物事を受け入れる前に我を捨てる | あーさのへや

あーさのへや

「直感で生きるお手伝い」をしていますArthurです。
名前があーさ から Arthur に変更し、ブログのタイトルが「あーさのへや」となりました。
日々気づいたこと、経験したこと、思うがままに書いていきたい。

いつもありがとうニコニコ


だんだん暖かくなってきました。

暖かくなると行きたくなるのが山ですね。


一人で大きな山に行くのは少々怖く感じるものですが、一人で行く方が自分のペースで空や木を眺め、自然の声に耳を傾けることができるお願い




こだわりと我


好きな事にこだわる気持ちはよくわかる。


私も以前はこれじゃなきゃダメビックリマークってものが沢山合って、若い頃は沢山沢山こだわってきました。



思ったんですよね。



TVがなくてもいい生活を送って4年くらいかしら。

車の中で音楽は余り聴かない。

洋服もそんなにこだわらずシンプルなものが好き。



あとは、食べ物。


最近どうやら砂糖が体質に合わなくなってきたみたいで、砂糖と頭痛の関係を人体実験(自分でね)したところ間違いなさそう。


私的にですよウインク



少しずつこだわり…度を越したこだわりを減らして行ったら生きるのが楽になってきた音譜



度を越したこだわり=我



なんじゃないかなって思ったのよ。



我を捨てた先にあるもの


私が言わなくても色々なところに書いてあるだろうし、心理学だとか学んでる方は"そうそう"って思ってるでしょうね。



ごめんなさいね。



私ってね、自分で経験しないとダメな人なんです(笑)

アホでしょ(笑)

経験して腹に落とし込むみたいな、ね。



もう一つ、ごめんなさいね。



座学で学んだだけの人の言葉に説得力がなくてねあせる


失礼を承知で書かせて頂きます。



なぜ説得力がないように感じるかというと、その人の内にあるものが解消されずして言葉を並べてる。


つまり、自分を見つめていない。



私もそう。


本を沢山読んでわかった気分になってたけど、ただの頭でっかちで、そこに経験を積み重ねて「あの時書いてあったのはこういうことだったのね」と。




表面から見たら何でも知ってるように見える人でも、実は経験を重ねたからこそ出てくる言葉ってあるんですよってことです。


私の事を言ってるわけじゃないんです。


あなたの周りの人をみて。



あなたが「この人簡単に言うけど、実際はそんな簡単に出来ない」とイラつくその人の言葉の中には経験からくるものが詰まってるんです。



経験から出てくる言葉には実は説得力があるんですが、でもそうは感じないとしたら、あなたがを手放せないでいるのかもしれません。



というものは大切な物を隠します。

あなたの心に届かないようにする。




経験を積み重ねた人かどうかはあなたの目で判断しなくちゃならない。



それは日々その人を見てればわかる。



その人の言葉ならあなたは受け入れる事ができると、目に見えぬ存在たちはわかっているから。



Arthur