完全が存在する一方には、不完全も存在します。

が、その不完全も完全の種子を宿しております。

完全も不完全から生まれるのです。

完全は完全から生まれるのではありません。

不完全から生まれるのです。

生きると言う事は進化することです。

前に向かって進むことであり、上へ向かって努力することであり、
発達であり、開発であり、発展であり、進展です。


神とは宇宙の自然法則です。

物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。
完全なる愛であり、完全なる叡智です。

神は宇宙の隅々まで行き渡っております。
人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。
まだ知られていない、より大きな宇宙にも瀰漫(びまん)しております。

神は全生命に宿っております。
全存在の内部に宿っております。
全法則に宿っております。
神は宇宙の大霊です。
神は大生命です。
神は大愛です。
神は全存在です。

僕に過ぎない我々がどうして主を知ることが知ることを得ましょうか。

ちっぽけな概念しか抱けない我々にどうして測り知れない大きさを持つ存在が描写できましょう。



Q
心霊治療によって治る人と治らない人がいます。
患者の魂の進化と言う観点から見て、
種類が異なるのでしょうか。

A
そうではありません。
誰であろうと霊界へ旅立つ時がくれば、いかなる治療家もそれを阻止することはできません。

Q
でも治療家の所へ行かなかったら、もっと早く死んでいたと言うこともあるでしょう。

A
それも数日かそこいらの話です。
永遠の時の中でそれがどれほどの意味があるのでしょう





地上へ生を享けるときは因果律によってそれが当然宿るべき身体に宿ります。

前世で身に付けたもの携えて現世をスタートいたします。

前世を終えた時点でふさわしいもの携えて再生するのです。
遺伝的疾患も少しも不公平ではありません。
前世に照らしてこれからの進化にとって、必要なものを成就するのにふさわしい身体を与えられるのです。



人間には物的身体と霊的身体とがあり、
両者は生命の紐、言うなれば命綱で結ばれております。

病気、異状、あるいは年齢といったものが物的身体に忍び寄るにつれて両者の相互関係が次第に緊密度を失ってなって参ります。

そうした中で物的世界からの離脱の準備が進行しているわけです。

病気には物理的、精神的ら霊的な3つの原因があります。
骨折も霊的に治すことができない事はありませんが、物理的な手配の方が簡単でしょう。


Q
という事は誰でも自分で健康を回復できると言うことでしょうか?

A
まさにその通りです。
ただしそのためには
「自分は神である無限の創造活動の1部を担う存在である。
全生命の責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ」

と宣言できる段階まで悟りができなくてはなりません。


Q
やはり病気は自分で治せるのでしょうか?

A
その病気を追い出してしまいなさい。
自分は絶対に病気にはならないのだと自分に言い聞かせるのです。
医者よ、汝自らを癒せよ。
この古い言葉をご存知でしょう(ルカ4.23)

治せるだけでなく現に直しております。
魂の優位を主張し、肉体と言う下等なものによって束縛され抑えられることを拒否することによって、病気を追い払うのです。
身体を従者にするのです。
主人にしてはなりません。
誰にでもできることですが、大部分の人間は頭からできないものと思い込んでいます。
だからできないのです。

肉体は精神の従僕です。
精神は肉体に隷属しているのではありません。
肉体はつかの間の存在であり、精神は永遠の存在です。

肉体はいずれ朽ち果てます。
精神が宿っている間だけ現在の形体を維持している一時的な存在です。
それがその人ではありません。
その人の表現体であり、道具であり、地上で認識してもらうための手段です。