ひとはみな、得意とすること不得意なことがある。言い換えると得手不得手と言っても良いが、少しニュアンスの違いも感じる。要は意(こころ・きもち)と手(手立て・手段)の違いと言っても良いだろうか。私は得意とすること不得意の方が心にすっきり映る。
得手不得手は得手勝手のイメージ絡みつく。利害関係に結びつく感じもするからだが、根拠もなくそんな気がする程度である。どちらも正負の関係にあることだけは認めるが、まったく異質だとは考えたくない。ひとの身体の裏表、右と左、上と下のように、異質ではないが違う状態をいうのではないかと考える。ことほど左様にひとの暮らしで感じる違いは部分的違いですべて同一全体の部分的現象だから切り替えは自由だと考えたい。実はいま、ある文章講座の課題に「得手不得手」が出されて困っているので、得手勝手に切り替え自由にしようかと思っている