(苦悩を突き抜け歓喜へ)
13 完
〈転重軽受の人生を〉
日蓮大聖人は、障魔との戦いの渦中にあった池上兄弟に対し、次のように激励されている。
・・・。
正法護持の功徳、すなわち「語法の功徳力」によって、未来に大苦を受けるはずの重い宿業を転じ、現世に軽く受けていく。この「転重軽受」の法理を、よくよく確信しきっていかなければならない。
・・・。さらに、ここから、三世永遠の生命観に立った”難の意義”も明瞭になる。
つまり、あえてさまざまな難に遭うことによって、重く暗き悪因悪果の生命の流転を、今世においてすべて転換し、晴れやかにしてすがすがしき仏界の大境涯へと、わが生命を壮大に開ききっていけるのである。
この「転重軽受の法門」また「語法の功徳力」について、・・・御自身のお姿に即されて仰せになっておられる。
つまり、もったいなくも大聖人は、凡夫のお立場から、御自身が大難を受けておられるお姿をとおして、末法万年の門下のために、”なぜ難に遭うのか”を示してくださった。そして”難を乗り越える信心”を教えてくださっている。
この一点は、人生においても、広布においても、要となる御指南であると確信する。
三年前(1985年)の秋、私は十日間、入院した。初めてのことである。しかし客観的には、いつ倒れても決して不思議ではなかった。
入信以来、四十年間、また戸田先生の遺志を継いで、三十年近く、走りに走ってきたからだ。
”三十までしか生きられない”といわれた弱い体で、働き抜いてきた。
私は、この病は仏の大慈悲である、と深く実感していた。もう一度、一人立って、真の総仕上げを開始すべき”時”を教えてくださったと確信した。
今こそ、本当のものを語っておこう。後世のためにも、本格的に、あらゆる角度からの指導を、教え、残しきっておこう。
そして創価学会の真実を、その偉大なる意義と精神を伝えきっておかなければならないーと。
それまで、学会も盤石にしたし、教えるべきことは教えたとも考えていた。
しかし、この病気を契機として、私はこれまでの十倍、二十倍の指導を残そう。十倍、二十倍の仕事をしよう、と決意した。
そして、今以上に、いやまして真剣に走り始めた。