スペースmassa -36ページ目

スペースmassa

ブログの説明を入力します。

 


 

トランプ大統領も金正恩委員長も世界的一強独裁型の政治家は、良し悪しはともかくいわば得手勝手ではないかと言いたくなる。対応する相手も自分に都合よければ英断と言い、反対の場合は暴言と言う。つまり得手勝手も利害反する双方にとっては全く反対の結果を示す。

 

世の中の多数が受け入れば正論になってしまう。今日本の国会でも森友、加計問題でこの現象が起きている。安倍総理の一強政治がゆらぎはじめて来たのも、が原因ではないか。他人ごとではない高齢者である自分の言動にも、この「得手勝手に」が目立つようになってきた。

 

毎日の反省が大事だが、全くできないまま暮らしている。

 

 

 

 

 
 


 

ただいま午後8時、テレビは中日ヤクルト戦の中継で5回一挙7点を奪取し73でリード中である。今季初めて3連勝が見え始めてきた、と思っているとどんでん返しもあるから

 

気は抜けない。最下位から抜け出せるか、明日へ向かってここ一番の踏ん張りがほしい。

 

高齢期の暮らしも同じ気持ちが大事だ、今日にいつまでも留まってはならない、この時刻になれば明日のことを考えよう。人生は決して後ろ向き後戻りをしようと考えてはならない。

 

反省は必要だが後戻りは無用だと肝に銘じて、一番近い未来の明日を考えよう。

 

小さくてもいいからぴかっと光る未来の灯を心に描こう、きっと朝日が照らしてくれるだろう。

 
 


 

夕方家へ帰るとき西の山あいが開けて見通しの良いところがある。

 

タイミングよく真っ赤な大きい夕日が、落ちるように沈んでいくところを見ることがある。

 

地平に向かって迷いなく一気に沈んで地平の向こうへ消える。実にダイナミックな太陽の姿がまぶたにしっかり焼き付く。続いて残照が雲を赤く染める夕焼けのパノラマを、沈みきった太陽が丹念に描いていく。一年に一度あるかないかの珍しい夕日との遭遇である。

 

私にとってこの夕日は決してもの寂しくはない、朝日や日中の太陽とちがう大きな活力と感動を与えてくれる。人生87年を間もなく迎える、生命とともに社会的活動も僅かになった今はまさに夕日のごとくである。残照をいかに長く照らすか、夕日のエネルギーを高め続けたい。

 
 


 

トランプたのみの安倍訪問外交に暗雲がただよいだした。南北、米朝の首脳会談に圏外に置かれた安倍総理は、事前にトランプ大統領となんとか会談できるようにはなった。

 

日米の外交すりあわせというが、拉致問題を取り上げてもらうことを頼むのが精いっぱいだろう。南北・米朝会談に拉致問題は焦点ボケで、話題にもならない気がする。

 

トランプ大統領は懇願する安倍総理の顔を一応はたてるだろうが、米朝交渉のマイナス要因にはしないだろう。拉致は日朝間だけの問題と認識せざるを得ないし、日朝会談の実現性も薄い。日米韓のトライアングルは事実上崩壊したのではないか、拉致問題の足かせが外せない安倍総理に日韓首脳会談による韓国引き寄せもできないだろう。

 

安倍内閣の支持率が落ち込んでくることが、訪問外交の足をすくうことになるばかりか自民党、自公連携にも不協和音が出はじめる。

 

安倍総理の乾坤一擲を期待したいが…。

 
 


 

岡崎の恒例となった家康行列に今日、豊橋出身の松平健が家康役で参加した。

 

気温がぐっと下がり強風の菅生河畔だったが、市民が堤防いっぱいに並んで見学していた。これはミックスTVの中継で流れた情景だが、あまり感動する場面も無かった。

 

桜もすっかり若葉に変り華やかさに欠けたこともあるが、マンネリの武者行列には祭りのエネルギーを感じない。なぜだろうか?やはり祭りはダイナミックでリズムとスピードがないと盛り上がらない。近隣のトヨタ、刈谷・安城と比べて、活気のない家康頼みの古いタイプから抜けられない岡崎の姿を見る感じだった。中継したケーブルテレビも相変わらず協賛会社の紹介に力を入れ過ぎで、実況説明が単調だったのも祭りをつまらない行列にしてしまった。最後には見学の市民も一緒に、まつけんサンバで河畔をゆらすぐらいの大祭りを見たかった。

