悲しい知らせ② | ~自由人の全力迷走blog~
4月15日、米国の牧場で余生を過ごしていたヒシアマゾンが、老衰のため死亡したとのニュースが入りました。


28歳と言う、人間なら112歳にあたる長生きで、亡くなる前は食は細くなったが、寝込む事なく放牧地をゆったり歩き回っていて、最期まで並の馬ではなかったと場長のコメント。


今年2月のヒシアマゾンです。



冬毛に被われて、余計お年を召した感があります。





美しい黒鹿毛が光輝いていて、何より強かったんです。


GIは阪神3歳牝馬Sとエリザベス女王杯を獲りましたが、有馬記念やジャパンC、安田記念など牡馬相手に健闘しました。


94年の有馬記念では、三冠馬ナリタブライアンの2着に入り、彼女の非凡なる能力に魅了されたファンは少なくありませんでした。


デビュー前の彼女の評判は、米国馬の血統で身体の線も細く、また左脚も少し外側に曲がっていたため、決して良いものではなく、むしろ期待されていませんでした。


そんな批評家達を一蹴するかのように、彼女は激走しました。

勿論、中野隆良調教師とスタッフの努力が彼女の力を引き出した結果であります。


僕が1番好きな馬は同じ牝馬のエアグルーヴですが、1番強かったのはヒシアマゾンだと思います。

残念ながら、ヒシアマゾンはエアグルーヴより2歳年長だったので、同じレースで戦った事はありませんが、同世代だったらきっとヒシアマゾンの方がアタマ差強いでしょう。


そんな彼女は、実は寂しがり屋さんで、同じ厩舎の隣の馬房にいたホクトベガと言う、1歳年長の牝馬ととても仲良くしていました。

お互い、馬房の窓から首を伸ばして鼻先を付き合わせ、何か話をしているような写真を雑誌で見た覚えがあります。


放牧もいつも2頭同じ牧場へ出されました。


姉妹のように仲良しだったので、ホクトベガはスタッフから"お姉ちゃん"と呼ばれていました。


ホクトベガもまた、両前脚が外側に曲がっていて、ヒシアマゾンと同じく余り期待されていませんでした。


しかし、93年にエリザベス女王杯を勝ち、その後は芝のレースで勝ち星に恵まれずダートに路線変更。

それがホクトベガの転機でした。


地方の交流戦を次々と連勝し、ダートの女帝へと昇りつめました。


どんなに遠くへ遠征しても、必ず帰って来ていたお姉ちゃん。


そんなホクトベガに、ドバイワールドカップへの挑戦が持ち上がりました。

海外レースに出るなんて、当時の日本馬のレベルでは無謀な話でした。


でも、ホクトベガなら世界の舞台で戦える!

そう思わせる、夢を現実にしてくれそうな唯一無二の存在でした。


ホクトベガ陣営は満を持してドバイワールドカップに挑みました。

そして、ダート2000mの4コーナーを回り運命の直線へ…。


前を走っていた馬が突然減速し、ホクトベガに激突。

転倒したホクトベガの左前脚は、完全に折れていました。

投げ出された横山典弘騎手も後続馬に踏まれ、重傷を負いました。


パニックで暴れ、立ち上がろうと馬場でのたうち回るホクトベガを救う手立てはありませんでした。

完全骨折してしまったら、もう馬は生きて行けないのです。

その場で安楽死の処置が施され、ホクトベガは遠いドバイの地で星になりました。


遺体は検疫の関係上、日本へ輸出出来なかったため、遺髪として鬣の一部を馬主さんが持ち帰り、生まれ故郷にお墓を建てたそうです。


あのシーンは今でも忘れられない、もの凄くショックなものでした。

あんな悲惨な場面は二度と見たくありません。


日本で現役引退を間近に控えたヒシアマゾンは、待てど暮らせどお姉ちゃんが帰って来ない事をどう感じたでしょうか。


あれから22年、天国でお姉ちゃんと再会出来たでしょうか。


また2頭仲良く並んで草を食み、走り、幸せであって欲しいと願って止みません。


心より、哀悼の意を込めて祈ります。


夢をありがとう。

元気でね。