【 1万年の平和 】追記あり | 知恵の実を食べたサル

知恵の実を食べたサル

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古き善き新しい日本の在り方と生き方を探ります。


大変申し訳ありません
アメンバー承認は、お互いにある程度コミュニケート出来た上でとさせて頂きますことをご了承くださいませ。
m(__)m




縄文時代


民族内及び他民族間に於いて、大規模な戦争や紛争と呼べる争いが起きた形跡が約1万年もの間確認されていない希有な時代!

縄文期以降、
弥生時代に入ってからはハッキリと大なり小なり争いの痕跡が多く見つかっている。

争いの主な原因は
大規模な水田稲作と共に大陸系民族が流入!
食糧安定性の向上により
許容人口が飛躍的に増えた事。

(小規模な稲作は縄文期から行われていました)


そして、その人口を維持するために稲作に適した豊穣な土地に定着。

更に人口が増えると、新たな土地を求めて土地の奪い合いが始まるようになったためとされる!

では、縄文時代はどんな食生活だったのか?


春~夏は
 蕨や野草など、生え物を採取
夏~秋は
 キノコや木の実など、なり物を採集
冬は
 猪や鹿、兎などを狩猟

海湖川が近い地域は年間を通して漁労

そして、それら獲得した食糧を集落で等しく分配し、干したり燻したりして保存して暮らしていた!

また、小規模ながらアワやヒエ、稲🌾等を栽培していた痕跡も見つかっている。


いわゆる、旬の物を必要なだけ確保、保存する狩猟採取スタイルである。

ただ、
季節、地域で獲得できる食糧にはどうしても偏りが有るため、交易による物々交換をして賄っていた。(塩など海の幸⇔山の幸など)


 縄文人は健康的で穏やかに暮らしていたようですが、やはり物量的には決して余裕が有った訳ではなく、食べて行くのに最低限必要な分を確保するだけでも苦労は有ったと推測されます。

 したがって、資源確保の為にも食糧資源を採り尽くさず、幾つかの拠点を何年か毎に移り住んでいた様であります。

 特に冬場の栄養バランス確保は厳しいものであったのでは?と推察されます。


 そんな厳しい生活環境に於いて生き抜いてきた縄文人、その平均寿命が近年の学術的研究の発達により明らかになって参りました。

 その平均寿命はなんと、30と短命だったようです!
ただし、高齢者が居なかったわけではなく、80歳近い当時としては長寿者も居り、40代50代も一定割合居たようです。

 では、なぜ平均寿命が短いかと言うと、実は生後15歳未満の乳幼児の生存率が非常に低かった。つまり生まれた子が15歳を越えられずに亡くなってしまう率が非常に高かった。

 その理由は、栄養状態による感染症などに対する免疫獲得までの抵抗力が弱かったからだと推測されております。
 また、これも推測でしかありませんが、
縄文人はテロメラーゼ活性が低かった為、健康的ではあったが寿命は短かっのでは?
それに対し現代人はテロメラーゼ活性が高く長寿ではあるが、細胞の癌化などの活性が起こりやすいのでは?と推測します。
(テロメア遺伝子による細胞更新の活性、ヘイフリック限界と癌化の引換)


 更に15歳を無事に生き抜けても、そこから更に30歳を越える者も多くはなく、それで結果として平均寿命が30歳前後となっていたようであります。




ここで重要なのが
平均寿命30歳
と言う点です!

栄養状態からみて、
当時の女性の初産年齢は19才前後とされております。

初産から平気寿命である30歳まで約10年とすると、実際に出産が可能な期間は7~8年。

でも、毎年の妊娠出産は母体への負担から難しい!

仮に2年毎の出産と仮定すると、生涯に産める子の人数は4~5人が限度。

そして、やっと産まれた子も15歳(成人)を迎えられる子は少ない!

すなわち、生涯を通して1人の母親が産んで残せる子は多くて1~2人。

もし、1人なら単純に人数だけでも子孫が絶えてしまう。

また、人によって妊娠しやすい体質、し難い体質が有り、父親側の生殖力も強弱があります。

父母の相性も当然有ります!

つまり、子をたくさん産める夫婦、少ない夫婦。

バラつきが有るわけです。

狩猟採取生活の縄文時代の
1つのコミュニティ(村)はその食糧事情から、数組(10人前後)の小さな集団。

一組の夫婦が生涯に於いて二人以上の成人を残せなければ、そのコミュニティは生きてはゆけなくなる。

また、コミュニティ内だけでは近親相姦となってしまい、それも破綻してしまう。


では、どうしていたのであろう?


それは、他のコミュニティ間での生殖行動しかない!
生存率の点でも遺伝子的な点でも、それしか生存方法は考え難い。

勿論、好き合った夫婦は当然有ったであろうが、現在の様な婚姻関係と夫婦関係では成立しない生殖・感情環境であったであろう。


縄文時代には、
冬至・夏至・春分・秋分の日
太陽地球・月の運行による生命エネルギーの満ち欠けの節目に、祭祀が行われていた!

その生命エネルギーをお借りする祭祀の日に、
獲物や収穫の豊穣を祈ると共に、
コミュニティ間から相互に集まった男女による命の交わりが行われていた。

相手はその時の気持ち次第!

そして、各コミュニティへ戻り産まれた子は
誰と誰の子ではなく

コミュニティ全員の子宝
である
したがって
全員で育てる!

全員が父であり母であり兄弟である

必然的
多夫多妻制

したがって当然、コミュニティ間・地域間に於いても
そこに産まれた子は皆、自分の子であり
親兄弟血縁関係となる!

だから、コミュニティ間や地域間など広い範囲で殺し合いになるような争いに発展する事が無かったのではないか?!
(小競り合いは有って然るべき)


当時、生きる上で交わり・出産・子宝は神聖なものであったはず!


各地に残る生殖器崇拝は生きる祭祀の名残り





非常に
神聖なるもの



1万年に及ぶ平和
人間の切実な
への切望
に根ざしたものであった

そこに
損得や卑しき欲望は無かった

そう結論した次第であります。