 
 


 

9時半妻の車に同乗し図書館へ図書借り換え後、駅まで2キロ歩く。バスで市美術館へ旧友の美術作品展や水墨が書道、表具店などを観賞した。もう12時半近くだったが、そのまま2時間程歩いて帰宅した。今日は北風が強く気温がぐっと下がり寒いくらいで、つい急ぎ足になった。途中昼食をと思ったが適当な店も無く、途中コンビニでおにぎりとお茶を買ったが、寒い風が強く空も一面の黒雲で腰を掛けるところもない。そのまま歩い続け、途中

 

歩道を歩きながらおにぎりを何とか口に入れた。やっと我が家に到着したときはまだ元気だったが、さすがに疲れが出てきた。こたつにもぐりこんで仮眠後、妻も帰って帰宅までの行動を話すとそのまま寝込んでしまった。夕方6時に目覚めると、疲れはすっかりとれていた。

 

ところが夕食後またこたつで寝そべって読書、ふと立ち上がると腰が痛い!やはり無理をしすぎたようだ。風呂で十分あたたまった後、張り薬をべったりでこのブログを書いている。

 

気持ちと年齢と体力のアンバランスを実感した一日だった。

 

今年も近くのYさんから立派な筍を頂いた、明日はタケノコご飯で元気になろう。

 
 


 

朝久しぶりに自宅前の通学路を、小学生が並んでいくのを窓越しに見た。今日は小学校の入学式で、新一年生は父兄と一緒だろうからこの中にはいないだろう。来週月曜日からはこの中へ何人の新一年生が入るのか?「お早う」と声をかけて見送ってやりたい。

 

今年はサクラも散ってしまったが、輝く新一年生が満開の花の代わりをしてくれるだろう。

 

あと一月余りで87歳の誕生日を迎える自分は、「輝く一年生」とは言えないがせめて「いぶし銀の新老人」と自分に言い聞かせたい。パッと輝かない代わりに深みのある明るさが出るよう磨き続けたい。

 
 


 

わが家の玄関脇にあるモミジに花が咲いた。今まで見ることも無く関心も持たなかったモミジの花は、新緑の柔らかい葉の先に赤いつぶつぶをつけたように咲いている。手元の拡大鏡でじっくりりみると枝先が葉二枚と花の3本に別れ、場先より長く延び数本枝分かれし二十ほどの小粒な花が咲いている。花びらもめしべのようなのが4本ぐらいぴんと立っている。

 

中には二枚羽根のブーメランみたいに飛ぶ準備をしている花もある。

 

この花に気付いたのは自分ではない、先月白内障の手術を終えて家中のほこりに驚くようになった妻が発見した。毎日モミジの横を通りながら花に気付かなかったのは、視力の所為だけでもなく花が咲く意識が全くなかったからだ。見えないでなく見なかっからだが、今も手元にこの花を置いて眺めている。

 
 


 

寒暖差は24度もあるという、八戸の雪景色と東京の水遊び風景がテレビ画像に並ぶ。

 

日本国土の多様な気候に今さらながら驚く、しかし国民の殆どがやまと民族であることも島国だけでは説明できない。世界にもまれな四季二十四節季が、整然と気候の変化を導くような気候が異常をくりかえしつづける。

 

地球気候の変化がその原因だろうが、それだけでない気もする。

 

今度は防衛相の日報隠ぺい問題で、国会とマスコミが異常をきたしている。

 

日本国土と国民の安全が第一・フアーストではないか、日報問題は防衛の基本に関わることだろうか。異常な報道と国会論争と言わざるを得ない、気候の異常とともに正常な国家に戻ってほしい。

 

 

 
 


 

政府の内部文書によるとの前置きで今日の新聞報道では、放送制度改革でNHK を除き放送を通信に統合の方針だという。つまり民放をインターネット通信へ統合して、放送から締め出し計画でもある。安倍政権のねらいは偏向番組の排除だろうが、逆に偏向番組が増えるかもしれない。安倍政権にしてみれば民放各社による、森友や加計問題の報道攻勢が腹に据えかねるのだろか。国会による事業・予算承認で規制できる公共放送のNHK一本にしたいねらいが本音であろう。民放各社や野党の反発でどういうことになるか、安倍政権の前途を占う大きな要素になるだろう。