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ひとはみな、得意とすること不得意なことがある。言い換えると得手不得手と言っても良いが、少しニュアンスの違いも感じる。要は意(こころ・きもち)と手(手立て・手段)の違いと言っても良いだろうか。私は得意とすること不得意の方が心にすっきり映る。

 

得手不得手は得手勝手のイメージ絡みつく。利害関係に結びつく感じもするからだが、根拠もなくそんな気がする程度である。どちらも正負の関係にあることだけは認めるが、まったく異質だとは考えたくない。ひとの身体の裏表、右と左、上と下のように、異質ではないが違う状態をいうのではないかと考える。ことほど左様にひとの暮らしで感じる違いは部分的違いですべて同一全体の部分的現象だから切り替えは自由だと考えたい。実はいま、ある文章講座の課題に「得手不得手」が出されて困っているので、得手勝手に切り替え自由にしようかと思っている

 
 


 

大きさは1ミリ四方で30年前のコンピュータ数千台に匹敵する能力があるコンピュータ。その価格は約10円以下になると米ICBM研究所が発表した。5年以内にビジネス・社会がこのコンピュータで大きく変わるとも言う。メガネや衣服にも装着して人間自体がコンピュー化しそうであるが、一体どんな社会に変るのか想像もできないが興味津々でもある。

 

10年後の超小型コンピュータ社会を是非見届けたい気がするが、ただそれだけで長生きされては迷惑至極だと天の声が聞こえてくる…。

 
 


 

年末年始も年度がわりも、今は年がわりの実感がすっかりなくなった。今日の誕生日が今の自分にとっては大事な年がわりだ。特に変わったことをするわけではないが、気持ちだけはリフレッシュをしていきたい。気力と体力の維持に止まらず、積極的に僅かでも増進できるよう心がけ努力しようと思う。無理はできないが少しきついぐらいの負荷はかけて、毎日を明るく前向きな気持ちで先ずは来年の誕生日を目指そう。今は一年に一段のペースで年がわりを重ねていくことが、最大の人生目標でもある。

 

 

 
 


 

ナス10本、トマト・キュウリ・ピーマンなど夏の野菜を植えた。

 

害虫や病菌にやられないで立派な実をつけてほしい。猛暑の夏場を乗り越える力は、この夏野菜の成長とともに湧いてくる。今日は86歳最期の日だった、明日からはまた心機一転で頑張っていこう。今朝S氏と約束の図書館へ急いで30分前に着き、新聞閲覧で30分を埋めてから約束の場所へ…不在? 結論は手帳で11日10時と確認しはじめて間違いと認識した。5㌔ウオーキングに急遽切り替え元気に帰宅した。その後夏野菜の苗を買いに行き、植えつけた次第。

 
 


 

新聞の購読者が毎年減っていくようだ、若者の新聞離れが大きな原因と言われる。

 

たしかに若い人たちが新聞を読む姿を見ることは本当に少ない。むかしは通勤電車の満員の中でも新聞を二つ折りに立てて読んだものだが、いまはスマホを覗き込む人ばかりだ。

 

本や新聞を見る人はほとんどいない、たまには自分のような年配者が本を見ることはあっても先ず新聞を広げることはない。

 

新聞に魅力が無くなったのか、スマホで手いっぱいかはさだかでないが不思議なさびしさを感じる。新聞にもひと言いたいのは、早く伝えたることではテレビ・ラジオやスマホにはかなわないからじっくり読ます記事で勝負してもらいたいと。それには広告も読み物的にしてほしいし、記事も取材の状況や解説的な読み物にしてほしいが無理だろうか。

 

読みたくなる新聞になってほしいと祈りたい。

 

 

 

 

 
 


 

 昨日の午後4時過ぎ、突然ぶちまけるようなはげしい雨が降った。幸い長くは続かず集中豪雨にはならなかった。当地も今日は梅雨に入ることを知らせる雨だったのか、終日ぐずついたじめじめ天気だった。中国大連では北朝鮮の金委員長が重要な会談で極秘に訪中かと、報道が色めきだった。米朝会談の前にこの極秘の動きは、梅雨どころか嵐を呼ぶかもしれない。なにか不吉なたよりではないかと危惧する。米・韓・朝でなく中・朝・韓へ動きだすのではないか、トランプ大統領はどう動くのか。プーチン大統領も黙ってはいまい、安倍総理も具体的な動きをしないと朝鮮半島の大事なたよりが届かないかも…。

 
 


 

審議拒否で多数与党に抵抗してきた野党六党が、やっと目覚め徹底審議にに入ると言う。

 

長い春眠のわりに目覚めはよくなく財務省の文書問題、加計学園、森友学園などの堂々巡り議論を再開ではうんざりする。実のある審議で早く決着を図って、国内外の重要で喫緊な課題に取り組んで春眠のロスタイムをしっかり穴埋めしてほしい。

 

朝鮮半島の大きな動きについていけず、傍観する羽目にならないことを祈りたい。

 

と、大風呂敷を広げながら肝心の自分はどうか、無為…自然に…春眠暁を覚えずで恥ずかしい限りである。国会の批評はお門違いかも知れないが、審議再開を願う気持ちは変わらない。

 

 

 
 


 

小学校同級生T君の訃報が入った、半年前のクラス会(昼食会で10名参加)には元気であったのにどうしたのか。男子生存者の7名が全員出席し足腰や耳は悪くても、何と楽しく食事をしたとき以来交流も音信もないのであの彼がどうしてと思う。

 

考えてみれば87歳はやはり高齢である、突然訃報に接しても不思議ではないがやはりさびしい知らせだ。明日のお通夜で状況が分るだろう。

 

自分は元気に訃報を聞くことができると、感謝しなければならないと思う。

 

「転倒から4カ月で終わる人生」新セイシュン日記・スペースmassa1931年生)

 

昨日亡くなったT君のお通夜で遺族から状況を聞いた。今年の初め体調を壊し転倒した以後、肺に水がたまり手術も断り4カ月で苦しみも無く人生を閉じたと言う。

 

穏やかな顔で安らかに眠るT君は、人生を全うした満足顔でもあった。4名の同級生が通夜に参加できたのは良かった、彼との小学校時代を思いだしながら別れた。

 

高齢になると転倒が寝たきりとか、死亡につながることが多い、足腰を鍛えて転んでも骨折まではしないように鍛えていかねばと思う。まだまだ長い人生だ…。

 
 


 

帰省した二男一家3人と自宅で茶席をもった、亭主役は京都で表千家の茶道を習っている孫のN男である。薄茶の二杯目に「おもあいで…」と2人分を一椀でわけて呑むことを初めて経験した。昔から当地方のことばで「おもあいは」は日常生活の中かでよく使った。

 

食べ物でも道具でも少ないものをお互いに融通し合って使うことで、これは地域の人間関係を支える相互協力の知恵でもあった。

 

そんな言葉もすっかり消えた地域社会の風習もすっかり聞かれなくなったが、久しぶりに「おもあい(思相、面合)」に触れた茶席だった。

 
 


 

今日二男一家と車で長野県と愛知県奥三河の境の茶臼山スキー場へドライブした。

 

駐車所手前のに矢作川の源流があった。3本の竹樋から流れ落ちる水をすくってひと口呑み、矢作川を呑むような感動にうたれた。愛知県の最高峰から南アルプス赤石連峰を遠望する光景に強風と寒さに震えながら芝桜の花端などを楽しんだ。

 

スキー場のリフトに乗ったのも初経験でふるえながら満足の茶臼山に別れて帰宅した。