごってくれた人たちが去ると、今度は反対側に隣り合わせた男性2人組が。
さっきの話を聴いていたらしく、どこに行ったのか聞かれた。
自衛隊松島基地の近くで作業した、というと。
わざわざ東京から来てくれてありがとう、と、これまた飲み物好きなもの頼め、と言い残して金を払って帰って行った。
好きで来たので苦労じゃない、と言ったのだが、ご厚意に甘える。
でも予定外のもてなしに、アルコールが回る。
牛タン食べた後どこ行こうか、と最初はいろいろ考えていたものの。
国分町をぐるぐる歩いて回ったら、酔いもぐるぐる回ってきたのでそのままホテルへ。
二日酔いで作業できなくても何しに来たのか分からないので。
明朝6時半の電車に間に合うように目覚ましかけて爆睡。
(気が向けば続きを書きます)