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台風も地震も豪雨・豪雪・極寒・酷暑…もすべて天変地変であり、人やAIなどの遠く及ぶところではない。災害は忘れたころに来る、人災に至っては今や日常茶飯事といっても良いような気さえする。世の中のあらゆる災害の歴史も、現代の日本人g知りうる記録があるものは千数百年前までぐらいか。ところが人類の歴史や地質学的考察では数千年、数万年、数十億年前の地殻の変動を考える。全くの桁違いである、まして人生100ずの年足らずは一瞬のことだともいえる。だからと言って万年・億年単位で天変地変を考える術もない。

 

やはり21号台風を一つの天変地変と感ずることは、いまの我々にはやむを得ないことだろう。大自然の偉大さに神の姿を重ねることも、許されるのではないか。

 
 


 

伊勢湾台風の再来かと心配した台風21号は四国から神戸・大坂を襲った。関空は滑走路が水没し建物も浸水した、さらに唯一の進入路に油輸送船が衝突して孤立化した。テレビ映像が台風の猛威と恐ろしさをを如実に伝えてくれる。被災地の方々の安全と復旧の早いことを祈りたい。もし東南海地震の大津波が本州を襲ったらと思うと慄然とする。

 

天災が人災を誘発し想像を絶する大災害が、日本の将来を左右するかも知れない。

 

そんなことがぜったい起きないことをさらに祈りたい。

 

 

 
 


 

ある新聞社の友の会で毎月一回の文章研究会に参加して7年が過ぎた。指導者は現役の記者と記者OBが、AB二組を交互に担当し指導される。会員へ殆どが女性の高齢者圧倒的に多く、男性は各国二・三名である。したがって家庭的内容が圧倒的に多いのが特徴だ。

 

毎月課題に対して前月に担当講師に480字にまとめて提出し、翌月はじめ講師から批評とリライトなどの懇切な指導を受ける。今日はI 講師のリライトによる丁寧な指導を受けたが、なかなか講師が期待される物語的な作文が書けない。思い切って全部フイクッションで書いてみようがと思うが、とても書けないでどうどう巡りをつづけている。「書きたいことでなく読みたくなる文」をと言われる講師に、いつになったら 「480字のフィクション」が提出できるか…。

 

あれこれ考えながら帰宅したが、次回は三人称でフイクションに挑戦してみたい。

 

 

 
 


 

高齢者が自立していくためには先ず健康でなければいけない。医学的な健康管は主治医の指導に従うが、大事なことは生きる力を養うことではないか。

 

具体的には体力・気力・智力をバランスよく充実することだろう。ところがこれには個人差が大きい。他者と比較するのではなく、自分に最適のレベルを選択して目標を立てることが大事だ。そして何よりこの目標に向かって日々の努力を怠ってはならない、毎日精一杯の力を積み上げたい。「生きるちから」の山をひたすら上りたい。今日の5㌔ウオーキングはこんなことを考えながらひたすら歩き通した。 

 

 

 
 


 

ふとテレビのスイッチを入れたら若い二人が対談している。ひとりは俳優でもう一人は分らないが、バーチャルな研究者のように感じた。それは「デジタルネイチャー」という言葉を使っていたからだが、スマホを通り越したような未来の「自然」を考えスマホの進化したものが人間の行動の前提と言うかむしろ真実になる。そんなふうに感じたが勝手な見方かもしれない。でも「デジタルネイチャー」のことばは新鮮だった。大自然の将来は人の目や感覚でなくデジタルでないと真実が観れなくなるかもしれない。不思議な感動を誘うことばだ、

 

これも勝手な感じだがデジタルでないと自然の中で暮らせなくなるのかと。

 

 

 

 

 
 


 

明日から新学期が始まる、五十数年前の今日は子供三人の宿題の仕上げで終日追い込まれた。

 

夜九時の今ごろは疲れ切って眠りそうな3人の男の子を、叱咤激励しながら夫婦で必死に理科の実験や日誌・工作などを仕上げていく。日付が変わる頃にはダウンした子供たち総点検に入る頃だ。もっとも工作や実験は始業式の91日はもっていかないことがあって仕上げを延ばすことができて大助かりだった。

 

妻も夕食時に「昔の今日はこんなにのんびり食事もできなかったね」と夏休み最後の激戦を懐かしんでいた。今はこのブログを書くことぐらいで、数独上級のを問題で老化した知恵を絞りだしている。天下泰平の感じだ。

 
 


 

20年前ボストン美術館の姉妹館と期待された名古屋ボストン美術館がこの10月で閉館する最終展「ハッピネス」を見た。当初の期待にそわず自主企画無しの貸館的美術館で終わってしまった。最終展も企画展としての迫力なく物足りないものだった。財界の積極的関与の無いまま永らえたが幕を下ろすことになった。美術館は企画展がしっかりしないとギャラリーかしてしまう。折角鳴り物入りの美術館も所期の目的を果たさないまま閉館となる。

 

美術館はやはり県や市と地元財界が一体になって支えないと成り立たない。

 

ボストンの名前を冠した美術館の寂しい閉館である。

 
 


 

花の命は短いということを実感するアサガオ、今朝もきらめくような濃い紫の一輪を妻が玄関の花かごに活けた。一日花と言われるが、朝お陽射が強くなるころには萎れてしまう。

 

しかし明日の朝はまた何事もなかったように、同じ花が咲いてくる。

 

アサガオは人の一日も一日花のくり返しだと言いたいかもしれない。毎日は今日の一日から明日の一日に変り、新しい今日の一日になるが昨日に戻ることはない。

 

なにか朝顔の花が一日の意味を教えてくれるような気がしてならない。諸行無常だと。

 
 


 

今日午後車庫お前に赤トンボの群れが浮かぶように飛んでいた。秋を届けに来たのだろう、しばらくクルクルと低く舞いながら川下へ消えた。去年もこの近くで同じような赤トンボを見て間もなく猛暑の夏が少し秋の気配を漂わせるようになった。自然は実に正直である、自然とともに暮らすことが大事なことを教えてくれる。

 

夕方に二時間ほど畑の草取りをしたが、さわやかな汗とリズミカルな体調で疲れない。

 

夕食も進み元気な一日に感謝、赤トンボにも有り難う。

 
 


 

今日の暑さは久しぶりに猛暑を爐り越して炎暑になった。お盆以来台風の影響で飴やァ風が強い日が多く過ごしやすかったが、朝の畑仕事も8時には妻の心配もあって止めてしまった。

 

一日中焼けるような陽ざしで肌がひりひりするようなかんっじだった。

 

室内で31度もあっても、さほど感じないのはこの夏の暑さ慣れだろう。

 

テレビでは一人暮らし高齢者が、部屋を閉め切ってクーラーもかけず41度の室内で死亡していたと報じていたようだ。たしかに暑さ慣れして感覚が鈍くなっていることは実感できる。

 

それでも五時すぎると陽射しも弱くなり畑仕事を再開できた。夜は知人から頂いたアユの塩焼きでウイスキーの氷水割りで爽快にのどを潤した。