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今日、例月の文章研究会で講師から驚くほど詳細で丁寧な指導を受けた。


480字足らずの小文に対して、4,000字近い詳細な指導文が印刷添付されていた。


隔月の指導担当時にはいつも詳細な指導文をいただくが、今日は激励の意味も含めて特別な


ものであった。読者が読めない、読みたくない、自分がわかるだけの文章を書かないようにという指導だったと思う。いま、原因の一つはこのブログ書きにあると考えている。


毎日自分に向かって書きっぱなしのつぶやきを公開し、読まれることを期待している。「読めない、読みたくない文章」を公開していることを反省したい。

 


 

45回目になる「中日歩け歩け大会」にはじめて参加した。中日本社前広場に子供連れを含む約1600名が午前1015から順次出発し、ナゴヤ球場を経て金山から白川公園までの約10キロのコースである。絶好の日和に恵まれて歩道を歩く人の列が延々と続く。

 

日ごろ鍛えてきた脚力を活かしてかなりの人を追い越して、2時間半で完歩することができた。終わっても2月からつづけてきた毎日の1時間・5㌔半のトレーニングのおかげで、大した疲れも無く快調だったのは何よりだった。来年も挑戦しようと思っているが、なんとか

 

気力と脚力が維持できるように努力したい。

 

 

 

 

 


 
 


 

午後地元龍泉寺川の花見に参加した。例年のことだが今日は一段と盛り上がった。

 

毎年メンバーの中から同年代の連中が抜けていく、いまは自分の世代は1人もいない。

 

一世代下の連中と花見酒は幸せと言うか有り難いことでもある。

 

老化は心の問題と身体的な劣化度の問題でもある。心だけはいつまでも青春でありたいが、

 

身体の方は年齢相応に劣化していく。心と身体のギャップを少しでもちじめるのが老化防止のコツだと思う。気持ちだけは絶対ポジティブにしていかねばならない、今日の花見酒はそのカンフル注射のような効果がある。あすは名古屋で10キロ歩く中日歩け歩け大会参加である。ばてないように初めはセーブして、後半を頑張り10キロ100分の目標を達成したい。花見酒はその前哨戦でもある。

 
 


 

昨日に続いて夏日の今日も畑仕事で汗を流した、とにかく暑い日差しだ。

 

夕方5時から1時間歩きも続けた、4月1日の中日歩け歩けの10キロコースに挑戦するので、トレーニングを兼ねた「毎日歩く」はサボれない。

 

さすがに疲れて夕食前に1時間半こたつで寝てしまった、目覚めると不思議に疲れがすっきりとれている。「春夏合流か?」と思うほどの異常夏日、朝鮮半島「南北合流・統一か?」の朝鮮和平風が原因かもしれない。季節外れの風は要注意。

 
 


 

満開の桜がぎらぎらした夏のような日照りにちらちらと舞はじめた。乾燥した空気はとにかく暑い、異常気候と言わざるを得ない昨日今日だ。のどかで柔らかい春風がまちどおしいが、

 

朝鮮半島からの北風は夏日も吹っ飛ばす激しい風となりそうである。 

 

中国が前面に出てロシアも動き出し、トランプ大統領の切ったカードが妖しくなりかけてきた。安倍総理の北との首脳会談はうわさにもならない、日本の政界は森本問題のぬかるみで

 

足をとられて朝鮮半島どこ吹く風である。これを春風駘蕩というのだろうか。

 
 


 

やはり北朝鮮の金委員長が突如、中国へ駆け込み習近平主席にバックアップ頼んだようだ。

 

トランプ大統領が即決した5月の米北首脳会談に、習主席の全面的な後ろ盾を受けて互角に対応しようという狙いだろう。米・北を米・中にすり替えようという魂胆が見える。

 制裁の強化による活路としても、予想外の思い切った行動である。外交面から見れば予想外の大胆さと変幻自在とも言える。日本の制裁と拉致一辺倒の硬直した外交では、とてもついていけない。一強と言われる安倍総理でも、国会や報道にがんじがらめにされて米中北のような首脳外交はできないのではないか。民主的な総理は国民・国会・報道の理解が前提のな開かれた外交しかできないからではないか。
 


 

各地で桜が満開、去年より10日も早いという。しかし山の桜はほとんど目立たない、こちらのほうが例年通りかも知れない。なぜ里の桜がこんなに早咲きか、気候のせいだとも言えない気がする。では?と言われても答えはないが、今日の国会で佐川証人を喚問し禅問答のような応答もある中、北朝鮮のトップが極秘裏に中国を訪問したニュースが流れた。

 

米中会談のためのすり合わせだとすれば、米・韓と中・北朝の対立構図が出来上がってしまったかもしれない。安倍忖度に国会が没頭し、国際問題の急転を傍観する与野党議員の政治力が疑われる。「国際問題にしっかり忖度をしてほしい」と、桜の早咲きは言いたいのかも知れない…。

 
 


 

伯母にわけぎを貰った、さっそくその酢味噌和えが夕食の主菜になった。夏日のような日中の暑さの名残りもあって、とろっとしたねぎの舌触りが酢味噌に刺激されて絶妙な風味をさそう。ただ一つだけ物足りないものがある、あのこりこりしたツボどん(たにし)が入っていないのが残念だ。むかしは近くの水田や水路の泥の中から、バケツで拾い集めたものだった。子どものときに食べたツボどんのわけぎ和えをもう一度食べてみたいが、ツボどんを拾った泥田は数十年前に農地の整備事業で消えてしまった。

 

わけぎの味噌和えを食べるときあのツボどんを思いだす、昨日のことのように…。

 
 


 

今日は町内会の総会で予算決算と事業計画・役員改選などが、1時間ほどで無事終了した。

 

来賓の国県市の議員6名が2分間スピーチをするのも例年のことである。

 

毎年この日が今年度の千秋楽のような気分で、新年度を迎えることを60数回重ねてきた。

 

自分の暮らしも仕事も若いときから年度末は三月で、四月から新年度を繰り返してきた。

 

言わば年度男とでもいうところだが、年末年始だけはことしが終わり新年を迎える気分になり「今年もよろしく」となる。一年に二回年がわりがあるがとくべつ気にもならない五月には誕生日という年がわりもあり、去年からこのブログあもリニューアルのつもりで№を1にもどすことにした。これで毎年3回「年がわり」をするが、今日千秋楽の大相撲が年6場所つまり二ヶ月ごとに場所がわりするのには遠く及ばない。波乱の春場所も鶴竜の優勝で千秋楽を無事迎えた、来場所に期待をかけよう。

 

 

 
 


 

カレンダーと手帳では1カ月単位で、新聞・テレビ・ラジオと時計では1日単位で時間が流れていく。時計の秒針は1秒刻みで連続して流れる時間を見せてくれる。

 

この流れは万人共通で不変であるが、自分の予定を書き込んだカレンダーや手帳には自分固有の時間が流れる。新聞・テレビ・ラジオも時計も自分が見ると自分の時間が流れる。

 

高齢になるほどこの自分の時間は、他者との関係で変化することが少なくなり得手勝手な時間が増えていく。長寿の恩恵か特権のような気もするが、完全に自由勝手な時間ばかりになっても侘びしいだろう。明日はなにがあったかな?と予定を確認する手間が全くなくなっては生きる意欲や気概をそがれるだろう。

 

他者の時間と調整しながら自分の自由時間を産み出す、この気づかいと苦労が単調な高齢者の生活を活性化する。毎日何か自分の主体的な活動をする、自由勝手な時間を増やしていきたい。